アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2015-11-26

「予定通り」という私的感覚

私は「もったいない」という私的感覚を持っているんだろうな~と気付いたのと同時に
私は「予定通り」という私的感覚を持っているんだろうな~ということにも気付きました。

私は私が予定、予測、予想することでないことが起きるとどうも陰性感情が起きるようです。
先の予定を立てたいし、その予定通りに過ごしたいという気持ちが大きいように思います。
予測していないことが起きるかもしれないことにワクワクする!という気持ちはこれっぽちもないようです。


でも、子育ては予測不可能で・・・
子どもには子どもなりの想いがあって、それが私の予定、予測、予想には合わないことなんて日常茶飯事です。

だからこそ陰性感情が湧くわけですが、予定通り過ごす=規則正しい生活を心掛けることで自分なりにアドラー心理学に出会う前から陰性感情に対応してきたのかな~と思い記事にすることにします。


1人目が生まれてから、2歳差の2人目が昼寝をせずに日中過ごせるようになるまでの約5年間は

午前中に用事を済ませて
12時前後には帰宅して昼寝
再びの用事は昼寝を済ませた後で、
夜ごはん、お風呂で21時に寝る

という生活を平日、週末関係なくできる限り守ってきました。
家で昼寝をするために、買い物も10時開店を目指して行動しましたし、車の中で寝てしまわないようにと必死に起こしていたり、外食をするのは昼で、夜は家でご飯を食べて、過ごしてきました。

ダンナも私も昼寝がインドア派で昼寝大好き。幸い子どもと一緒に昼寝した後に幸福を感じる!!!という感覚を持ち合わせているので、「昼寝をする!」という共通感覚を持って、我が家は平日も週末も過ごせることができました。
(子どもたちが昼寝をしなくなった今はこの感覚がダンナと私の摩擦となってはいますが・・・)

規則正しい生活をすることで、子どもの行動パターンも予測できるようになり、
言葉では表現できない年齢でも、眠たい愚図りなのか、お腹が空いた愚図りなのかくらいの予測は当たることが多く、そんな風にして陰性感情に自分なりに対応してきたのかな~と思っています。


子どもたちの自分の生活ができてきた今は

遊びから帰った息子に

母「今日のこれからの予定は?」
子「5時半から宿題をして、ごはんとお風呂に入って7時からテレビみるつもりだよ」
と予定を確認するようにしています。

それでも、予定はあくまで予定で変更になることも予想できるようになっているので、5時半に宿題をしていなかったら声を掛けたり、再度、予定を聞き直したりしながら、大原則である20時頃には寝るという「予定通り」という私的感覚を刺激しない対処方法をいろいろと子どもと相談しながら行動しています。



さて、この記事を書いている今日は久しぶりに3時過ぎの娘(年中)の迎え以外に何も予定がありません。「予定通り」という私的感覚を持っていますが、予定がないこういう日は言い換えれば何でもOKという予定なので、これから何をしようかな~と思いつつ、結局、昼寝をしてしまう気がします。

昼寝をしたら時間がもったいないVS昼寝の後に感じる満足感には、満足感に軍配が上がる私
。先に書いた「もったいない」という私的感覚も本当に個々の裁量なんだな~と改めて思い、私の裁量で決めずに子どもの「もったいない」感覚をも聞いてみて相談してみようと思います。



2015-11-19

「聞いてもいいですか?」

美容院に行って来ました。
読む雑誌として置いて下さるのは「オレンジページ」
この「オレンジページ」に掲載されている角田光代さんのエッセイが大好きで、文庫本を買ってしまいました。



今回、読んだエッセイは角田さんが酔って転んで(?)目の周りにアザができた出来事で

目の周りにアザがある角田さんを見て
「どうしたの?」と聞いてくる人と
「何かあったんだろうけれど、聞いてはいけないだろう」とアザのことは話題にしない人

両タイプあって、どちらも角田さんのことを心配して下さっていることには変わりないけれど、心配の仕方が人それぞれですね~という話でした。

私はよほど親しい人には「どうしたの?」と聞くだろうけれど、
どちらかというと「何かあったんだろうけれど、聞いてはいけないだろう」と思うかな。

大人になればなるほど、「何かあったんだろうけれど、聞いてはいけないだろう」と思う相手が多くなったように思います。
そして、聞かずして時にはあらぬ想像をしてしまう。

想像の話を他人さんにしてはならないと一線をひくように心掛けているけれど、

想像から話を膨らまして、そんな膨らました話をいかにも正しいように誰かに伝えてしまう・・・それが噂や勘違いを生み出すんだろうな、ととても興味深く、読みました。



これは子どもとの関係でも当てはまり、
子どもという近い存在でありながら、近い存在だからこそ、聞かずにして、相手の気持ちや状況を分かったように思うことは多々あって、やっぱり、聞かないとその真意は分からないのですよね。

子どもが不適切な行動をしたときには、その目的を勝手に想像しないで、聞いてみる。
聞いてみないと分からないのだから、子どものことだからよく分かると妄信せず、冷静な気持ちになったら、子どもに話を聞いてみる。たぶん、そこに答えがある。たとえ、答えそのものがなくても何かヒントがあるはずです。



話を元に戻して、お友達、知り合いとの関係においても、気になるなら聞いてみようと思います。
単刀直入に聞ける間柄でなければ、「聞いてもいいですか?」と一度ノックしてみて、お相手さんの反応を確かめてみるというステップを踏めば、お相手さんが話したいと思っておられるのか、聞かずにおいてほしいのか、分かるのかもしれない。そうするとそこに変な想像も勘違いも生じない気がします。もちろん、絶対に聞くべきではないこともあるので、そういう線引きを持ち合わせながらの話ですが。

2015-11-17

「もったいない」という私的感覚

小学1年生、年中の子どもたち
お風呂は子どもたちだけで入っていて、時々、一緒に入るというスタイルです。

子どもたちはお風呂が大好きで、遊び場でもあります。
これは小さいころからで、水で遊ぶのが好きな2人は、色々と面白い発想と、観察をしているようで、半分、教育費?ということで、水の無駄遣いは少々目をつぶってきました。

そうはいっても、もう年齢も年齢だし、水の大切さも分かってほしいので、
バスタブいっぱいにお湯を2日間続けていれた後から、
「もったいないことはしないでね」と伝えるようにしました。

でも、「もったいないことをしないでね」の言い回しは否定文なので、「大事にしてね」に言い換えるように、今、鍛錬中です。

でも、ついつい口から出るのは「もったいないことはしないでね」です。


パセージプラスでは「私的感覚」を学びます。
陰性感情が起きるときに「私的感覚」を点検するということを繰り返してみたところ、どうも私は「もったいないことはイヤだ」(肯定文に置き換えると「ものを大事にしたい」)という私的感覚を持っているようです。

この「ものを大事にしたい」という私的感覚には裁量があって、
「大事にしたいもの」の基準、「大事にする」質的感覚の基準などは本当に人それぞれ。

人それぞれなのにも関わらず、
親の私の基準で
「もの大事にしなさい」
「もったいないことをしない」etc とガミガミ言うものだから

子どもからすると
「大事にしているのにどうしてお母さんはガミガミ言うのだろう?」と思うこともあるのだと思います。

それぞれが「大事にする」という筋は通しているのだけれど、その基準が違う。
だからこそ、その違いであるそれぞれの大事の基準を確認して、
その基準を共同体感覚に照らし合わせて、伝えていかなければならないことはちゃんと伝えていけれれば、陰性感情から抜き出せて、「ガミガミ」からも抜き出せるかもな~と思っています。



2015-11-13

社会に貢献する人

アドラー心理学(パセージ・プラス)では「社会に貢献する」ことを学びます。

「勉強する」目的も「社会に貢献する人になる」ことだと考えます。
受験のためでもなければ、親のためでもなければ、自分のためでもないのです。

私自身がそのように自覚して生きてこなかったので、 本当に大事に考えておかないと、1年生、学業を始めて1年にも満たない息子への声掛けが全く意図するものと違う方向へ向かうことがあります。

「100点、すごいね」
「またこの漢字を間違ったのね」

「100点とったらおもちゃを買ってあげる」のような賞
「勉強しないと遊びに行かないよ」のような罰

こんな分かりやすいことはしていないけれど、
成果に対する言葉掛けも勇気くじきになるんですよね。

丁寧な説明は、アドラー心理学論文集の 「勉強をする子に勇気づける」で読むことができます。




さて、「社会に貢献する人になる」というを「勉強する」目的とするために、将来の夢について子どもの話を聞きましょうということをパセージプラスで学びました。

こういう話、私はとても苦手です。
自分自身の子どものころを思い出しても、
「将来、何になりたい?」
「ケーキ屋さん」と 無邪気に答えていたのは幼稚園時代までだったように思います。

でも、目的があるからこそ頑張れる。
学業を終え、社会に貢献する自分を目標にし、
そのために勉強を頑張り、行きたい道を選んでいくわけで、
○○大学入学、○○高校入学という目標はあくまで通過点、場合によっては「社会に貢献する人になる」のに、これらの学歴が必要でない場合もあることを考えておかないと 簡単に見失いそうになるような気がしてなりません。

そのために、将来の夢について子どもと話をし、
お互いに「社会に貢献する人」を想像するのはとてもいい機会だというのはよく分かります。

だからといって苦手意識がなくなるわけではないので、
面と向かって
「息子くんは将来、何になりたい?」
「娘ちゃんは大きくなったら何になりたいの?」
そういう風に話しをすることは難しいので、

息子がブロックで作った作品を「このロボットは走ったり、飛んだりできるんだよ」と話してくれた時に 「おお、いいね~こんなの本当にあったらすごいよね。息子くん大きくなったら作ってね」とか、

娘とままごとで遊んでいるときに「このケーキおいしいよ、本当は食べらないけどね」とままごとなのにふと現実的なことを言うと「大きくなったら娘ちゃんが食べられるおいしいケーキ作ってね」とか、

「社会に貢献する人」を子ども自身が想像できるように声掛けをしようと心掛けています。

もちろん 夢が夢で終わらせないためには努力も必要で、
そのための努力ができるために勇気付けはなかなか難しいところです。


努力をする、しないの結果を受けるのは子ども自身
勉強のことになると子どもの課題なのに、すぐに介入したくなっちゃうので、気を付けないと。

     

2015-11-09

遊ばずに食べる

ごはんをどうしたらサクサクとたべられるのか?

娘はお菓子には欲張りなのですが、
毎食のご飯には興味がないようです。

お腹が空いている、いない、 好きな食事、苦手な食事、 特に関係なく、

お箸で遊んでみたり、
途中で立ったり、

ダラダラダラダラダラダラダラダ1時間近くかけて食べています。

食べるのが遅いのではなく、
幼稚園の給食はサクサクと食べているので、

「遊ばず食べようよ」
「早く食べなさい」
「何分までに食べないと片づけるよ」

と毎食、小言を言っていたのですが、

「家でのごはんをどうしたらサクサクとたべられるのか?」を
娘に問いかけて、娘に考えてもらい、2日後に返事をもらうことにしました。


娘が決めた答えは
「遊ばずに食べる」という模範回答です!!!!

自分で決めた答えですから、実行していただくのです。
「遊ばずに食べる」を忘れているようなら、陰性感情を持たずにお伝えする。

これが簡単に実行できないからガミガミ母さんから卒業できないんだけれど、
毎日の小言で、娘が変わったわけでもないという事実もあるから、鍛錬です。



秋に誕生日を迎え、1歳、成長するのを機会に、
答えは娘自身に考えてもらうことにしました。

日常生活で「お風呂の時間を何時にするか?」などパターン化したようなことは娘自身が考える機会がありますが、このようにもう少し深く、意見を聞くようなことはなかなか持てずにきましたが、
「開いた質問」にも答えられる年齢になりました。たぶん、もっと前から開いた質問もできたのかもしれませんが、私の考えを子供に伝えたい気持ちが強く、閉じた質問をすることが多かったようにも思います。

閉じた質問ばかりでは話し合いには結びつかないこともあるので、子どもの話をもっと聞くために開いた質問を心掛けようと思います。

2015-11-06

下校トラブルのその後

実は、下校トラブル後、息子は身体の不調を訴えることがありました。
熱もないけれど、頭が痛いかも~と言いながら行った日が2日続き、3日目には起きるのもツライと言ったので、意を決して、1日、学校を休むことにしました。

こんなこともあったので、担任の先生より電話をいただきました。

課題の分離を決意した後だったので、
今回トラブルになったご近所のお友達(★君)とは多少ギクシャクしているようにも見えますが、今後の★君との関係は見守るしかなく、息子にとって、本当に遊びたい友達だったのかを考えるいい機会だったと捉えたいと伝えました。

先生も学校の様子から★君との関係が少し変化していることに気付いて下さっていて、様子を見守りますというお言葉をいただきました。


担任の先生は、子どもの言葉をよく聞いて下さる方です。
「はい!はい!先生聞いて~」と積極的に話しかけられる性格ではないので、息子の言葉を待って下さるのは嬉しい限りです。

そんな先生だからこそ、気付いて下さっていて、「自分の意見をしっかり持っている」という言葉をいただきました。


息子の成長過程とそれに関わる療育から、「子どもの言葉を待つ」ということを大事にしてきたこと、
アドラー心理学を基とした育児パッセージでも「子どもの話を聴く」ということを大事にしていること、
これが軸で、息子は息子で自分の意見をしっかり持てているようにも思います。


一つの日常として、

我が家の生活パターンは、夜ごはん→お風呂&テレビ(遊び)→就寝となっているのですが、

夜ごはん終わった後の時間配分は子どもたちが数字が読めるようになってから毎日相談して決めています。


しっかりと時計が読めないときは
母「長い時計の針がどの数字になったらお風呂入る?」
子「3」

時計が読めるようになった今は
母「何時にお風呂入る?」
子「7時15分」

テレビを見たい曜日は
母「寝るまでの時間まではどんな予定?」
子「7時から○○を見てからお風呂入る」
母「○○を見終わったらもう寝る時間になるから先にお風呂に入ってもらってもいい?」
子「分かった、これ(遊び)が終わったらお風呂入るわ」

こんな風にスッキリと話が終わらない日もありますが、そういうときも、子どもと私が「いいよ」と思える時間を相談しています。

こんな風に相談するようになると、
「早くお風呂に入りなさーい」とガミガミ言うことは減ってきます。自分がお風呂に入る時間を決めたので、「お風呂に入る時間だよ~」だけの言葉で、すっとお風呂に入ることが多いのです。


また、子どもの意見を尊重するためには、親がその時間に合わせるのではなく、子どもが子どもだけで一人でお風呂に入れるように自立のために手助けをしました。

親が思う「しっかり」とは洗えてないかもしれませんが、そこは目をつぶりつつ、2~3日に1度は一緒に入れるように親が時間を都合をつけたりして、時々、見守っています。


小さな日常の一コマですが、日常の一つ一つを子どもたちが考え、決めていることが、先生からの「自分の意見をしっかり持っている」という言葉につながったのかもしれないとも思っています。

そして、こんな風にしっかりとした意見を持っているならば、根掘り葉掘り、「★君との今日」を尋ねて確認するよりも、見守ることの方がいいように思うということになりました。

担任の先生と同じ方向を向けていることが確認できてよかったです。