アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2015-12-24

不適切な行動の中にある適切な行動

「どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか? 再び」は解決しないまま2学期が終わりそうです。

見守ろうと決めた矢先に、遊んでお茶をこぼす(*1)という・・・
これを見守り勇気づけられるほど私はまだ成長しておらず、

娘に限らず、息子の不適切な行動にも目がいき、

バンと爆発してはすぐに冷静になれるはずの私が、ここ数日は、陰性感情をずっとくすぶらせて過ごしておりました。その間は、正直なところ、「アドラー育児、無理だわ・・・」と諦めてしまいたくなっておりました。

そんなこんなで、陰性感情をもって子どもたちと接していたわけですが、
怒りでもって伝える言葉は何も伝わらないことだけは分かりました。

子どもたちは「お母さんが怒っているから」としか理解しないわけで、
本来、伝えたい大きな共同体感覚はこれっぽっちも伝わっていないのよね。

やっぱりダメだと気が付いて、やはりアドラーで勇気づけていきたいと思いました。

休みに入れば、子どもたちとの時間も増える分、様々な感情を持って、私は色々と行動するのだろうけれど、

新しい年を家族で迎えられる喜びを持って、
不適切な行動にも適切な行動を見つけられるよう、何はさておき何がおきてもまずは「よかった」と思うと心に決めて、次に何が「よかった」かを見つけるようにして、冬休みを過ごしてみようかな~と思います。


ということで、どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか? 再び は3学期に持ち越しです。



*1
遊んでお茶をこぼした後、娘は自分で掃除をしておりました。
でも、陰性感情が消えなかったのでね、その時はその適切な行動に声を掛けてあげられなかったんですよね。私は陰性感情を使って何をしたかったんでしょうね・・・大反省しています。



2015-12-17

どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか? 再び -1

寒くなってきました。

息子と同じく娘も布団の中でモゾモゾと、起きてきてもストーブの前に陣取って、動きが遅くなってきております。

朝の出発時間に間に合うように準備する」課題については解決したはずでしたが、再び、浮上してきました。

息子のように時間をお知らせするたけではダメで、
自然の結末(幼稚園児なので、一人で行くという結末は体験できませんが、髪を結びたいけれど、間に合わなかったので、結んで登園できないという経験)をしましたが、その学びが続くことはなく、

何というか根本的に娘との関係を見つめ直そうかな~と思っています。

前回の時よりも、私自身も少し成長し、娘のことを客観的に見てみると、
「私にもっと注目して!」という気持ちが不適切な行動に出ている可能性があるのかな~と思い直しています。

負の注目でなく、正の注目をしているつもりなんですよ。
でも、娘からすると足りないのかもしれませんね。

これは私と娘の関係。
第2子という家族の位置も関係しているかもしれません。

課題の分離とか自然の結末とか、そういうものの前に、正の注目をちゃんと娘に伝えていこうかな~と思っています。


とりあえず1週間、2学期が終わるまで、特に朝の準備において、もっと心掛けて、正の注目をしてみます。

2015-12-16

兄妹喧嘩

アドラー心理学では生まれ順によって一種の性格傾向があると認められています。

例えば、上の子は、下の子が産まれたことで赤ちゃん返りを経験する機会があるけれど、末子はその機会はありません。
また、反対に第2子以降は生まれたときから上に兄/姉がいるので、親を独占するという期間が一度もありません。

そんな風に、家族の中での位置関係(環境)から性格傾向があるのは理解できます。
しかしながら、あくまで傾向で、これが個々に当てはまるかどうかは別の話かな~とも思います。
実際のところ、我が家の場合、息子は妹が産まれた時に赤ちゃん返りはなかったし。これは、他人への興味が薄く、友達関係を作るのに人より遅く成長したことも関係しているのかなとも思います。


そんな生まれ順によって一種の性格傾向があるとことと、第2子(娘)について、同じ立場である私の経験も踏まえて、2歳差という年齢の差を考慮しながらも平等という点ではかなり気をつけています。

「お兄ちゃんだから」「妹だから」とかそういう理由で、
優遇されたり、我慢させられたりすることがないようにと思いながら育児をしています。

その一つが「課題の分離」です。

録画のテレビ番組を見るとき
息子「Aを見る」
  娘  「B」
息子「Aだって」
  娘  「Bがいい、ギャー(泣き)」となることが多いのですが、

娘が泣くからといって、息子に我慢してもらう必要もないし、
そもそも、2人の問題なんだし、「課題の分離」で親が解決するのはおかしい話。

こんなときは冷静に「2人で相談して決めてね」と言うだけ。
時間が迫っているときは「2人で相談して何分までに決めてね」とお任せ。

もう少し年齢が離れていると、長子の言葉巧みな説得で決まることもあるのかもしれませんが、我が家の場合、こういう風に声掛けをすると2歳差だからかジャンケンになりますね。

ジャンケンに負けてギャーギャー言うときもありますが、そういうときも仲介をしません。

私に泣きついてくることもありますが、「残念だったね」とトントンするだけ。
しばらくすればスタートしたテレビ番組が気になって、ケロッとして見始めますし、いつまでも拗ねてテレビが見られなかったら、それはそれで結末を経験することで学ぶこともあるでしょう。


分かってはいるけれど、 ケンカなのか、遊びなのか、「イヤだ、イヤだ」という妹にしつこくちょっかいを出す兄に陰性感情で「やめなさい」と言ってしまったり、
宿題を頑張っている息子に何度も邪魔をする妹に、「いい加減にやめなさい」と言ってしまったり、 2人の課題は、2人で解決、これを基本に、課題の分離で見守りたいなと、鍛錬中。

2015-12-14

子どものライフスタイル

子どものライフスタイルを読みました。



アドラー心理学は「目的論」なので、私たちの行動には不適切、適切に関係なく また、認識しているかしていないかも関係なく、目的があって、その目的のために 行動しているのだそうです。

これらのライフスタイルは幼き頃の成長過程でおおよそ決まります。
子どもたちがどういうライフスタイルを築いているのかが気になって 読んでみたわけですが、カウンセラーになるために深く勉強していない 身分で個々のことが分かるわけもなく・・・

ただ、子どもたちを育てるにあたり、
共同体感覚が身についていることが 大きな要であることには間違いなく、

そのために常に親は 子どもたちが
「自分には能力がある」
「人々は仲間だ」と 感じられるように心理面の目標に向かい、

そして
「自立する」
「社会と調和して暮らせる」と いう行動面の目標を達するという、

パセージの基本の基本につながるんだな~と改めて思いました。

パセージはアドラー心理学からできた育児法なのですから、 当たり前のことなんですけどね。

この目標さえ見失わなければ大丈夫なんだけれど、 ついつい、親が手をかけすぎたり、先回りしたり、よかれと思って 勝手な行動をしてしまうんだよね。


そしてライフスタイルを築くにあたり家族での位置(兄姉弟妹の関係)が深く影響するらしく、それらについても少し触れることができました。これについてはアドラー心理学という観点でもう少し深く学びたいな~と思っているけれど、なかなかその機会とその本を見つけられません。




2015-12-11

習慣を目標にしない

今冬はインフルエンザの予防接種を受けないことにしました。

明確な考えがあるわけではなく、有効性とか子どもたちの注射キライとか、何となく漠然と「今年はいいかな~」と思っていたところ、 お友達が予防接種を受けたのを知った息子から「インフルエンザの注射する?」と確認されました。「今年は受けずにおこうかな~と思っている」と言ったら、嬉しそうだったので、そういう決断にしました。

感染症に注意が必要な時期になり、手洗いとうがいをより一層丁寧にしていきたい。
毎年、この時期になるとそういう風に声掛けをすると、「面倒だな~」という雰囲気でしたが、今年は動きが違います。シャキシャキです。

インフルエンザの予防接種を受けないと決めてから子どもたちに丁寧に説明しました。
「今年はインフルエンザの注射は打たないことにしたけどいいかな?打たないから予防を頑張ろうね。帰ったら、手洗いとうがい、しっかりしようね。」と。

テレビでウイルスに関する番組を見たのも影響しているんだと思いますが、手洗いとうがいの重要性を理解しているので、行動はシャキシャキです。

でも、重要性は理解していても、忘れる、忘れる。
帰ったら手洗い、うがいを習慣にすることは目標にしないので、忘れているのをお伝えするだけです。

・起きたら、顔を洗う
・ごはんの前に手洗い
・ごはんが終わったら食器を片付ける
・ごはんの後は歯磨き
・帰ったら、手洗い、うがい
これに加えて、帰ったらすぐに宿題とか、1日1回お手伝いとか、そんな風に習慣にすることを目標にしないと決めると、楽になりました。

親が付いて世話が必要なころに習慣にしていることでも、身につくこともあれば、身につかないこともあります。

毎日、毎日、毎日、毎日、身につかない習慣に目がいき=負の注目をし、声掛けをしていれば、一日中、小言、注意で勇気くじきの日々です。

習慣にすることを目標にすると、「また今日もしていない」「いつになったらできるのだ」という言葉の陰性感情が出たり、それを口にしたりしてしまいますが、

自らできたらOK=正の注目をし、していないのは忘れているだけかもね~と思うと、声掛けの言葉も違ってくるように思います。

親が身に付けてほしいと願っていることなので、その願いを変える必要がなく、習慣にするという目標をやめるだけ。

親が付いて世話が必要なころから、必要なことと思って一緒にしてきたことなので、親から子どもへ伝わっていることは多いと思います。しかし、親と子どもは違いますから、親が必要だと思っているこれらのことを子どもは必要でないと思っているのかもしれません。

それはそれぞれが子どもに聴いて、確認するしか分かりませんが、うちの場合は行動が伴うか伴わないかは別として、洗顔、手洗い、食器の片付け、歯磨きなどは社会でも学んでいるので、必要だと理解はしています。

必要だと理解していると分かれば、子どもはただただ忘れているだけだったり、ちょっと面倒だな、と思ったりで、「今日」は行動していないだけなのかもしれません。

そういう見方ができると、陰性感情を乗り越えられるはず、鍛練、鍛練。



2015-12-09

陰性感情をのりこえる工夫(朝の準備から)

寒くなってきました。

息子、6時の目覚ましで目を覚ましていても、一向に布団から出てこなくなりました。
出掛けるまでの準備も少しずつスピードアップしてきたので、6時30分に朝ごはんを食べ始めれば、朝の登校班の集合時間には間に合うので、それまで、私はお口チャックを頑張り中です。

「6時30分だよ、朝ごはんできているよ」で動き出せばOKなのですが、
これ以上遅くなると、私のイライラ=陰性感情が出てきます。

起きられず、準備が間に合わずに遅刻(登校班の集合に間に合わない)は子どもの課題なので、親は関与しないという課題の分離をしたくても、 幹線道路の信号を2カ所渡って登校するので、もし、登校班の集合に間に合わなければ、この信号2カ所を渡り終えるまでは親が付き添って下さいとのお達しが小学校からあり、実際、交通事故が起きていることからすると、 「遅れても一人で行くんだよ~」と課題の分離ができないのが現実。

登校班の集合に間に合うように家を出発することを共同の課題として、息子と協力することになっていて、

「時間になったら伝える」ということは話し合って決めたのですが、
この伝えるときに陰性感情があっては何もかもが勇気くじきになってしまいます。

のらりくらりと本を読みながら準備をしていたり、
ストーブの前でボーとしていたりするのを見ると、

「早くしなさーい」と陰性感情をもって息子の登校の準備を急がそうとしてしまいます。
なので、私の変わりに「あと5分だよ、急ぎましょう」はタイマーでお知らせしていただくことにしました。
息子が気付いて、登校の準備を急ぐという目的のために
「早くしなさーい」と私が陰性感情をもって時間を伝えるよりは
無機質でもタイマーにピピピピと時間を伝えてもらう方がいいかな~と思っています。

もちろん、私が陰性感情を持たずに伝えられるようになるのが一番なのですが・・・まだまだ鍛錬の身。無機質なタイマーで少し冷静になれる私もいるから、お助けグッズとして活躍していただいています。

余裕で準備できる日もあるから、息子はできるのです。
ギリギリになったりする日が時々ある。

この時々に負の注目をしないで、余裕で準備できた時に正の注目する。
これが理想、頭では分かっているのですが、なかなか完璧に実行するために親の私も成長の時間が必要です。

その親が成長できるまで、タイマーの出番。
ガミガミ、グチグチを減らすための私の工夫です。

2015-11-26

「予定通り」という私的感覚

私は「もったいない」という私的感覚を持っているんだろうな~と気付いたのと同時に
私は「予定通り」という私的感覚を持っているんだろうな~ということにも気付きました。

私は私が予定、予測、予想することでないことが起きるとどうも陰性感情が起きるようです。
先の予定を立てたいし、その予定通りに過ごしたいという気持ちが大きいように思います。
予測していないことが起きるかもしれないことにワクワクする!という気持ちはこれっぽちもないようです。


でも、子育ては予測不可能で・・・
子どもには子どもなりの想いがあって、それが私の予定、予測、予想には合わないことなんて日常茶飯事です。

だからこそ陰性感情が湧くわけですが、予定通り過ごす=規則正しい生活を心掛けることで自分なりにアドラー心理学に出会う前から陰性感情に対応してきたのかな~と思い記事にすることにします。


1人目が生まれてから、2歳差の2人目が昼寝をせずに日中過ごせるようになるまでの約5年間は

午前中に用事を済ませて
12時前後には帰宅して昼寝
再びの用事は昼寝を済ませた後で、
夜ごはん、お風呂で21時に寝る

という生活を平日、週末関係なくできる限り守ってきました。
家で昼寝をするために、買い物も10時開店を目指して行動しましたし、車の中で寝てしまわないようにと必死に起こしていたり、外食をするのは昼で、夜は家でご飯を食べて、過ごしてきました。

ダンナも私も昼寝がインドア派で昼寝大好き。幸い子どもと一緒に昼寝した後に幸福を感じる!!!という感覚を持ち合わせているので、「昼寝をする!」という共通感覚を持って、我が家は平日も週末も過ごせることができました。
(子どもたちが昼寝をしなくなった今はこの感覚がダンナと私の摩擦となってはいますが・・・)

規則正しい生活をすることで、子どもの行動パターンも予測できるようになり、
言葉では表現できない年齢でも、眠たい愚図りなのか、お腹が空いた愚図りなのかくらいの予測は当たることが多く、そんな風にして陰性感情に自分なりに対応してきたのかな~と思っています。


子どもたちの自分の生活ができてきた今は

遊びから帰った息子に

母「今日のこれからの予定は?」
子「5時半から宿題をして、ごはんとお風呂に入って7時からテレビみるつもりだよ」
と予定を確認するようにしています。

それでも、予定はあくまで予定で変更になることも予想できるようになっているので、5時半に宿題をしていなかったら声を掛けたり、再度、予定を聞き直したりしながら、大原則である20時頃には寝るという「予定通り」という私的感覚を刺激しない対処方法をいろいろと子どもと相談しながら行動しています。



さて、この記事を書いている今日は久しぶりに3時過ぎの娘(年中)の迎え以外に何も予定がありません。「予定通り」という私的感覚を持っていますが、予定がないこういう日は言い換えれば何でもOKという予定なので、これから何をしようかな~と思いつつ、結局、昼寝をしてしまう気がします。

昼寝をしたら時間がもったいないVS昼寝の後に感じる満足感には、満足感に軍配が上がる私
。先に書いた「もったいない」という私的感覚も本当に個々の裁量なんだな~と改めて思い、私の裁量で決めずに子どもの「もったいない」感覚をも聞いてみて相談してみようと思います。



2015-11-19

「聞いてもいいですか?」

美容院に行って来ました。
読む雑誌として置いて下さるのは「オレンジページ」
この「オレンジページ」に掲載されている角田光代さんのエッセイが大好きで、文庫本を買ってしまいました。



今回、読んだエッセイは角田さんが酔って転んで(?)目の周りにアザができた出来事で

目の周りにアザがある角田さんを見て
「どうしたの?」と聞いてくる人と
「何かあったんだろうけれど、聞いてはいけないだろう」とアザのことは話題にしない人

両タイプあって、どちらも角田さんのことを心配して下さっていることには変わりないけれど、心配の仕方が人それぞれですね~という話でした。

私はよほど親しい人には「どうしたの?」と聞くだろうけれど、
どちらかというと「何かあったんだろうけれど、聞いてはいけないだろう」と思うかな。

大人になればなるほど、「何かあったんだろうけれど、聞いてはいけないだろう」と思う相手が多くなったように思います。
そして、聞かずして時にはあらぬ想像をしてしまう。

想像の話を他人さんにしてはならないと一線をひくように心掛けているけれど、

想像から話を膨らまして、そんな膨らました話をいかにも正しいように誰かに伝えてしまう・・・それが噂や勘違いを生み出すんだろうな、ととても興味深く、読みました。



これは子どもとの関係でも当てはまり、
子どもという近い存在でありながら、近い存在だからこそ、聞かずにして、相手の気持ちや状況を分かったように思うことは多々あって、やっぱり、聞かないとその真意は分からないのですよね。

子どもが不適切な行動をしたときには、その目的を勝手に想像しないで、聞いてみる。
聞いてみないと分からないのだから、子どものことだからよく分かると妄信せず、冷静な気持ちになったら、子どもに話を聞いてみる。たぶん、そこに答えがある。たとえ、答えそのものがなくても何かヒントがあるはずです。



話を元に戻して、お友達、知り合いとの関係においても、気になるなら聞いてみようと思います。
単刀直入に聞ける間柄でなければ、「聞いてもいいですか?」と一度ノックしてみて、お相手さんの反応を確かめてみるというステップを踏めば、お相手さんが話したいと思っておられるのか、聞かずにおいてほしいのか、分かるのかもしれない。そうするとそこに変な想像も勘違いも生じない気がします。もちろん、絶対に聞くべきではないこともあるので、そういう線引きを持ち合わせながらの話ですが。

2015-11-17

「もったいない」という私的感覚

小学1年生、年中の子どもたち
お風呂は子どもたちだけで入っていて、時々、一緒に入るというスタイルです。

子どもたちはお風呂が大好きで、遊び場でもあります。
これは小さいころからで、水で遊ぶのが好きな2人は、色々と面白い発想と、観察をしているようで、半分、教育費?ということで、水の無駄遣いは少々目をつぶってきました。

そうはいっても、もう年齢も年齢だし、水の大切さも分かってほしいので、
バスタブいっぱいにお湯を2日間続けていれた後から、
「もったいないことはしないでね」と伝えるようにしました。

でも、「もったいないことをしないでね」の言い回しは否定文なので、「大事にしてね」に言い換えるように、今、鍛錬中です。

でも、ついつい口から出るのは「もったいないことはしないでね」です。


パセージプラスでは「私的感覚」を学びます。
陰性感情が起きるときに「私的感覚」を点検するということを繰り返してみたところ、どうも私は「もったいないことはイヤだ」(肯定文に置き換えると「ものを大事にしたい」)という私的感覚を持っているようです。

この「ものを大事にしたい」という私的感覚には裁量があって、
「大事にしたいもの」の基準、「大事にする」質的感覚の基準などは本当に人それぞれ。

人それぞれなのにも関わらず、
親の私の基準で
「もの大事にしなさい」
「もったいないことをしない」etc とガミガミ言うものだから

子どもからすると
「大事にしているのにどうしてお母さんはガミガミ言うのだろう?」と思うこともあるのだと思います。

それぞれが「大事にする」という筋は通しているのだけれど、その基準が違う。
だからこそ、その違いであるそれぞれの大事の基準を確認して、
その基準を共同体感覚に照らし合わせて、伝えていかなければならないことはちゃんと伝えていけれれば、陰性感情から抜き出せて、「ガミガミ」からも抜き出せるかもな~と思っています。



2015-11-13

社会に貢献する人

アドラー心理学(パセージ・プラス)では「社会に貢献する」ことを学びます。

「勉強する」目的も「社会に貢献する人になる」ことだと考えます。
受験のためでもなければ、親のためでもなければ、自分のためでもないのです。

私自身がそのように自覚して生きてこなかったので、 本当に大事に考えておかないと、1年生、学業を始めて1年にも満たない息子への声掛けが全く意図するものと違う方向へ向かうことがあります。

「100点、すごいね」
「またこの漢字を間違ったのね」

「100点とったらおもちゃを買ってあげる」のような賞
「勉強しないと遊びに行かないよ」のような罰

こんな分かりやすいことはしていないけれど、
成果に対する言葉掛けも勇気くじきになるんですよね。

丁寧な説明は、アドラー心理学論文集の 「勉強をする子に勇気づける」で読むことができます。




さて、「社会に貢献する人になる」というを「勉強する」目的とするために、将来の夢について子どもの話を聞きましょうということをパセージプラスで学びました。

こういう話、私はとても苦手です。
自分自身の子どものころを思い出しても、
「将来、何になりたい?」
「ケーキ屋さん」と 無邪気に答えていたのは幼稚園時代までだったように思います。

でも、目的があるからこそ頑張れる。
学業を終え、社会に貢献する自分を目標にし、
そのために勉強を頑張り、行きたい道を選んでいくわけで、
○○大学入学、○○高校入学という目標はあくまで通過点、場合によっては「社会に貢献する人になる」のに、これらの学歴が必要でない場合もあることを考えておかないと 簡単に見失いそうになるような気がしてなりません。

そのために、将来の夢について子どもと話をし、
お互いに「社会に貢献する人」を想像するのはとてもいい機会だというのはよく分かります。

だからといって苦手意識がなくなるわけではないので、
面と向かって
「息子くんは将来、何になりたい?」
「娘ちゃんは大きくなったら何になりたいの?」
そういう風に話しをすることは難しいので、

息子がブロックで作った作品を「このロボットは走ったり、飛んだりできるんだよ」と話してくれた時に 「おお、いいね~こんなの本当にあったらすごいよね。息子くん大きくなったら作ってね」とか、

娘とままごとで遊んでいるときに「このケーキおいしいよ、本当は食べらないけどね」とままごとなのにふと現実的なことを言うと「大きくなったら娘ちゃんが食べられるおいしいケーキ作ってね」とか、

「社会に貢献する人」を子ども自身が想像できるように声掛けをしようと心掛けています。

もちろん 夢が夢で終わらせないためには努力も必要で、
そのための努力ができるために勇気付けはなかなか難しいところです。


努力をする、しないの結果を受けるのは子ども自身
勉強のことになると子どもの課題なのに、すぐに介入したくなっちゃうので、気を付けないと。

     

2015-11-09

遊ばずに食べる

ごはんをどうしたらサクサクとたべられるのか?

娘はお菓子には欲張りなのですが、
毎食のご飯には興味がないようです。

お腹が空いている、いない、 好きな食事、苦手な食事、 特に関係なく、

お箸で遊んでみたり、
途中で立ったり、

ダラダラダラダラダラダラダラダ1時間近くかけて食べています。

食べるのが遅いのではなく、
幼稚園の給食はサクサクと食べているので、

「遊ばず食べようよ」
「早く食べなさい」
「何分までに食べないと片づけるよ」

と毎食、小言を言っていたのですが、

「家でのごはんをどうしたらサクサクとたべられるのか?」を
娘に問いかけて、娘に考えてもらい、2日後に返事をもらうことにしました。


娘が決めた答えは
「遊ばずに食べる」という模範回答です!!!!

自分で決めた答えですから、実行していただくのです。
「遊ばずに食べる」を忘れているようなら、陰性感情を持たずにお伝えする。

これが簡単に実行できないからガミガミ母さんから卒業できないんだけれど、
毎日の小言で、娘が変わったわけでもないという事実もあるから、鍛錬です。



秋に誕生日を迎え、1歳、成長するのを機会に、
答えは娘自身に考えてもらうことにしました。

日常生活で「お風呂の時間を何時にするか?」などパターン化したようなことは娘自身が考える機会がありますが、このようにもう少し深く、意見を聞くようなことはなかなか持てずにきましたが、
「開いた質問」にも答えられる年齢になりました。たぶん、もっと前から開いた質問もできたのかもしれませんが、私の考えを子供に伝えたい気持ちが強く、閉じた質問をすることが多かったようにも思います。

閉じた質問ばかりでは話し合いには結びつかないこともあるので、子どもの話をもっと聞くために開いた質問を心掛けようと思います。

2015-11-06

下校トラブルのその後

実は、下校トラブル後、息子は身体の不調を訴えることがありました。
熱もないけれど、頭が痛いかも~と言いながら行った日が2日続き、3日目には起きるのもツライと言ったので、意を決して、1日、学校を休むことにしました。

こんなこともあったので、担任の先生より電話をいただきました。

課題の分離を決意した後だったので、
今回トラブルになったご近所のお友達(★君)とは多少ギクシャクしているようにも見えますが、今後の★君との関係は見守るしかなく、息子にとって、本当に遊びたい友達だったのかを考えるいい機会だったと捉えたいと伝えました。

先生も学校の様子から★君との関係が少し変化していることに気付いて下さっていて、様子を見守りますというお言葉をいただきました。


担任の先生は、子どもの言葉をよく聞いて下さる方です。
「はい!はい!先生聞いて~」と積極的に話しかけられる性格ではないので、息子の言葉を待って下さるのは嬉しい限りです。

そんな先生だからこそ、気付いて下さっていて、「自分の意見をしっかり持っている」という言葉をいただきました。


息子の成長過程とそれに関わる療育から、「子どもの言葉を待つ」ということを大事にしてきたこと、
アドラー心理学を基とした育児パッセージでも「子どもの話を聴く」ということを大事にしていること、
これが軸で、息子は息子で自分の意見をしっかり持てているようにも思います。


一つの日常として、

我が家の生活パターンは、夜ごはん→お風呂&テレビ(遊び)→就寝となっているのですが、

夜ごはん終わった後の時間配分は子どもたちが数字が読めるようになってから毎日相談して決めています。


しっかりと時計が読めないときは
母「長い時計の針がどの数字になったらお風呂入る?」
子「3」

時計が読めるようになった今は
母「何時にお風呂入る?」
子「7時15分」

テレビを見たい曜日は
母「寝るまでの時間まではどんな予定?」
子「7時から○○を見てからお風呂入る」
母「○○を見終わったらもう寝る時間になるから先にお風呂に入ってもらってもいい?」
子「分かった、これ(遊び)が終わったらお風呂入るわ」

こんな風にスッキリと話が終わらない日もありますが、そういうときも、子どもと私が「いいよ」と思える時間を相談しています。

こんな風に相談するようになると、
「早くお風呂に入りなさーい」とガミガミ言うことは減ってきます。自分がお風呂に入る時間を決めたので、「お風呂に入る時間だよ~」だけの言葉で、すっとお風呂に入ることが多いのです。


また、子どもの意見を尊重するためには、親がその時間に合わせるのではなく、子どもが子どもだけで一人でお風呂に入れるように自立のために手助けをしました。

親が思う「しっかり」とは洗えてないかもしれませんが、そこは目をつぶりつつ、2~3日に1度は一緒に入れるように親が時間を都合をつけたりして、時々、見守っています。


小さな日常の一コマですが、日常の一つ一つを子どもたちが考え、決めていることが、先生からの「自分の意見をしっかり持っている」という言葉につながったのかもしれないとも思っています。

そして、こんな風にしっかりとした意見を持っているならば、根掘り葉掘り、「★君との今日」を尋ねて確認するよりも、見守ることの方がいいように思うということになりました。

担任の先生と同じ方向を向けていることが確認できてよかったです。



2015-10-30

下校トラブル

息子、下校時に相次いでトラブルがありました。

「30分の道のりを小学1年生の男女が足並みを揃えて、毎日、一緒に仲良く帰るのは難しいとは思うけれど、無事に楽しく帰って来てほしいね。」と一緒に帰るお友達の親御さん達と入学当時は話してはいたものの、交通上の問題や、下校班の中で友達関係でトラブルが続いて起こり、学校側から子どもたちは話しを受けました。

このトラブルの中で、お友達にイヤな思いをさせた立場でもあり、息子はイヤなことをされた立場でもあります。

そして私は「友達にイヤな思いをさせることはなかっただろうか?」「(息子自身も)イヤは思いをすることがなかっただろうか?」とと神経質になり、帰宅後毎日、息子に確認してしまいました。

しかし、その私の心配が、かえって息子を追い詰めているようにも思え、

友達との関係を築くのは息子の課題
息子の友達関係を心配するのは私の課題

と課題の分離をして、見守っているところです。


特にお友達との関係に距離ができたようで、
今回の下校トラブルがあるまでは帰ってすぐに遊びに出掛けていたのに、
ここ最近、家で一人で遊んでいたりすると、
「何かあったのかな?」
「今日はお友達と遊ばないのかな?」と心配になります。

でも、それを口にしないことにしました。

母「今日はどんな予定?」
子「家で遊ぶ」
母「そっか」
子「お母さん、一緒に遊ぼう」
母「いいよ」

今はちょっとギクシャクしているだけで、また元通りに毎日のように遊ぶかもしれないし、色々とあったことで、距離が離れたままになるかもしれない。

どちらにしても息子が決めたお友達との関係、親はその決断を受け止めたいと思います。
寂しい想いの上で決断をしているならば、その寂しさを包み込んであげたいと思っています。

でも、正直なところ、課題の分離をすると決断したものの、子どもの下校が心配でこの1週間過ごしたので、週末になってホッとしています。

2015-10-28

決めつけないで話しを聞こう

娘が通う幼稚園は原則、バス通園なのですが、家庭の事情で親が送迎することをその日その日で変更することが許されています。

我が家は私が仕事のある日は私が送迎を、休みの日はバス通園ということでお願いしておりますが、
私が休みの日=バス通園の日の朝、娘を起しながら、

母「今日はバスの日だよ」
娘「今日も送りにする」
母「今日はお母さんは仕事が休みだから、バスだよ」
娘「送りにしてよ(泣き)」
母「ええ、どうして?バスがいやなの?」
娘「バスがいやなの、送りにする(大泣き)」
母「お母さんを困らせないでよ」
娘(大泣き)

と私は娘のわがままと決めつけて、話しを終えました。

少しして娘も起き、私も冷静になったので、
バスがイヤな理由があるのかもしれないと話しを聞くことにしました。

母「娘ちゃん、バスはイヤなの?」
娘「イヤ」
母「バスでイヤなことがあったの?」
娘「イヤなの」
母「娘ちゃん、バス好きだったでしょ」
娘「だって、遅れるのがイヤなんだもん」
母「あぁ~そうか、この前、遅れて先生が家まで迎えに来てくれたもんね」
娘「遅れたらイヤなの」
母「そうか、じゃあさ、今日は早めに準備して9時に出発しようか」
娘「遅れない?」
母「娘ちゃん、準備ができるかな?」
娘「分かった」

そうなんです、この前、家を出る時に「帽子がない」と探していたら、間の悪いことに、バスも早めに到着したので、先生がわざわざ迎えに来てくれたことがあったのです。

その時に苦い思いをしたんですね、冷静になって話を聞いてよかったです。

聞かずに終えていたら、私は「娘がわがままを言った」と思ったままだったし、娘は「親は私の気持ちを分かってくれない」と思ったままだったかもしれない。
すれ違いを一つ残したままになってしまうところでした。

このすれ違いを残さないためにはやっぱり話を聞いて、お互いの気持ちを確かめないといけませんね。特に、言葉が早く、口が達者で、少々強引(!)でも普段から意見をちゃんと言えるような娘の場合は、こういう行動をどうしてもわがままに見てしまう私がいます。普段から穏やかで、あまり自己主張をしないような息子の場合は、何かあったに違いないと大慌てするのに・・・


そして、その日は娘は少しの声掛けでいつもより早くに準備ができたので、いつもより早くに家を出て、外で20分近く待ちました。



そうそう、この話し合いで、時間ギリギリの行動が多い娘が「遅れずに行きたい」という気持ちをが育っていることを見ることもできました。

気持ちが育っていれば、いつしか声掛けがなくても、自ら行動してくれると信じて見守りたいと思います。




2015-10-19

「待つ」という信頼

成長の差はそれぞれです。
我が家は息子の成長はとてもゆっくりで、娘の成長はとても早くて、どちらの親の気持ちも経験させていただいています。

息子が歩き始めたのは1才6ヶ月
言葉は2歳過ぎまでしっかりと出ませんでした。
指差しもしないし、1点集中で黙々と同じことを繰り返して遊ぶ、友達との関わりも薄い、そんな感じで発育の検診でも「要観察」となり、
その後、発達検査を受けて、客観的にも支援が必要という診断を受け、街の発達支援教室(こちらは社会性を中心に)、作業療法(こちらは運動の発達を中心に)に通い、息子の成長をサポートしてきました。

医療的な面からのサポートを受けながらも、口々で言われる「自己肯定感」を親としてどう育てていけばいいか悩んでいたところに出会ったのが「勇気づけ」育児のパセージでした。

生きている、それだけで十分からスタート
はじめは「そんなことだけで何が解決になるの?」と反感を覚えました。
でも、とにかく2週間、試してみて下さいと言われ、今となってはどのような言葉で表したらいいか分かりませんが、「そういうことか!」と思ったと記憶しています。

成長がゆっくりだと焦ります。
1学年下のお子さんにも成長を抜かれたりして、「何でできないの!」と理不尽にイライラをぶつけたりしたこともあったのも事実です。成長の差はそれぞれ、でもいたるところにあふれる成長の指針に全くついていけてない現実に不安が募るのです。特に一人目、成長の目安はそれらの指針を頼るしかなく、「息子は大丈夫だろうか?」という想いが拭えませんでした。

でも、親のそういう気持ちは子どもに伝わりますね。言葉にしなくてもです。

アドラー心理学に出会って、パセージを受けて、正の注目をするということで、ゆっくりではありましたが「信頼して待つ」という気持ちが持てたことが、今、ようやく、待ってよかったと実感できるようになりました。

親が「大事」と思い続けていることの「種まき」をし続けたことが、少しずつ芽が出てきています。

「種まき」も親が勝手にするのではなく、

母「こんなところに参加したいんだけど行ってみる?」
子「うーーん、行ってみて楽しくなかったらすぐ帰ってもいい?」
母「そうだね、行ってみてから決めてみようね」
子「いいよ」

こんな風に相談し、時には子どもから拒否されて、引っ込めたりしながらも、大事なことを伝えたくて、学んでほしくて、場所を変え、品を変え、ようやく子どもに合う場所で、成長を実感することができています。

新しいことへ挑戦することに慎重な性格の息子がゆっくりと育てたものは、元々持ち合わせている「集中して深く関わる」ということが伴って強みがあるように思います。

「行かない」→「行ってみようかな」→「行くわ」→「今日は何をするのかな!」
「やらない」→「やってみようかな」→「次はこうしてみるわ」

種まきは親がしましたが、そこからはゆっくりと2年以上かけて自ら育てた気持ち、やる気です。
目を見張るような具体的な成長があったわけではありません。息子が育ててきたその気持ちを大事に、これからも、相談しながら、成長を支えていきたいなと思っています。

2015-10-16

肯定文の声掛け


アドラーの「勇気づけ」育児の初心者の私が
まず、心掛けていることが感謝を伝えることだと前の記事に書きました。

それと同じく、肯定文での声掛けをするようにも心掛けています。
「はしの持ち方が違う」
「お菓子を立って食べない」
「テレビをそんな近くで見てはダメ」

「ダメ出し」が染み付いているから、ないない、ダメダメ否定文の大嵐です。

口から自然に出る言葉が否定文といってもおかしくないほど私の言葉に染み付いているから、否定文を肯定文にするには本当に難しい。

あ、また言っちゃった、
あ、また言っちゃった、と今はまだ気付きの段階ですが、

否定文に気付いた後に、

「はしは正しく持とうね」
「お菓子は座って食べようか」
「もう少し下がってテレビを見ようね」と肯定文を考えることを繰り返し、口から自然に出る言葉が肯定文になるようにこれも鍛錬中です。


アドラー心理学の「パセージ」で一番はじめに学ぶ
<子育ての心理面の目標>
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。
この信念が声掛けから子どもたちに伝えられているかを点検します。

「はしの持ち方が違う」と声を掛けられた時に1)私は能力がある。2)人々は私の仲間だ。と思うかと問われたら、多くの人が「No」と答えると思うのです。私が参加する自助グループではこれらの声掛けの言葉を実際に聞いてもらって、感想をもらって、点検したりもしています。

そんな点検をしてもらうと、「はしは正しく持とうね」と肯定文で陰性感情を持たずにして言うことではじめて<子育ての心理面の目標>が達成されることが分かります。

言葉だけを肯定文にするだけの小手先での変化をしてもそこに陰性感情があっては伝わりません。

陰性感情がないことが大前提、まずはそこからなんです。これも日々鍛錬中です。

2015-10-15

指しゃぶりと「注目して!」

娘の指しゃぶり、「止めよう」と共通の課題にして、了承を得た上で、指を吸ってしまったときはバイターストップを塗るということを繰り返して、終わりが見えてきました。

指を吸ったら注目をしていたので、指しゃぶりという親からの注目と関心が一つ減ったと思ったのか、

「もう指吸わないよ~」
「指吸うの止めたんだよ~」
「もう指にたこなくなってきたよ~」と事あるごとにアピールされます。
子どもは親からの注目がほしいんだな~というのを実感

指しゃぶりは癖ではあったけれど、親から注目をもらえる一つの方法と娘は無意識に行動していたのかもしれませんね。


気になる行動=私が不適切と思う行動に注目をする=「負の注目」をすることの方が簡単
これから抜け出して、適切な行動の時に注目をする=「正の注目」をするように心掛けていますが、まだまだ娘にとっては足りないのだろうな。


アドラー心理学は褒めることもよしとしていませんので、私の場合、本当にちゃんと心掛けていないと「正の注目」がなかなかできません。

子どもを信頼し、尊敬し、感謝することが正の注目
初心者の私が、一番とりかかりやすいのは感謝で、小さなことでも「ありがとう」を言うように心掛けることからはじめています。

例えば、
電気を点けてくれたら「ありがとう」
色々と考えを伝えてくれたら「教えてくれてありがとう」

子どもは親から注目と関心がほしいのです。
それが100で満タンとするならば、「正の注目」で100を目指したい。

ついつい負の注目が先に来てしまうから、本当に心掛けが必要。日々、鍛錬です。


2015-09-30

「明日の準備は?」の声掛けのその後

2学期から始めた「明日の準備は?」の声掛け終了

朝の登校時間までに、準備が整えばいいという点においては、おおよそOKです。
でも、まだ1年生、詰めが甘いというか、筆箱は入っているものの、筆箱の中身を整えるまでは気が回らないようで、 鉛筆1本、消しゴムなしで登校していることもありました。

「課題の分離」の目的は、「あなたの課題ですから、私には関係ないので、あなたで解決して下さいね~」では決してなく、【自立する】と【社会と調和して暮らせる】へ向かうための一つの手段ですから、放任であってはならないのです。

もちろん、ゆっくりと時間をかけて学べる環境ならば「課題の分離」でもいいのかもしれませんが、学校に必要なものを持って行く(忘れ物をしない)というのは社会(学校)で過ごすためにしなければならないこと、

たまに忘れることがあったとしても、基本姿勢として、「持って行くこと」は社会(学校)生活を送るための子ども自身が整えなければならない責任なわけです。

教科書やノートの準備ができているのだから、あともう少し
このために、親が何が手伝えるかを息子と相談しながら決めることにしました。

明日の準備を進めているときに
親「いつもちゃんと自分で準備できているね」
子「うん」
親「筆箱は入っているけれど、筆箱の中は大丈夫?」
子「!」
親「筆箱は忘れずに持って行けるけれど、中まで確認した方がいいかもね」
子「そうするわ」
親「お母さん、筆箱の中もOKか声を掛けた方がいい?」
子「そうして」
親「じゃあ、これから「筆箱の中も準備OKですか?」と聞くね」
子「うん」 と、筆箱の中も準備OKですか?という声掛けをすることに了承を得ましたので、声掛けをすることになりました。

でも、何だか心が晴れません。 忘れ物をしないために、必要以上に手助けをしている気がします。 どうしたら消しゴムを持って行けられるようになるか、子どもから答えを聞くべきだったな・・・
手伝ってとお願いされる前に、手伝おうかと提案してしまったな・・・

1年生はまだまだ学びがいっぱいで、彼の学びの段階を計るのが難しいです。

過干渉になっていないか?
自ら学ぶ機会を奪ってしまってはいないか?

学びの話をする前には、声掛けをする言葉を準備しておこうっと。



2015-09-12

子どもの癖(指しゃぶり)

娘4歳、指吸いが止められません。
かかりつけの歯医者さんでも「もうそろそろ本当に限界の時期」と言われております。
私自身も年長まで指を吸っていて、そして出っ歯。前歯2本は上の歯と下の歯が噛み合いません。
なので、前歯2本で噛み切ることができずに少々不便をしています。ま、慣れてしまいましたが・・・と私の話はさておき。

私自身の経験からも、娘の指吸いは早く止めさせたいと思っておりましたが、2歳差の兄妹、精神的にものもあるだろうと、2歳までは見守りで、

「2歳の誕生日にはやめようね~」で失敗
「3歳の誕生日にはやめようね~」で失敗
4歳が限界だと言われておりましたので、

4歳の誕生日前には、
・プリキュアの映画をご褒美にしたり
・指吸いする子とは一緒に寝られないと脅したり
・絶対に止めると言われていたバイターストップを使ったり

とあの手、この手で止めるための策をアドラー育児とはどこえやら?という方法で実行しましたが、結局、上手くいきませんでした。

で、アドラー的に、この不適切な行動にどう対処したらいいのか?と尋ねてみたら、

「不適切=指吸いをしていることにも注目せず、適切=指吸いをしていないことにも注目せず、とにかく静観すること」と教えていただきました。

不適切な行動に注目しないのはいつものことですが、
こういう癖に関しては、
指吸いをしていない時=適切な行動をしている時に、「指を吸ってないね」と注目をするのもよくないとのことです。

常に注目をし、声を掛けていたので、指を吸っていても、何も言わない私に娘もはじめは「???」という顔をして、何にも言わなくても、「あ」と思った時は止めていたみたいですが、

時が経てば、「お母さんも何も言わないし、吸いたい時は吸ってもいいかな~」と思い始めたのか、もう黙認の状態になってしまいました。


黙認のままで自然に止められるの?
歯並びのことを考えると、あまり時間的な猶予がないのでは?

と親の思いは消えません。

何とか娘と協力して止める方向に向かいたいと思いました。

アドラーの方法でも結局のところ指を吸わなくなるという完全な解決はしなかったのだけれども、日々、優しい声掛けもあれば、厳しい声掛けもあったりで、毎日、注目していた指吸いに注目しなくなったことで、指吸いに関してピリピリな雰囲気がなくなって、お互いの関係がよくなったことは実感していたので、


今は、歯医者さんから直接、娘に指吸いがダメなことを伝えてもらって、私ともちゃんと話をして、
「止めよう」と共通の課題にして、了承を得た上で、指を吸ってしまったときはバイターストップを塗るということになりました。

以前は共通の課題にできていなかったので、バイターストップを塗ることに抵抗をしておりましたが、今は、全く抵抗なく、塗らせてくれます。



実は、娘の指吸いは生後1週間くらいからスタートしています。
産後、病院から帰って、1日目の夜は寝てくれず、ほぼ徹夜。
家の環境にも慣れてくれたのと、指吸いで、自ら寝てくれたのが、あまりにも助かって、それに甘えていた私もいるのですよね。指吸い始めちゃったな・・・と思ってはいたものの、あの時は指吸いで本当に助かったのです。

そして今は、右の親指がダメなら、左の親指と、両方の親指に吸いだこができているくらいです。
私も一度、試しましたが、あのバイターストップの苦味は相当のものですが、それでも、1、2日でその苦味が消えれば、指吸いも復活するくらいなのです。

こんな娘の強い癖ですが、共通の課題にできたことで、指吸いをしていても、「いいかげんにやめなさい!」と怒るようなことなく、冷静に対応できるようになりました。いつかパッタリと止めてくれるといいなと思いつつ、マイナスの感情を持つことなく、対応していきたいなと思っています。




2015-09-10

「明日の準備は?」の声掛け

2学期が始まりました。

1学期は学校に慣れることが一番と、
登校班集合の時間に間に合うように、忘れものなく、送りだすことが親の使命とばかりに声掛けをしていました。

1学期の息子の様子を見て、声掛けはしなくても大丈夫と思えるものから、2学期からは少しずつ声掛けを減らしていくことにします。

登校班集合の時間へは1学期の当初から目覚ましは自分で掛けて、自分で起きることは概ねできているものの、

目覚ましの確認や、起きてからの時間のペース配分にちょこちょこと声掛けをしていましたが、
この声掛けも
「ご飯準備できたよ~」と
「10分前だよ~」のこの2回に減らしました。

忘れものしない=準備を自分で完結することについても
「2学期になったから、声掛けしないから、明日の準備は自分でしてね」と宣言して、
「分かった」と了承をいただいたので、声掛けを全く止めました。
(ただし、宿題をするということについては別のものと考え、声掛けをしています。親のサインとか見守りとかが必要な宿題がまだ続いているので、それがある以上、共同の課題としたいと思っていて、それについては子どもにも了承を得て、声は掛けています。)

親としては明日の準備は寝るまでに済ませてほしいし、 1学期はそうして準備をするように声掛けをしていましたが、息子の場合は、その習慣は結局のところ声掛けをしているだけでは身に付かなかったようです。

息子はもう寝ていますが、机の上には、筆箱、連絡ケース、宿題ノートが置きっぱなしのままです。

それでも朝は出発の1時間前には起きて、ちゃんと準備をしているのでよしとします。

忘れものをしないというのが目標であって、それを前日に済ませるまでは高望みしないことにしました。

そもそも、私も準備はギリギリの人で、 「準備は早めにした方がいいけれど、ま、ギリギリでも何とかなるよね~」と思えるのが幸いして、 机の上に、筆箱、連絡ケース、宿題ノートが置きっぱなしのまま、息子は寝てしまうこの状況を見ても陰性感情が出て来ず、課題の分離もスムーズにいっています。


準備がギリギリでイタイ目にあうことはあるけれど、その時はその時で臨機応変に対応できる力も養ったというか、それがいいのかどうなのかは私的感覚では分かれると思いますが、イタイ目にあって=結末を経験して学んでくれたらそれでいいかなっと。

その結末を経験して「準備は早めに」と学んで実行できるようになれば万々歳!
結末を経験して「準備は早めに」と分かってはいるけれど、実行できなくても仕方ない・・・
これくらいの気持ちで見守っています。 なんせ、親の私ができない人なので、「自分のことは棚に上げて」、子どもに強いるわけにもいかないので。

そんな私が親をしているので、目標は、準備を早めにするではなく、忘れものをせず、必要なことは自分で用意すること。それがギリギリでもよしとします。


*******

親の私的感覚が育児に及ぼす影響って大きいと書いてみて思いました。


私の私的感覚では、子育ての目標である「自立する」「社会と調和して暮らせる」に照らし合わせたとしても、いつまでに準備をするかにこだわる必要はないと思っていますが、

早めに準備をして、丁寧にちゃんと備えたいという私的感覚をお持ちのお母さんには、机の上に明日に必要なものが置きっぱなしのこの状況に陰性感情を持たれるかもしれません。

陰性感情を持つと対処行動を起こしますので、ついつい小言を言ってしまうかもしれません。



もちろん、私も「共同体感覚」からすると、こだわる必要のない「私的感覚」を持っていて、ついつい要らぬ小言を言ってしまうことがあります。なので、子育ての目標は「共同体感覚」に照らし合わせる必要があるということを常に意識したいと改めて思いました。

*******


ちなみに息子は心配症、心配症の息子だからこそ、慎重な行動をし、忘れものをしない、遅刻しないができているのだと思います。課題の分離から学ぶことも多いと私も思えるのですが、
これが「何とかなるよね~」と考える娘ではこの課題の分離だけでは学ぶ前に、多くの方にご迷惑を掛けてしまうような気がし、課題の分離から共同の課題にできる方法を探る必要があるように思います。2年後のお楽しみ?!

2015-08-31

夏休みの宿題終了

夏休みの宿題が終わりました。

読み物については気付いたら読んでました。
あさがおの観察日記は、もう一度声を掛けたその日に書く気になって、サクッと終えました。

最後の計算カードは、夏休み最終日に終えました。
本当は声掛けもせずに課題の分離をしておくべきなんだろうけれど、
残り3日目から、

母「計算カードはどうするの?」
子「今日するわ」

母「計算カードはどうするの?」
子「今日するわ」

と少しずつ進ませてはいましたが、本来ならばコツコツと20日かけてする足し算と引き算を巻き返しで終えるには子どもの集中力に限界があり、息子が「今日はここで終わり」と言うその言葉を受け入れ、足し算10回、引き算5回が最終日まで残っておりました。

最終日はこのままどうするのかな?と思いつつ、「ご飯の前に明日の登校の準備しておこうね」と声を掛けたら、思い出して、自分でサクサクと始めました。

その時すでに17時過ぎ、
「6時には終わるわ!」と意気揚々とはじめたものの、何度も何度も同じことを繰り返すこの計算カード、1順するのに2分はかかるのと、段々、集中力がなくなってきつつも

「僕、頑張ってるよ」と言いながら、一人で黙々と息子のペースで1時間30分掛けて、終えました。


この結末から毎日コツコツした方がいいんだな~ということを学んでほしかったので、
「頑張ったね~」と声を掛けた後、

母「どうだった?」
子「ちょっと大変だった」
母「そっか、次あったらどうする?またこんな風に大変な思いする方がいい?それとももう少し早目に始めた方がいいかな?」
子「最後まで頑張ったよ」
母「そうだね、頑張ったね」

と、何だか、私の意図する方に学んでくれたかどうかは疑問だけれど、最後まで頑張ったことは自分の自信につながったのだろうと思います。

毎日コツコツって私自身も難しいし、最後に巻き返して、締め切りまでに間に合ったのなら、それはそれでいいかなっと。


こんな感じで1年生の夏休みの宿題は終了!!
学年が上がるにつれて、宿題の量も増えるだろうけれど、自分で考えて、自分で進めてくれるようになってほしいな。

それが上手くできないから、世の中の多くの親さんが、「夏休みの宿題が・・・」とため息をつくんだよね。子どもに任せようと決めつつも気になるのが親心。

課題の分離だけでは放任なので、「子どもに学んでもらうために必要な援助を惜しんではいけない」ので、結末についての話し合いをしていこうと思います。その話し合いができるのも10歳くらいまでだからね、あと2回(小3まで)で、私も子どもも色々と学べるといいな。

2015-08-17

夏休みの宿題

早いところは今週いっぱいで夏休みも終わりでしょうか?
息子が通う小学校は9月1日からが二学期からですが、宿題を提出する登校日が来週早々にあるので、宿題を残すところ1週間で仕上げなければなりません。

小学1年生のはじめての夏休みなので、声を掛け、一緒に宿題に取り組みました。
一緒に取り組むといっても 主は息子、これだけは絶対のルールとして、叱咤激励の声掛けで何とか進んでいます。小学1年生の宿題なので、量はそんなに多くなく、親の手助けが必要なのは、自由工作と読書感想文だけですが、これを仕上げるのには、アドラーとはかけ離れた声掛けとなりました・・・。

そもそものスタートとして、課題の分離ができていません。

親の手助けが必要かどうかさえも息子に確認せずに、「今日、やろう!」と進める始末。
親が手伝える日という理由だけで、ここに息子の意見は何も入っておりません・・・。


息子は心配症なので、「宿題を忘れるなんてできません」という考えの持ち主さん。
その性格を利用して、やる気が落ちてダラ~とし始めたら、「これを仕上げないとどうするの?宿題ができませんでしたって先生に言うの?」と息子を脅し、息子は半べそ。

息子のやり方が気にくわなかったら、「こうしたらいいのよ!」と大人の理論で口出し。


学校からのお便りに自由工作とか読書感想文は親がサポートしてあげて下さいと書いてあったので、親の手助けがダメというわけではないとは思いますが、息子が頑張った後に、それでも「手伝って~」とお願いされた時が、親の出番のスタートさせるべきでした。

そのスタート時点からしておかしかったのに、勇気くじきの言葉、言葉、言葉。
言葉を発した後で反省して、軌道を修正することができたので、仕上がった後に「頑張った!」と息子が言った言葉に少しだけホッとしましたが、反省、反省、反省です。


大物の2つはこんな感じで終えてしまいましたが、
読み物、計算カード、あさがおの観察日記が残っています。

読み物については「読んだら○付けて教えてね、確認しましたのハンコを押すからね~」と
計算カードについては「やろうと思ったら声掛けてね、夏休みのうちに20回はしようと書いてあるからね~」と
あさがおの観察日記については「書こうと思ったら書いてね~」と

声掛けはしています。

陰性感情もなくフラットな気持ちでの声掛けなので、声掛けそのものが課題の分離から外れているかもしれませんが、小学1年生、はじめての夏休みなので、OKとしましょう。

声掛けしたときは「分かった!」とステキな返事が返ってきます。
読み物については少し進んでいるようですが、計算カードについては今のところ0回、あさがおの観察日記も書くよりも先に、もう種をができるほど成長を終えております。

いざとなれば最後の週末で終えられるという目安もあり、これらについては、親のサポートがなくてもできる課題なので、私も声掛けだけに留めております。


さあ、息子はどうするでしょうか?

読み物は一気に読んで追い上げればいいとし、あさがおの観察日記については種ができましたでOKとしても、計算カード0回はどのように挽回するのでしょう?息子の考え=学びにちょっとワクワクしてたりもします。



2015-07-29

ラジオ体操

先の記事で口うるさくなっているこの夏休みのことを書いたら、かなり冷静に振り返ることができました。

冷静に振り返ったその気持ちを大事に、
まずは朝のラジオ体操のことについて、息子と話し合いました。

というのは日曜日の夜10時まで起きていて、
月曜日の朝は起きるのが大変だったのを本人が自覚していて話し合うのにもちょうどいいタイミングだったのです。

母「今日は9時に寝た方がいいかもよ、今日の朝、起きるの大変だったでしょ?」
子「そうだね」
母「もうラジオ体操にも一人で行けるし、朝は自分で起きてくれるかな?」
子「いいよ」
母「自分で目覚ましセットしてね」
子「分かったよ」
母「息子くんが起きなくてもお母さんは声掛けなくてもいいかな?」
子「いいよ」
母「本当に声を掛けないから自分で起きてね」
子「はーい」 と
私の声掛けは不要で自分で起きるということになりました。

この会話の通り、しつこいくらいに念押ししましたので、後は見守るだけです。

でも、この見守りのが親としては大変だったりするんですよね・・・。

6時に目覚ましは鳴ったものの、なかなか起きてこない・・・
見守ると決めたものの声を掛けようかどうしようかとやっぱり悩む

待つこと10分ようやく起きてきたものの ボーとしてなかなか着替えない・・・
そんなこんなで時間が過ぎ、 「もう出発しないと間に合わないよ」とイライラしてきても、口出し厳禁と心に決めて、見守る。

でも、出発時間ほんの5分前に追い上げて、顔を洗って、着替えて、歯を磨いて、ダッシュでラジオ体操の会場に向かいました。ギリギリ間に合ったかな?それは不明だけれど、とにかく、ラジオ体操の出席印はもらえました。

課題の分離だけれど、心から分離していないから、イライラ、ソワソワしながらの見守り。
このイライラとソワソワが耐えられなくて、どうしても声を掛けてしまうんだよね。そこを乗り越えないと。

2015-07-27

はじめての夏休み

課題の分離


息子、小学1年生、はじめての夏休み=私にとっても、親としてのはじめての夏休みです。

パートの仕事をしつつの夏休みですが、親子共々、充実した穏やかな夏休みにするために夏休みの計画を立てたはずが、毎日、毎日、こうもなぜ陰性感情が起こるかな・・・と思う日を過ごしています。

アドラー心理学的な夏休みと
学校からのアドバイス的な夏休みに
私自身が悩んでいるのが一つの原因かなっと。

このブログでも何度も書いていますが、 アドラー心理学、パセージでは「課題の分離」というのがとても大事です。

子どもの課題には口出ししないことが、将来を見据えると子どもの味方になるのです。

ラジオ体操に行くために6時に起きなくても起こさない
夏休みの生活の目標に書いた、勉強や生活習慣や家のお手伝いなどをしなくても口出ししない

起きられなくてラジオ体操に行かなくてもそれは子どもが経験から学ぶし、
宿題ができなくて、夏休みの終盤に慌てふためいてもそこから子どもが経験から学ぶし、

口出しをするよりも自分の経験から学ぶことの方が大きいということはそれは私も実体験としてとても理解しています。

しかし、 夏休み前にあった学校での懇談会での先生の言葉「はじめての夏休みこそがとても大切ですよ、これから6年間の夏休みの過ごし方が決まりますよ」が大きく響いておりまして、

子どもが自分の経験から学ぶよりも前に、口出しをしてしまい、やるべきことをさせる夏休みになっています。

この夏休みが6年間の夏休みが決まると言われれば、
「6時だよ、ラジオ体操に時間だよ、起きて」から始まり、
「夏休みの宿題はした?学校との約束で書いた時間(1日1時間)は勉強は終わった?」
「いつ勉強始めるの?」
「おうちのお手伝いはしないの?」
と口出しのオンパレードです。

ただ、6年間もこんな夏休みはイヤなので、課題の分離をして、必要なところは共通の課題として、一緒に取り組みたい。

夏休みも1週間が過ぎました。
ドキドキしていた夏休みの学童も3日目、楽しい!というわけではないようですが、行き渋ることなく通ってくれそうな感じです。

もう少し様子を見て、子どもも私も気持ち的にも時間的にも落ち着いている時に二人でこれからの夏休みについて話し合ってみたいと思っています。

夏休み前半、できれば7月中にその話し合いをして、アドラー的な夏休みに切り替えられるようになりますように。


2015-07-14

あちらにもこちらにもおやつのゴミ

「選択できない可能性」というのをパセージプラスで学びました。

これについてはパセージプラスにも書いてありますが、育児の方法としては毒薬なのだそうで、そうそうに多用してはいけないのですが、 学びの段階として、

あちらこちらでおかしを食べては、そのお菓子のゴミを片付けずにいる子どもたちを例に 「おかしを食べる」「ゴミを片付ける」で選択できない可能性が使えるかを一緒に考えさせていただきました。

学びの前では、おかしを食べるならゴミを片付ける、ゴミを片付けないなら明日のお菓子は食べないというのが選択できない可能性として使えるかな?と思っていたのですが

結果的にはこれは「選択できない可能性」は使えないということになりました。

使えないどころか、それは罰になっていますね・・・と痛いご指摘、確かにそうですね。

やはりここは話し合いが必要でしょうと
「ゴミを散らかっているこの状況をどう思っているのか?」

片付けた方がいいと思っているならば、
「どうしたら片付けられるか?」のアイデアを聞いてみましょうということになりました。

聞いてはみたものの、忘れずに片付けるという、今、できてないことを「できる」というので、いいアイデアは出てきませんでした。

ただ、自分で出したゴミは自分で片付けなくては!という意識があるということが分かっただけでも大きな一歩。

「誰が出したの?」
「いつ片づけるの」
「なんで片づけられないの」

ついつい、片付けられていないゴミを目の前にすると、そういう言葉が出てきてしまいますが、片付けるのを忘れているそうなので、「落ちていますよ」とお知らせだけに留めておくことにします。

2015-07-10

大丈夫、心配ない

このブログを書き始めたこともあり、陰性感情に向き合っています。

陰性感情には色々ありますが、過去へ向かっているのは「後悔」、現在については「怒り」、将来に対するものは「不安」だということを学んでから、しっくりと陰性感情に気が付けるようになりました。

そして、現在の「怒り」の陰性感情については、乗り越えるにはまだまだまだまだ先が長いですが、向き合うことで、子どもたちにとる対処行動を回避したり、感情がどうしても抑えらずにとった行動についても反省し、子どもたちにも謝ったりし、何とか乗り越える方向に気持ちが向かっているように思います。

でも「不安」についてはなかなか乗り越えるには難しいです。

課題の分離が一番いいのであろうということは頭では理解していますが、心を落ち着かせるのが難しい。特に息子の「仲間はずれ」や「体育の苦手」などを考え始めると、起こるか起こらないか分からないことにまで色々と考えてしまい、心がザワザワします。

息子本人は時々イヤなことがあるけれど、友達関係に悩んではいないし、
息子本人は体育を苦手だと思っていないし、

息子本人が「大丈夫」と思っているのに、今はただただ勝手に私だけが「不安」を抱えている状態なのはよくよく分かっていて、本当の意味での課題の分離がしたいのです。

というのは、私の「不安」が息子に伝わっていて、息子は私の「不安」を解消するために 色々と思いをはせていてくれているようなエピソードがあったのです。

意気揚々と遊びに行ったのにすぐに帰ってきたときに
母「あれ~どうしたの?」
子「う~ん、暑いからやっぱりやめた」
母「そっか」

特に暑くもない日に「暑いからやめた」とおかしなことを言うので、おや?と思い、外の様子を見てみると、遊びに出かけたものの仲のいいお友達と友達関係がギクシャクしているA君が野球を始めたようで、野球が苦手な息子は帰ってきたというのが本当の理由だったということが分かりました。

また、体育があった日に時間割に書いてあった項目を見て、
母「今日は体育館でかけっこしたんやね」
子「僕、クラスで2番なんだよ」
母「へ~そうなんだ」

本当に運動が苦手(この点については年長まで支援を受けていた)で、クラスで2番になることは本当に難しいことだと思うのだけれど、2番なんだと言いました。

息子は人見知りな分、よく人のことを見ていて、そして年齢以上に他人の気持ちが分かるところがあるのです。

私が「不安」に思うこともたぶん理解していて、それを思い計ってくれているような気がしています。

そんな優しい息子に私の不安を巻き込んではいけないと思っています。

親に不安をかけたくなくって、必要以上に頑張ってしまう、
親に不安をかけたくなくって、心配ごとを親に相談できない、

こんな親子関係を望んでいるわけではないのです。
息子が元気よく幸せに生きていくために手助けが必要なときは手を差し伸べる親子関係を望んでいるのです。

そして今は本当の意味での課題の分離が必要な気がします。

息子に関する「不安」ではあるけれど、この「不安」は親の課題なのです。 息子が大丈夫と心から思っているなら、大丈夫なんだと心から思えるようになりたいのです。それが今の息子を勇気付ける一番の方法。そのための第1歩、「息子は大丈夫、心配ない」と思うことを決めてみよう。

2015-07-05

夏休みの計画

「夏休みの計画を立てる」という宿題が出たので、小学生になってはじめての夏休みということもあり、家族全員で、夏休みについて話し合いました。

ダンナと私の関係が非アドラーなので、家族会議はとてもハードルが高いのと、息子の夏休みの過ごし方が大きな話題であったので、パセージが提案する家族会議の趣旨と少しずれていたな・・・と終わってから気付きました。

それでも、ダンナにも息子が夏休みに何をしないといけないのか、ということを分かってもらえたし、よかったとしましょ。



小学生になってはじめての夏休み
経験したことがないので、計画表は私が作成しました。
息子に学校からの案内を説明しながら、夏休みにすることを伝えました。

「夏休みの計画を立てる」は息子の課題ではありますが、すっかり、私の課題にしちゃってますね・・・
でも、夏休みの計画を、はじめての夏休みを前に1年生にはハードルが高すぎるだろうと、お手伝いです。お手伝いを超えて、手出しかな?

毎日することについては、息子に決めてもらおうと、余白いっぱいのお手製夏休みカレンダー
夏休みの宿題を自分自身で全てやり遂げるためのお手伝いはするつもりです。

声は出すが、手は出さない

「夏休みの宿題はしなくても、最後には親が助けてくれる」なんてことを学ぶ機会になりませんように。

2015-07-04

部屋の片付け

今日も朝からドッカーンです、それも大爆発・・・
昨日から玄関にほったらかしになっていたランドセル、

母「ここは玄関だから、ここにランドセルは置かないで、片付けてね」
子「分かった」

と昨日の夜から何度かお願いしていたのですが、何度も子ども自身も気付いているだろうに、今朝になっても片付けていなかったので、

母「何度も片付けてと言ってでしょ、片付けないということはランドセルはいらんということやね、もう外に放り出すよ」

とドッカーンと大爆発です。


陰性感情=怒りを持って、息子を恐れさせ、私の言うこと=「ランドセルを片付けさせる」に成功しました。私はランドセルを片付けさせるために、怒りを使ったわけです。

アドラー心理学では感情は自然に起こるのではなく、感情は目的を達成するための道具として、私自身が作り出していると考えるのです。

でも、これは速攻性はありますが、副作用が大きすぎる。
毎日、毎日、ガミガミと言い続けていて、その時、その時は速攻性があるけれど、結局、そのガミガミでも、「ランドセルを片付ける」という不適切な行動がなくなることはないということも私の子ども自身の気持ちを振り返っても、今の子どもたちを見ていても、経験的に理解しています。

「お母さん、うるさいな・・・」「お母さんが怒るから片付けよう」ということを子どもたちに教えたいのでは決してなく、

「家族みんなが気持ちよく暮らすために、ランドセルは片付けよう」という気持ちを教えたいのです。


結果的に「ランドセルを片付ける」という適切な行動が身に付いたとしても、
その裏にある気持ちは
陰性感情=怒りの感情でもってした躾では「お母さんが怒るから」になる可能性が高く、
そこは丁寧に、ランドセルを片付ける意味=社会の一番小さい単位の家族と調和して暮らすことを教えていきたいのです。



さて、この陰性感情の「ランドセル」エピソードはどうしたらよかったのかな?と、自分自身のエピソード分析。

母「何度も片付けてと言ってでしょ、片付けないということはランドセルはいらんということやね、もう外に放り出すよ」と言った私の行動の目的は

「子どもがランドセルを今すぐ片付けたら」解決するのなら、

その目的を達成するために陰性感情を持たずにできるよい対応は何だろうな~

この時点では昨日から何度もお願いしていたから「今すぐ」片付けてほしいわけですから、
そこを伝えてやさしくきっぱりともう一回伝えるか、

「今すぐ」にこだわらないなら、子どもに「いつ片付けるのか?」を尋ねて、解決(解決できる時間)を一緒に探すか、

なのかな?

何れにせよ、陰性感情は持たずにですから、
「まだ片付けてない・・・」と気付いて、陰性感情を持った時ではなく、まずは落ち着いてから。


2015-07-03

ゲーム時間のルールについて -3

結末を経験したけれど・・・

7月になりましたので、ゲームの20ポイントが復活しました。
待ちに待っての7月1日、すでに2ポイントを使いました。

「学習してないのかね・・・」と苦笑いを越して、イライラしてしまいました。
ゆっくり学べばいいと思っていたけれど、現実の私はそうはいきませんでした。

気持ちが落ち着いたところで、冷静に、
母「こんな風に使っていると、後半は夏休み、時間もいっぱいあるのにまた全くゲームができなくなるよ」
子「いいよ」
母「また、ずっと遊べない日がすぐに来ちゃうよ」
子「そうだね、明日はゲーム×(=休み)にするわ」

と言ったので、ほっとしておりましたが、

7月2日、宿題を終えた息子が「ゲームするわ」と・・・陰性感情ドッカーンです、反省。

経験しながらね、ゆっくりね、学べばいいと思っていたのに、即効性を求めてしまうんだよね。
彼はまだ小学1年生、成長の段階と言い聞かせております、自分自身に。

2015-07-01

子どもたちの相性

「仲間外れ」のことをダンナと話しをしました。
子どもたちにも相性があるからある程度は仕方ないというのが私たち夫婦の結論です。


ご近所さんで遊び仲間は小1~小4まで男女合わせて10名ほどいるのですが、それぞれに相性があり、10名みんなでは遊べるけれど、それが2~3人になった時は、遊びたい子と遊びたくない子が出てくるのはある程度仕方がないと思っています。

ご近所さんなので、「みんな仲良く」できればそれが一番。

でも、大人の私も、ママ友さんと4~5名で集まるときはそれはそれで楽しいけれど、その中で2人きりでランチに行こうとなるのは1人いるかいないかの現実を考えると、子どもの世界でもそうなんだろうと。


息子は活発なA君(小2)が大好きです。
でも、A君と息子の興味の幅も違えば、運動能力や器用さに学年以上の差があるのも確かです。
そういうこともあり、A君からすれば息子は遊び相手として物足りないのだと思います。


恐らく、息子も何となくA君のそういう感情を薄々理解し始めている気がします。

そして、仲たがいするのではなく、いい距離感で付き合っていけばいいのかな~と思っています。
A君とは今はこういう関係かもしれませんが、友達の関係はまた変化するかもしれません。成長する段階で、興味が合って、意気投合するかもしれませんし、そういうのを経験しながら、人間関係を学んでいってくれたらいいと思っています。

もちろん、一方的ないじめや暴力など、明らかにその関係性におかしさを感じたならば、手を差し伸べる必要がありますが、先日の仲間外れは私の判断ではギリギリセーフ。


「みんな仲良く」は絶対的に正しいけれど、お互いの関係性において、難しいことがあるのが現実。

ここで親の私が「息子も一緒に遊ぶ」ことをA君に相談し、そして受け入れてもらったとしても、究極なことをいえば、たった1日の楽しさを味わっただけに終わったかもしれませんし、悪い方向に想像すれば、それ以降の関係性をもっと悪くする結果になったかもしれません。

そういうことを考えると、
「見守る」ことは、息子はA君との関係性を学ぶ機会なのであろう、
イヤな思いを経験したことで、相手を思いやる気持ちや、相手がどういう気持ちになるか想像する力を学ぶ機会なのであろうと信じたいと思います。

幸い息子と遊びたいと思ってくれる友達がいるし、ご近所さんという大きな枠の中では上手に遊べているのですから、A君との関係は「注意深く見守る」が、今のところ、私ができる、子どもへのお手伝いかなと思っています。

もちろん、不安は拭い切れませんが・・・その不安は私の課題。

2015-06-30

寝る時間です!

やさしくきっぱりと


我が家の子どもたちの就寝時間は20時です。

小1の息子は20時に寝ないと明日の朝6時に起きられないということはある程度、理解しているようですが、
「今」しかまだ見えていない年中の娘には「20時には寝る」のルールを決めていて、それに眠たくなる時間でもあるので、このルールには納得しているようです。


20時に寝るために、それぞれがそれぞれの時間を管理しています。
ただ、一緒にご飯は食べたいので、夜ごはんの時間は18時です。


夜ごはんまでに宿題は終わっておこう!と
テレビが見たいならそれまでにお風呂は済ませておこう!も
20時に寝ないと明日の朝、起きられなくて、集団登校に間に合わなくなる・・・と心配症の息子は自らの意志で行動しています。

娘はまだ年中で、時間の感覚もまだはっきりと備わっていませんし、本来持って生まれ持った「何とかなるさ~」の楽観的思考で、自分の「今」したいことにすぐに夢中になります。


お風呂に入ったら遊ぼうと息子に誘われましたので、

「お風呂が終わったら、お兄ちゃんと遊ぶけどどうする?」
「お母さん、先にお風呂入るけれどどうする?」

と幾度となく、お風呂に入った方がいいのではないですか?と娘にもお伝えしましたが、聞く耳持たずで、「今」を楽しんでおられました。

私のお風呂が終わりかけの時にお風呂に入ってきたので、プールに入った日でもあったので、髪の毛を洗うのだけお手伝いし、私は先にお風呂から上がり、息子と遊んでおりました。

娘はお風呂でも「今」を楽しんでいたので、お風呂から上がったら、もう20時前。
息子は歯磨きも済ませて寝る態勢。

娘に「もう遊ばないの?」と尋ねられましたが
「もう20時だから遊ばないよ」とやさしくきっぱりとお断りし、髪の毛を乾かし、歯磨きを一緒にしました。

途中でシクシクと泣き始めましたが、
「明日、お風呂が終わって、寝る時間まで遊べる時間があったら遊ぼうね」と声を掛けて、やさしくきっぱりと今日はお断り。

娘本人も、遊べない状況を作ったのは自分自身だと理解しているようで、泣き止んだ後は、自ら「おやすみ」と言って寝に行きました。


明日は明日で「今」しか見えなくて、繰り返されるかもしれませんね。
ま、繰り返しながら、ゆっくり学んでいっていただこう。

2015-06-29

仲間外れ

友達の輪の中に入れてもらえなかったと息子が泣いて帰って来ました。

一緒にいつも遊ぶ同じ小学1年生の男の子はOKで息子はダメだったそうです。集団下校の時に約束したのにも関わらず・・・というのが息子の話です。

友達=○君はお隣さんです。そして、この展開・・・2回目です。正直、この時はお隣さんに対して怒り心頭です。

泣きながらも、平然を装い、
「宿題したよ」
「テレビを見てもいい」と言う息子に私はどうしたら勇気付けできるのだろう?
とにかく状況を確認したくて話を聴いてみることにしました。

突然に話を聴きださず、
「○君が仲間に入れてくれなかった時の話を聴いてもいい?」とノックして「いいよ」との返事をもらってから、詳しい話を聴いたのが上の通りです。



小学生には小学生の世界があるでしょう。親とべったりの幼稚園児とは話が違います。
親がそうそうに出ていっていいものか・・・いつも仲間外れされているわけではなく、仲良く遊ぶ日もあり、気まぐれなところがあるのも確か・・・、難しい。

今回は「見守る」ということで共同の課題にしました。
気持ちに寄り添って、とにかく息子にお母さんは仲間であることは伝えました。


しばらくすると、○君の家から他の友達が出てきて公園で遊びはじめ、その声を聞いて、息子も元気に飛び出し、一緒に遊んでおりました。その中に○君はいませんでしたが・・・。

元気に遊んでいる息子を見て、気持ちも少し落ち着きました。


次があったらどうしよう。

どちらにしても勝手に子どもの課題に親が割り込むわけにはいきません。もし、親が出て行く必要があるならば、それは息子に許可をもらってからですね。もちろん、有無を言わさない状況ならば、違いますが。

軽い仲間外れで終わるといいけれど、深刻にならないことを祈るばかりです。


2015-06-26

雨の中の下校

見守る勇気


私たちの住む街は今日は雨でした。
息子が帰る下校時もそこそこの雨、おおよその帰宅時間前に終えられるパートの仕事をしているので、実質、車で迎えに行くことはできません。

息子が帰る少し前に帰宅し、「雨の中、頑張って帰っておいで」と思いながら、息子の帰りを待っていたところ、5分後くらいに息子が元気に帰ってきました。

傘を差していたけれど、びしょびしょになって、それでも元気に「ただいま~」と帰ってきた息子から「片道30分、歩いたぞ!!!」という息子の頑張りと誇りが伝わってきて、頑張らせてよかったなと思いました。そして、雨について文句の一つも言わず、「着替えたら、遊びに行ってもいい?」と尋ねる息子に自然と「よく頑張って歩いたね」と勇気付けの言葉を掛けることができました。


学年下校での帰宅で一緒に帰るご近所さんは5人
夕食時に息子に聞いたところ、5人のうち3人はお迎えだったそうです。

「風邪をひくんじゃないだろうか・・・」
「びしょびしょになるんじゃないだろうか・・・」
ならば迎えに行こうとなる気持ち、あの雨・・・、よく分かります。

私も今日が仕事が休みで家にいたら、迎えに行っていたかもしれません。


地域によって事情も様々、不審者情報が毎日のように来る地域では、こんな風に悠長なことは言ってられないとも思います。

ただ、今回は雨の中の下校だったけれど、日々の中で、子どもからお願いもされていないのに、先に親が動いてしまう場合はいっぱいあります。もちろん、私も、まだまだ要らぬ手助けをしていることがあると思います。

でも、その手助けをすることで、子どもが経験し、また、その経験から学ぶ機会を奪っているのではないか?ということを、手助けをする前に考える必要があると、今日の息子の誇らしげな顔を見て、再び気付かされました。

子どものことに関する心配や不安は私の課題、その課題に立ち向かうために、見守る勇気をもっと持てたらいいなと思いました。

2015-06-24

苦手な体育を克服する?

パセージとパセージプラスを考案された野田俊作先生が毎日、補正項を書いておられます。
宗教問題から社会問題まであって毎日読むことはできないけれど、アドラー心理学での育児についてもよく記事にしておられるので、学んでいます。

色々な方と一緒にアドラー心理学での育児を学んでいますが、
陰性感情を持った時に、ガーーーーと攻撃的になる方と、・・・と押し黙ってしまう方と大きく二つに分かれるかな~と感じています。もちろん私はガーーーーと攻撃的になるタイプでして、

だからこそ、課題の分離がとてもとても役立っています。
この課題の分離のおかげで、私の小言は本当に大きく減りました。

とはいえ、ついつい小言を言ってしまう本来の性格は変わっていないわけですから、どうしても解決したいと思う課題はついつい共同の課題にしてしまう傾向があります。本当は課題の分離のままの方がいいのについついよかれと思って・・・言い訳です。


諦められない私にも書きましたが、苦手な体育を克服した方がいいのではないだろうかと私は思っています。


コツを捕まえられる天性を持った子どももいれば、コツを教えてもらってやっとの子どももいるわけで、息子は後者。コツを教えてもらって、少し頑張ればできるならば、やってみないかな?という想いが諦められないのです。

そんなこんなで、子どもは決して望んでいないのに、私がお願いして、共同の課題にしたわけですが、

夏休みの街のイベントで
「鉄棒やマット運動が苦手な子、集まれ~」というのを学校からの案内で見て、息子にまた声を掛けてしまいました。

母「こんなイベントあるんだって、行ってみる?」
子「行かない」
母「苦手な子が集まるだって」
子「苦手じゃない、普通」

そっか、苦手じゃないんだね。
ということで、今回はすぐに降りることができました。

そして本題、
子どもを「勇気づける」ために、課題の分離がいいのか、共同の課題がいいのかについては本当に悩みます。

その目安を、野田先生が2015年04月26日(日) の補正項に書いておられたので、自分の学びとして記事にします。


苦手な体育を克服することについては「子どもは望んでいなくて親だけが共同の課題にすることを望んでいる」わけで、そもそも体育が苦手と思っていないのなら、共同の課題にするのは難しいはずですよね。

でも、体育が苦手で、そのことについてからかわれたり、バカにされたりするのではという大きな不安があるのです。起こるか起こらないか分からない不安=陰性感情です。この自分の陰性感情にどう向き合えばいいのだろう?

勉強については「したくなくても、しなければならないこと」なんだけれど、体育はどうなんだろうね?私の中でまた答えが出ません。

2015-06-23

自分で自分のことをする

幼稚園の活動で体育がある日は体操服で登園しなくてはなりません。
そのことをすっかり忘れておりまして、普段着で登園させてしまい、貸していただいた体操服を持って帰ってきて、はじめて気が付きました・・・

母「ごめん、お母さんすっかり忘れていたね」
娘「忘れないでね」
母「お母さんも忘れるからさ、マーカーがある日は教えてくれる?」とお願いすると、
娘「忘れないように、書いておくわ」と


幼稚園の月間予定表に「みてね」と自ら書きました。
(鏡文字と、ねはまだ難しいので、見よう見まねですが・・・)

「幼稚園の準備は自分でする」という子どもの課題は子どもで解決できる能力があるんですね。
親はそのお手伝いで、
幼稚園の年中の行事予定にマーカーをひいて、
毎朝「今日は何かあるかな?」と尋ねる

「体育」と元気に答えたその1分後に体操服ではなく普段着を着ていることもあるけれど、
「今日は体育だよ」「今日は体操服だよ」とお知らせだけすればいいのですよね。

「何で忘れるの?」とかそういうイヤミは一切不要

2015-06-21

戦いごっこー実体的な迷惑?心理的な迷惑?

息子(小1)はポケモンが大好きです。

寝ても覚めてもポケモン、口を開けばポケモンといっても過言ではありません。
ここ最近は自分がポケモンになって、バトルをすることに夢中になっておりまして、ま、多くの男の子が通過する「戦いごっこ」の時期を親は体験しております。


しかし、この戦いごっこ、ふぅ~です。

興奮していて声は大きいし、ジャンプしたり、布団にダイブしたりと激しいので、楽しそうにしている息子とは反対に私の気持ちは「またか・・・」と陰性感情に気持ちが動きます。

それでも、一人で違う部屋で楽しんでいるだけなら、イヤだな~と思うのは心理的な迷惑なので、まだ静観=「不適切な行動に注目をしない」はできますが、


妹相手に勝手にバトルを始めようとするし、
みんながテレビを見ていても大きな声でバトルを始めたりするし、
ここまでくると実体的な迷惑もかかってくるので、

「一人で楽しんでくれるかな?」
「もう少し静かにしてくれるかな?」
と冷静にお願いはしてみるものの、なかなか聞き入れてもらえません。

妹相手は、2人の課題と考えて、親の私は口出しをしない方がいいのかもしれないけれど、
バトルを始めた時点で陰性感情に気持ちが動いていて、
そこに妹相手にバトルを勝手に始めて、妹が嫌がっているのに続けているのを見ると、一気に陰性感情に気持ちが動きます。

楽しい息子にしてみれば、なぜそれが迷惑なのかが分かっていないのか?
それとも、私との権力争いの状態になっているのか?

とにかく、この不適切な行動=親が見ていると陰性感情をもってしまうような行動への対処行動がなかなか上手く見つからないのです。

「やめなさーい(怒)」という陰性感情ではない解決方法を見つけたい。


2015-06-18

ゲーム時間のルールについて -2

ゲームの時間のルールについてですが、6月15日に20ポイントを使い切りました。


守れるルールを作ったのと、
使い切ったあとは、DSは預かることになっているのとで、

父=夫がゲームをしているのを見たり、
母=私に「ゲームをしたら?」と進めたりはしますが、
ルールをこっそり破ってゲームをするようなことはしておりません。
7月になるのを楽しみに待っています。

小学1年生なので、結末について予想がたたないところもあるだろうと、

6月15日までに
「そんなに早くポイントを使ったら、あっという間になくなって、ずっとできない日が続くよ」
「本当にそんなにどんどんポイント使ってもいいの?」と言葉にして伝えましたが、

「いいの、いいの」との返事だったので、

結末を体験して学んでいただこうと思っていたので、
ポイントの使い方については助言だけに留めておきました。

そして、今、結末を体験して色々学んでいると思います。

いや~もしかして、私が学んでほしい、計画的に使うということは学んでいないかもしれませんがね・・・

1回の体験でなく、何度かの体験で学べばそれでいいのだし、そこはゆっくりと、
私の計画的感覚と息子の計画的感覚にはズレがあるかもしれないので、そして、私の私的感覚と息子の私的感覚の違って当たり前なので、だいだいの落としどころで落ち着ければいいのかな~と思っています。

私の私的感覚は15日で20ポイント使い切りは計画性という点では「ギリギリOK」ってところでしょうかね。


2015-06-17

諦められない私

こんな風に、アドラー心理学の勇気づけでの育児を極めたく試行錯誤していますが、なかなか折り合いがつかないこともあります。

その一つが習い事

息子(小1)は習い事をしていません。

小学1年生でゼロというのは少ない方かな~と思っています。息子のやりたいと思う習い事がまだ見つかっていないのですが、時々焦りとなって襲ってきます。

泳げるようになってほしいとか、
体育が苦手でなかなかコツがつかめないのと、私では教えるのが限界であるので、習い事としてどうだろうかとか、親としての想いはあります。


その想いがなかなか消化できません。
諦められない私がいます。

そして、夏休みを前に諦められない私が出てきまして、
「泳げるようになった方がいいと思うんだよね」
「苦手な体育を教えてもらうか」
上手に上手に言葉巧み誘いました。

本当ならば子どもの話を聴いて、子どもの断る権利を認める必要があるのは、百も承知。
言葉巧みに話す私に、「またまたそうやって親の気持ちを押し付けるのね」と客観的にささやく私もそこにいたのですが、でも、諦めらめられませんでした・・・

何とか通ってくれそうな日程と場所を探して提案。
短期水泳教室に2日間、短期体育教室に2日間の申込みに辿り着きました。

昨年通った水泳教室はイヤだという息子の話も聞いて、その気持ちは大事にして、今年は少し遠いところの教室に通うことになりました。

私の気持ちに応えてくれたんだと思います。ありがとうね。

2015-06-15

息子の大切なもの




寝室に向かう息子が「これ大事だから触らないでね~」と言って、寝に行きました。
息子の頭の中では色々なことが想像されていて、とても楽しく私に説明してくれるのですが、正直、さっぱり分かりません。ただ、こんな想像力を持つ息子が私はとても好きで、なかなか的を得られる返事ができないのだけれど、思い描いているものが形になるように手助けしたい思いを持っています。

ステキな感性を持っている息子ですが、この感性を共用できるお友達とはそうそう出会えません。息子なりに色々な経験をし、友達関係を築く方法を探しているようにも思いますが、時には上手くいかないこともあるようです。

発達の段階で、友達への興味を持つのも遅く、言葉の習得も遅く、街の支援を受けてきました。コミュニケーション能力という点ではまだ苦手な部分もあります。

どういう返事をすればいいのか分からず黙っていることもあり、相手のお子さんに、無視されたと思わせるようなこともあります。

そんな小さな積み重ねで、友達関係に悩みを持つ時が来るかもしれないという漠然とした不安を持っています。不安も未来への陰性感情ですが、その感情から抜け出すことはなかなか難しいのが現実ですが、

子どもの味方でいれば、もしも・・・の時に、ちゃんと手助けできると信じて進むしかないと思っています。



「これはね~○○○○といってね、こうして使うんだよ」
「水に濡らしてね、乾かすといいんだよ」
「お母さんも使う?」

本当に楽しそうに話す息子が愛おしくて、息子が私に伝えたいことの1割も理解してあげられていないと思うけれど、この雑談ができる関係が勇気づけできる大前提。

私が聞きたい学校のこととか友達の話とかはほとんどしてくれませんが、息子が苦痛に思うような会話を強要するのは子どもの味方ではないのだろうと思い、私が知りたい「子どもの社会」の話は時々、さらっと聞いてみて、ちゃんと答えてもらわなくても深追いしない姿勢を貫いています。

それでも、時々襲う不安は私の課題として私なりに解決し、共同の課題にしなくてはならない時にはすぐに動けるようにしておきたいと思っています。


 

2015-06-14

「一緒に遊べないよ」

週末の午後、近所の公園に出掛けました。
子どもたちはいつものメンバー(幼稚園児&小学生)と楽しく遊んでいたと思ったら、突然、娘が寂しそうな顔をして近づいて来ました。

私「どうしたの?」
娘「帰ってて言われた」
私「誰がそんなこと言ったの?」
娘「Aちゃん」
私「Aちゃんはなんでそんなこと言ったのかな?」
娘「とびひに水いぼがあるから一緒に遊べないよって言う」

確かに娘(年中)はとびひにもなっていたし、水いぼにもなっていたのですが、それらは完治しています。それに、このAちゃんは小学1年生で、色々な理由で娘を仲間から外そうとするところがあって、今日はちょっと「怒り」に陰性感情が傾きました。

同じように帰ってきた娘に今までは
「そっか、そんなこと言われて寂しいね」
「じゃあ、今日はお母さんと遊ぼうか」と
子どもの課題だし、AちゃんにはAちゃんの理由もあるだろうし、課題の分離ということもあり、私は静観の立場で娘に寄り添っていたのですが、今回で4,5回目、Aちゃんが遊べない理由が「水いぼがうつる」という理由だったので、今回は共同の課題にしてみようと、

私「えーーー、水いぼ治ったのにね。なんでそんなこと言うのかな?どうする?お母さんと家で遊ぶ?まだ、一緒に遊びたかったらは付いて行って、お母さん言ってあげようか?」
娘「お母さん一緒に言って」

と共同の課題になりましたので、一緒に手をつないで、娘の水いぼが治ったこと、治っているから一緒に遊んでも大丈夫なことを伝えて、遊べることとなりました。

冷静に、冷静に、陰性感情を持たずして、伝えるのって難しいね。
年を重ねた私でもこんな時は声がうわずります。

子どもの課題に踏み込んでいいのかどうなのかも含めて悩んだけれど、
 これが数回目だったこと
 娘の了解も得たこと
 相手との年齢差があること
共同の課題としたことで、問題は解決して、それからは一緒に遊べていたから、よしとします。


子どもの友達関係って難しい。
上手に遊べなくって悲しそうな顔をして帰ってくる子どもたちを見ると切なくなるし、だからといって、何でもかんでも手助けするのも子どもが友達関係を学ぶ機会を奪うことにもなるし、

見守りながら、でも、困っているなら共通の課題として解決できる、そんなステキなお母さんになれるといいと思いながらの試行錯誤です。


2015-06-09

ゲーム時間のルールについて -1

我が家にはNintendo3DSがあります。息子が年長の誕生日プレゼントとして希望しましたので、その意見を尊重しようと思い購入しました。

その購入時にルールを決めました。
ルールを決めるといっても、「ほしい」一心の息子にしてみれば、「買ってさえくれれば、何でも守るよ」の姿勢でしたので、実際のところは親の決めたルールに従う形となっていました。

そんなルールではありましたが、30分の約束が35分になったりはするものの、年長の時代はルールを守ってゲームと付き合っていました。しかし、小学生になり、一人で留守番を任せられるようにもなったこともあり、そんなときにこっそりとゲームをするようになりました。

ゲームの時間は自動的に記録されます。
「してない」と言ってもそのウソはすぐにバレることになります。
ルールを守らず、しかもウソをつくようなこの状況は、購入時に決めたルールが悪い=子どもが本当に納得しているルールではないわけですから、ルールを話し合いで決め直すことにしました。


1週間に4日間(この4日間は自分で決める)×30分のルールは


私「新しいルールを決めようか、息子くんはどんなルールがいいと思う?」
子「ルールは20回まで破っていいことね。20回破ったら1週間に遊べる回数が2か3になるにしよう」
私「破る気満々のルールはどうかな、守れるルールを考えようよ」
子「じゃあ、20回をいつでも使ってもいい?」
私「1週間に20回は多すぎるから、1ヶ月に20回でいいかな?」
子「いいよ」
私「1回は30分ということかな?」
子「ポイントにしよう」
私「1ポイントは30分でいいかな?」
子「いいよ」


1ヶ月に20ポイント(1ポイントは30分)で、1日に何ポイント使ってもいいというルールに変更になりました。

息子(小1)と私の話し合いは年齢と経験の差があるので、対等であったかどうかは疑問ではありますが、お互い陰性感情を持たずに和やかに同意したという点ではよかったのだろうと思います。結果的に1ヶ月に遊べる時間は少し増えたわけですから、子どもにもメリットがあったのだろうと思います(それに気が付いている様子はないけれど・・・)。


6月からスタートしたこのルール、9日の時点で11ポイントを使っています。
「こんなペースで使ってたらあっという間に6月のゲームの時間が終わってしまうよ」と伝えてはいますが、20ポイントを使った時点でNintendo3DSは私が預かることになっていますので、その結末は自分で体験してもらうこととしましょう。

これから先もゲームについては子どもとの意見の違いが出てくると思いますが、その都度、ルールを決め直して、上手に付き合っていきたいものです。

2015-06-08

どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか? -3

私も時間に余裕を持つように心がけていると、その分、娘にも目を掛けられる時間が増えました。

課題の分離はしていますので、娘がすべきことに手を出すような目の掛け方ではなく、時間的感覚がまだ身に付いていないかもしれない年中に
「8時だよ」
「あと5分だよ」
「どこまで準備が進んでいるかな?」というようなことを陰性感情を持たずに声掛けすることができています。

私のイライラの原因は私の時間的余裕がないということが大きな要因ですので、それを解決すればよしだったのかもしれません。


陰性感情を持たずして声掛けしても、協力的な行動にならないこともあって、イライラしてしまうこともまだまだあるけれど、4歳、育ちの段階で、もう4歳とまだ4歳が混在しているのだろうと思うこと=成長を待つことも大事かなっと思っています。

ちなみにパセージプラスでは5歳と10歳が発達の節目、中学卒業が「しつけ」としての育児は終了としています。


2015-06-03

どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか? -2

娘と朝の時間の使い方について話し合おうと思っていますが、なかなかその機会がありません。

朝の時間に陰性感情が起きることはあるのですが、
気持ちよく間に合う時間に出発するという点においては今のところ陰性感情はそ れほどありません。 (他に陰性感情が起きるエピソードはありますが・・・)


私の陰性感情が起こる大きな要因は「時間に余裕がない」ということなのだと気が付いた気がします。

アドラー心理学は原因は追究しないのですが、陰性感情に向き合っていくと、そ の感情が起こるパターンというのがあるように思われます。
それは私的感覚に大きく関係しているようにも思いますが、そこまで深いところは勉強不足なので、 実際のところは私には分かりませんが・・・


気が付いたら、「時間に余裕がない」という焦りを子どもたちに向けているのでは?と思えるようになりました。

「時間に余裕がない」=「出発までにしなくてはならないこと」が親の課題なの か、子どもの課題なのか、課題の分離をすれば簡単に解決できるのかもしれない けれど、その分離を娘(年中)とするにはは難しいところがあるのは確かです。

今のところ課題の分離ができているのは
・朝に起こすのは親、起きるのは子ども
・ご飯を用意するのは親、時間までに食べるのは子ども
・先生や幼稚園の提出物を準備するのは親、毎日持っていくものを用意するのは子ども
と分離してはいるものの、

「気持ちよく時間に間に合う通りに出発する」という大きな共通な目標があって、その目標の一致はできているわけですが、これらの課題を完全に切り離すのは娘(年中)には年齢的にも難しいように思います。だからこそ、子どもの課題を親の課題のように思って陰性感情が起きるのかもしれません。

親の送りが不要になった息子(小1)とは課題の分離ができているので、そうい う点ではもう少ししたら解決できる課題なのかもしれませんが、それまでの対処行動は別に考えようと思います。



私が焦るのは私の課題ですから、この課題に向き合ってみようと思います。
・朝は時間に余裕を持って起きる
・「出発までにしなくてはならないこと」を前日に済ませる
・前日に済ませるために子どもの協力が必要なら依頼してみる

何だかとても簡単なように思える気がしてきましたが、
分かってはいるけれど行動できないのが私・・・特に「朝は時間に余裕を持って起きる」できるかな?

とにかく実践あるのみ。
これでもまだ不適切な行動が続くようなら、また対処行動を考えてみるとします。

2015-06-01

どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか?-1

なかなか寝なかったこの日の翌朝
予想通り娘は起きる時間になってもスヤスヤ寝ておりました。

やさしくきっぱりと起きていただきましたが、
それでも眠たいのは変わりなく、ウダウダ、グズグズです。

「ごはん食べようね」
「もう少し急ごうか」
「出発時間まであと少しだよ」
陰性感情を持たずに声掛けをしても、ウダウダ、グズグズです。

出発10分前、まだパジャマで、食卓に座っている娘に
「もうすぐ出発の時間、時間に間に合わないなら一人で留守番するのか!」と

できないことを口にして、脅して、動かしました。

時間に余裕をもって準備できる日もあるのです。
その時は「今日は早く準備ができて嬉しいね」「ね~」と
お互いに正の注目をしているのですが、なかなか毎日には結びつかないのが現実
です。


でも、目についたらそのことに気がいって遊び始めたり、
何をするでもなくボーとしていたり、
不適切な行動=私がイライラする行動する日の方が多いのです。



話し合ったことはあるんです。
「気持ちよく時間に間に合う通りに出発する」という目標の一致も確認しました。
「どうしたら気持ちよく時間に間に合うように出発できるか?」
「早くに準備する」という答えも返ってきました。


これは不適切な行動で関心を得ているということでしょうか?
そういうときは正であれ負であれ注目しないというのがパセージです。


でも、出発する時間はそこにあるわけで、どういう対処行動がいいのかは手探り
中。

答えは娘と私の中にしかないので、もう一度、子どもの話を聴いてみることから
スタートします。

話し合いの結果はまた報告します。

一緒には寝られません・・・

色々なこと=私の陰性感情が次から次から出てくることがあったので、日曜日の夕方はイライラしておりました。


そんなイライラのまま子どもに接するのはよくないことは分かってはいましたが、

私「ごはん食べるよ~」
娘・・・
私「ごはん食べるよ~」
娘・・・
私「先に食べちゃうよ」
娘・・・

で、抑えていたイライラが爆発。陰性感情=怒りを使って、娘を食卓につかせました。

陰性感情を持って子どもを思う通りに動かせたら、私の感情は比較的にすぐに落ち着きます。もちろんいいとは思ってはいませんが、私の感情は熱しやすく冷めやすいので、その後の寝る時間までは子どもたちと落ち着いた時間を過ごせたのですが、

寝る時間になってもなかなか寝ない子どもたちにまたまた陰性感情=怒りを使ってしまいました。

翌日は月曜日で仕事、20時に一緒には寝られません・・・明日の準備や、夜のうちに済ませておきたい家事がいっぱい残っているのです。それは明日、陰性感情が起さないためにも必要なことなのです。

それでも、眠くない娘はチラチラと寝室のドアを開けたり、ゴソゴソから出てきたりしておりましたが、気付かないふりをしました。もうこれ以上は陰性感情を爆発させたくない私なりの対処行動です。

そして、もう少し落ち着こうとお風呂にも入り、陰性感情を使わずに娘が寝る方法を色々と考え、自分が冷静で陰性感情がないことを確認した上で、

私「お母さんはまだ家の用事があるので起きているね」
娘「私も」
私「明日は幼稚園でしょ、朝、元気に起きるためにはもう寝た方がいいよ」
娘「お母さんも一緒に寝ようよ」
私「まだ家の用事があるから一緒には寝られないよ」
娘「一緒に寝ようよ」
私「じゃあ、しばらくトントンしてあげるから、寝てくれる?」と言って、しばらくトントンすると、気分が落ち着いたのか、まだ寝てはいませんでしたが、

私「お母さんは家の用事してくるね、おやすみ」と言って、部屋を離れても起きてはきませんでした。

子どもの想い=一緒に寝たい気持ちを全て受け止められなかったけれど、2人の妥協点は見つけられたかな?

まだまだ、全ての不適切な行動に「やさしくきっぱりと」接するのは難しいですが、1日の締めくくりは何とか陰性感情を持たずに接することができたように思います。

2015-05-28

もうすぐ出発なのに、今、それをするの?

パセージ・プラスで陰性感情に気付くことをも学んだ後に、パセージを再び読み返すと、何だかしっくりしなかったことが「あ、そういうことか!」と思うことがあります。
 
「不適切な行動のなかの適切な側面を探しだしましょう(5-Lの1)」があるのですが、不適切な行動の中にどうして適切な側面を探し出すのだ・・・と子どもが不適切な行動をしたときは、その他のことに注目するのはとてもとても難しかったし、正直、無理だと諦めて、忘れていたけれど、

不適切な行動を全て子どもの行動と考えていたことを、親が陰性感情を持った子どもの行動と考えると、子どもへのまなざしが変わりました。

朝の忙しい、後10分で出発しなければならない時間に
新しい靴下についているタグを丁寧にはさみで外していた娘(年中)を見て、

私「はさみで靴下のタグをとってくれるんだね~」
娘「うん」
私「はさみで靴下切らないように丁寧にお願いね」
娘「うん」と言ってタグを丁寧に切って、「できた!」と嬉しそうに靴下を見せる
私「もうすぐ出発の時間だよ」
娘「分かった」

陰性感情を持たずに声掛けができました。

以前は、陰性感情を爆発させて、
「今はそんなことをする時間じゃないでしょ、出発する準備しなさい」と怒るか
陰性感情を爆発させるのはよくないと理性が働いた時でも
「今は何をする時間かな?」と声を掛けるかくらいしかできなくて・・・

陰性感情に冷静に向き合って、子どもはいつでも適切な行動をしているのだと思うと、
・靴下のタグを自分ではずす
という子どもの適切な行動にその場で気付くことができました。

ただただ、そのやり始めた時間だけが私にとって不適切=イライラを起させたわけです。
そして、10分後に出発するという目的が達成できればそれでいいのだ気付くこと、その目的のために私がするべきこともストンと体験できました。
これが10分の余裕もなく、今すぐに出発しなければならない状態でも、
「はさみで靴下のタグを取ろうとしてくれるんだね~」の声掛けはできるといいな。
そして、今はできないことを説明できたら、「今すぐ出発する」という目的を正の注目をもって解決できるかもしれない。

ただ、言葉には出して確認していないけれど、
娘も私も「出発する時間とそれまでにしなければならないこと」の目標が一致していたから協力的に行動できたのであって、
もしこういう状況で幼稚園に行くよりも、家で遊びたいと娘が思っていたならば、目標が一致していないのだから、お互いに納得できて行動できる目標を探すことが先なのかな?

実践を続けていけば、後での気付きではなく、他の不適切な行動にも、その場で気付き、そして正の注目を与えながら、解決できるはず。親も娘も陰性感情を持たない協力できる方法に自然と出会えるような気がしてきました。

2015-04-01

good enough mother

アドラー心理学「勇気づけ」で「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中です。

私は子どもの不適切な行動にいち早く気が付いて、それに注目して、怒りで子どもたちと接することが多いのです。

「子どものために」の大義名分を振りかざして、怒り(陰性感情)でもってでも伝えなければならないと思っていたけれど、それは何も伝わらないということも理解し始めました。

ただ、ずっと培ってきた陰性感情のスイッチは、「なくしましょうね!」「はーい」で簡単になくなるものではありません。パセージを受講し、目標は見えたけれど、それができない自分の鍛錬が続きます。

なかなか難しいものです。でも、私はgood enough motherになりたいのです。
そんな私のgood enough motherへの「3歩進んで2歩下がる」のそれでも前進していると思っての日々の綴りです。