アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-02-13

アドラー『人生の意味の心理学』- 100分 de 名著

2016年2月の100分de名著はアドラー心理学
録画してまとめて2回分見ました。

アドラー心理学での子育てに出会って4年目、子育て中心の話でしたので、この2回分のお話も新鮮な気持ちで視ることができました。

実は「嫌われる勇気」もまだ読んでなかったりします。
本は図書館で借りて、本当に必要な本だけを手持ちにしたいと思っているのですが、「嫌われる勇気」の予約数の多いこと、多いこと。その予約数の数に圧倒されて、予約さえもしていないのですから、読むのはいつになるやら?

さて、アドラー『人生の意味の心理学』- 100分 de 名著での伊集院さんのコメントに、学んだころの自分を見ているようで、うなずきながら視ています。

「劣等感」を持ちながら生きておりますが、それを克服するのに私からすればとてつもない努力と思えるようなものはしない(と決めている)ことも分かり始めているので、「ありのまま」の自分を受け入れられるようになりました。その反面、少しの勇気は持ち合わせているので、やってみようと思うことはひょいと始めることもあります。

アドラー心理学を学び始めたのも、
たまたま街の市民講座の案内を見たのがきっかけで、
「おもしろうそう!行ってみよう!」と申込み、
「もっと深く知りたいな!そうだ、自助グループに参加しよう!」と代表の方にメールを送る
こういう行動には躊躇なく進みます。

もちろんもっと深い対人関係が必要なときは「相手はどう思うだろう?」ということに思い悩んで、結局、行動しないこともありますが、そういう風に思い悩むことに疲れるくらいなら、ならば一人で行動しよう!と決めることもあったりします。
(この行動についてはたまたま見た【再放送】心と脳の白熱教室の第3回「あなたの中のサイコパス」で興味深く、ひも解いてくれてました。ストレス回避できる術なんだそうです。)


今の状況を変えたいと思っていても、動けない、動かないと色々理由をつけるのではなく、
動かないと決めているのは私という主体性というものの考えをすると、違った考えにも出会えたりしますね。時々、自分を見つめ直したり、自助グループで掘り下げてもらったりして出会う自分自身や考えに、「ハッ」とさせられて、嬉しいような恥ずかしいようなイヤではないけれど何とも言えない気持ち(勇気を持てば変えられるのだけれど、それを変えないのは自分自身でしょ?と突きつけられる感じ?)になることもあるけれど、それから学ぶことはいっぱいあります。

比較的すんなりとアドラー心理学の考えが私の中にすとんと落ちるには、たらればで後悔を踏んだ上で、「行動しなければ何も変わらない」、「ま、とにかくやってみるか」という考えを学んで、そして行動に移した経験や周りの行動力のある友達の影響など、過去があってこそだと思うところもあります。だからこそ、子どもたちにも苦い思いや悔しい気持ち、これらの経験をしてほしいと思っています。


第3回目は2月17日(水)午後10:00~ Eテレ
「課題の分離」を取り上げられるみたいです。
アドラー心理学で学んだ「課題の分離」は私の中で、特に子育てにおいて、色々な考えを変えてくれました。それを岸見氏が指南される、興味深いです。


2016-02-11

失敗は不適切な行動ではありません

この記事を書いた時の私から少し成長したと思います。
今の私がアドレリアンとしてどの位置にいるかは分からないけれど、この記事が口先アドラー、非アドラーであるということは分かりました。自省するためにこの記事は残しておくことにします。

*****


小学1年生と年中を育てている今、子どもは失敗をいっぱいします。
ただただ頑張ってみたけれど、上手くいかなかっただけということがいっぱいです。

特に年中の娘は好奇心が大きく、「自分でやりたい」がいっぱい

牛乳をコップに入れてみようとしたけれど、こぼれたとか、
ちょっと手を伸ばしたら、ご飯茶碗に手があたって床にこぼれちゃったとか、
物を取ろうとして、イスにのぼろうとしたらバランスを崩してこけちゃったとか、

そういう失敗を通じて成長するんですよね、子どもたちは。

頭ではよく理解しているんですよね~
「物を取ろうとしてイスにのぼろうとしたらバランスを崩してこけちゃったとか」はガミガミ母さんの私でも、イラっとはしませんが、

牛乳をこぼされたりすると本当にイラっとします。だから、牛乳をコップに入れように頑張っている姿をみたら、子どもの失敗からのイライラを避けるために「お母さんがするよ」と代わってやって、子どもの経験を奪ったりすることがあります。

これはお手伝いでもそうで、娘が夜ごはんの準備を「手伝おうか?」と申し出てくれるのに、「今日はいいわ」とお断りをしてしまうのですよね。特に仕事から帰って、急いでご飯の支度をしている時の申し出は嬉しいものの、実際、手間が増えるわけですから、断固拒否です。

そんな日常を送りながらも、モヤモヤしています。
成長を望んでいながらも、その成長の芽を摘んでいるように感じているからですかね?

そんな日常を見つめて、子どもの失敗に私がイライラする目的を考えてみます。

牛乳がこぼれる→掃除をしなければならない→私の手間が増える→いらないことをしないで!私に迷惑をかけないで!となるわけです、私の場合は。

この一連の流れのどこかを改善すればいいわけですよね?

「牛乳がこぼれる」前に断ち切っては、子どもの経験を奪います。
「掃除をしなければならない」では、牛乳がこぼれたままの部屋で過ごすには色々不都合です。

というこで、「私の手間が増える」を改善することにしました。

私の手間ではなく、子どもの手間にしてもらおうと掃除は子どもに任せることにしました。
子どもたちがすぐに動けるように雑巾は子どもの手の届くところにおいておきます。

牛乳がこぼれたら

母「牛乳を自分で入れようと頑張ったんだね」
子「うん」
母「頑張ったけど、こぼれっちゃったんだね」
子「うん」
母「こぼれた牛乳はどうしようか?」
子「キレイにする」
母「じゃあ、お願いね」

牛乳を入れようと頑張ったことを認めて、こぼれたという失敗から学ぶ、これが理想かな?
自分で掃除をすることがはじめてならば、その掃除の仕方は丁寧に教えればいい。
小学1年生と年中が親が求める完璧な掃除ができないだろうけれど、そういう流れを過ごすことで、感情的になりそうな場合も落ち着けるかな?

突発に起きる出来事だからこそ、冷静に対応できるといいな。

そして、掃除をした子どもにも勇気づけの声掛けを、これが一番大事。

2016-02-08

兄妹の成長の違い

アドラー心理学に基づく育児「パセージ」を振り返る機会がありまして、
「不適切な行動には注目せず、適切な行動に注目しよう」をいつも以上に心掛けていたある日

母「あと5分だよ~」の声掛けにも「は~い」と答えながらも年中の娘はのらりくらりと朝の準備をして、バスの時間に間に合わないということがありました。
その日は結末の結果を経験してもらおうと私も心を決めており、帰宅後に朝の準備について娘と話をしました。

母 「今日はバスに間に合わなかったね、娘ちゃん、バスの先生にご迷惑掛けちゃったね。明日はどうしようか?」
娘 「間に合うように準備するわ」
母 「じゃあさ、時計の針が3(8時15分)になるまでに全部の準備できるかな?」
娘 「明日はね、5時に起きてね、テレビを見たいから、テレビを見るわ。それでご飯食べて、服を着替えて、準備するわ。私、5時に起きたことあるから!」
母 「頑張ってね」

いつも7時過ぎにしか起きない娘が計画した5時起き

何だかあまりにも突拍子もない答えが返ってきたので、あきれたのと同時にあまりの自信たっぷりな言いっぷりに心からの応援というわけではないけれど、その計画を否定せずに見守ることにしました。

翌朝は本当に5時台に起きて、テレビを見て、6時過ぎに起きた私を「おはよう」と迎えてくれました。


しかし、その翌日は少しの声掛けで時間通りに出発できたものの、翌々日は8時10分でもパジャマのまま・・・・

息子は少しずつ少しずつ確実に一歩ずつ成長という感じですが、娘は大きく一歩、そして後退、それでも着実に成長という感じで、個々それぞれ成長の仕方も違うのですよね。

成長の振り幅が大きくって、どのような手助けが娘にはいいのかはまだ手探り中ですが、
まずは「やればできるのになぜやらない」という陰性感情を持たないことから始めようと思います。それが娘の成長の手助けになるような気がします。

2016-02-05

「課題の分離」で手助け

明日の準備を連絡帳に書き留めるスタイルに移行してから早2週間

連絡帳を忘れて帰ってくる・・・
さんすうの教科書を入れ忘れている・・・

そんな日々を過ごしながらも、少しずつ成長しているようにも思います。
初日は「連絡帳のどのページを見て、準備したの?????」という状況でしたので、教科書1冊の入れ忘れは成長の証ですよね!

この成長に注目して声掛けをしていければいいのだけれど、
出てくる言葉は「さんすうの教科書は持っていかなくていいの?」

陰性感情を持っての声掛けではなく、ただただの確認なので、よしとしますか?
成長の段階なので、声掛けによる手助けでもいいかな~と思っておりますが、この声掛けも一段落したら、子どもに声掛けが必要かどうかを確認したいと思っています。


実は成長の目安として、私の声掛けに対して、子どもから「わかってる」「しってる」と言った返事が返ってきたら、手助けの方法を変えていこうと決めておりました。

そして、ここ1ヶ月ほど前から、息子からそういう返事が返ってくるようになりました。


登校前、起床~朝食~歯磨き~トイレ~出発までの流れはほぼほぼ完璧なのに、

ちょっとのんびりしている様子を見た時についつい
「あと5分だよ」と声掛けをしたら、
小学1年生の息子から「わかってるって」という返事が返ってきたのです。

何か一つ成長の段階を上った気がするので、親の私も成長の手助けの方法を見直す時期だと思っています。

息子が「わかっている」のだから、ここはやはり課題の分離ですよね。
親も心を決めていかなければなりませんね。