アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-04-29

相乗効果

「課題の分離」3日目、息子は熱を出して学校を休みました。
黄砂と花粉症で鼻づまり、くしゃみ、咳だと思っておりましたが、風邪の症状も出始めていたんですね。吐き気もあって、診断は胃腸風邪でした。

そういうことで、その日、私は仕事を休みました。

仕事が休みになったので、普段は送っていくところを娘はバス通園となりました。

その日は雨。雨だけれど、決して長靴を履かない娘は、いつもの靴。
それもメッシュですぐに濡れるのに、水たまりに足を入れ始めました。

雨の日に長靴を履く、履かないについては課題の分離で、陰性感情からサヨナラできていますが、メッシュのスニーカーで水たまりに足を入れるのを見ると陰性感情を持ちました。

今までなら
「濡れるよ~」
「やめようよ」
「やめなさい」の3段階で、最後は怒りの感情を持って、娘のその行動を止めさせていましたが、静かに見守ることができました。

何度か経験済の娘は濡れることを知っていても、水たまりで遊ぶことの楽しさを選んでいるのかもしれませんね。ま、聞いてみないから彼女の想いは私の想像なんだけど。

雨で靴下が濡れるのは親の私からしてみれば不適切な行動なんだけれど、娘にしてみれば、水たまりでバチャバチャできる最高の遊びなのかもしれません。

ならば濡れないように長靴を履けばいいのにと私は思うけれど、娘には娘なりに考えがあって、いつもの靴で水たまりに入ることを選んでいるのだろうね。次の機会に聞いてみよう。

そう思うと、今日は陰性感情を持ったけれど、次の雨の日が楽しみになってきました。娘の目的を聞けば陰性感情から抜け出せるような気がしてきました。

相乗効果で、娘の行動への陰性感情の付き合い方も少しは上手くなったかな?と思っています。
それでも他にまだまだ色々とありますが、それも一つ一つ丁寧に向き合えば、一つ一つずつ陰性感情から抜け出せるのかもしれません。

2016-04-27

「課題の分離」2日目

「課題の分離」2日目の朝、息子はちゃんとお箸を洗って、給食袋の準備を済ませておりました。
洗わずに、「洗った」と言うかもな~とも想定していました(どれだけ、私は息子のことを信じていないのでしょうか・・・書きながら反省です)ので、

そのことに気付いたときに「お箸、洗って準備したんだね」と適切な面に声を掛けることができました。そのときの息子はパッと華やいだ顔にしましたよ。
こういうことを繰り返して行けるといいですね、私も息子を勇気づけられた!と実感できたように思います。

音読は結局せずにそのまま登校しました。

体育のある日で、体操服を着るのを忘れているようでしたが、最後の最後に思い出して慌てて着替えておりました。

私はハラハラしながらも、どうするかな~?と思いながらの見守りになりました。
このハラハラを向き合うのは私の課題ですから、何とか頑張ります。

そして、昨日の出来事があって、息子も何かを学んでくれたのでしょう。
今日の息子は給食袋を夜ごはん終了時には出しており、寝る前までに音読も済ませました。
音読を済ませた国語の教科書は机に置いたままですが、「入れるの忘れてた」と言っておりましたので、明日の朝、入れてくれると信じましょう。


今回の課題の分離は私なりに丁寧にステップを踏んでいます。
実は何度か課題の分離をしようと試みたことがあります。今までは、息子と話し合いをせずに勝手に私が決めて始めたので、上手く課題の分離をできずに終わっておりました。
今回は息子からの「できる!」の声があり、それが私の心からの課題の分離を進めてくれたように思います。



2016-04-26

「課題の分離」宣言!

月曜日、課題の分離を息子に宣言をしました。

パセージをもう一度見直して、色々とシミレーションして、どういう言葉が息子を勇気づけできるのかを自分なりに考えて、

「宿題は?明日の準備は?の声掛けをこれからは止めることにした」こと
「あなたはできると信じている」ことを私なりの言葉にして、課題の分離を宣言しました。

息子からの返事は「できる!」と心強い返事でした。

息子の「できる!」を信じよう。
見守るのが苦手だけれど、覚悟は決めました。

「8時までには宿題を済ませるわ~」と自ら宣言しておりましたが、今は7時30分過ぎで、まだ遊びの真っ最中です。今までなら「もうすぐ8時だよ~」と声を掛けていましたが、見守ります。覚悟を決めたので、いつもより気が楽です。

「どうするんだろうな~?」という気持ちはぬぐいきれませんが、それは不安という陰性感情もありますが、何を子どもは学ぶだろうか~という期待という陽性感情のような、複雑な気持ちです。


*******

さて、この日の結末は
帰宅したお父さんから「宿題は済ませたの?」の声掛けがあり、息子は「あ、忘れてた」と、ドリルを済ませました。ドリルは済ませましたが、もう一つの宿題である音読は忘れたままです。(お父さんからの息子への声掛けにホッとしたのが正直なところです)

どうするんでしょうね?朝に思い出してするのでしょうか?

そのときに私が陰性感情を持たずに勇気づけできるように、色々なパターンをシミレーションしておきます。


洗うべき給食袋(コップ、お箸)については、夜の洗い物が終わった後に出してきました。(夜の洗い物の前までに出してほしいことは以前から伝えてあります)


子「もう洗い終わっちゃった?」
母「うん、洗い終わっちゃった」と陰性感情を持たずに返事ができました。

そして、その洗うべきコップ、お箸は給食袋に入ったまま、食卓に置いてあります。

寝る前に
母「どうする予定?」
子「明日の朝、洗うわ」
母「洗わなきゃと思っているんだね、お願いします」 

「洗わずそのまま持って行くわ」ということも想定していたので、洗わなければならないことが分かっているんだと適切な面に気が付きましたので、こちらも陰性感情を持たずに「お願いします」と言えました。

こうしてシミュレーションをしておくことは、陰性感情から抜け出す、私の一つの方法のようです。

今日はこうして冷静に対応できましたが、何日も繰り返されたときに「いいかげんにしなさい」と爆発するのではないかということを私自身の課題として心配しています。私の学びに時間がかかるのと同じように子どもの学びにも時間がかかるということを軸にしておきたいと思っています。





2016-04-22

「すっかり忘れています」からステップアップ

再び週末です。

今週は当番ではないので給食エプロンは持ち帰ってきませんでしたが、金曜日は上靴と体育用の帽子を持ち帰って来ました。

で、やっぱりすっかり忘れています。

そこにどうしても陰性感情を持ってしまう私。
その気持ちのまま「共同の課題」にしたところで根本的な解決にはならないのだと分かっているけれど、「でもでも」と自分自身に言い訳をして、息子に声掛けをしてしまう。

「意識的下手」から「意識的上手」へステップアップするためには、覚悟を決めよう。

私は「課題の分離をする」と決めます。

これは「子どもの課題」
結末をしっかり体験してもらおう。

息子の行動にどう私は勇気づけられるかをシミレーションしておこうと思います。
咄嗟に「勇気づけ」ができる「無意識的上手」に一気には成長できないんでね。





2016-04-20

エピソード分析

エピソード分析の方法を学んで間もなく1年になります。
陰性感情に気が付いて、反省、時々、ブログにその事例を報告していましたが、もう少ししっかりとエピソード分析の方法に沿って鍛錬してみようと思います。

エピソード「朝ごはん」

娘が朝ごはんを食べています。途中、立ち上がってトイレに行きました。
トイレが終わった後、水槽の魚に餌をあげていたので
私が「ごはんが途中だよ」と言うと席に戻りました。
しばらくして、再び、立ち上がってトイレに行きました。
トイレが終わった後、席にもつかず、食卓に置いてあったジャムの空き容器で遊び始めました。

母 「遊ぶならもう終わり」と、おかずが残る皿を片付けました。
娘 「はーい」 残念そうでもなく答えました。
母 「ごはんを大事にしないなら、今日はお菓子なはいよ」

陰性感情が起きた(私が不適切な行動と思った)のは、ジャムの空き容器で遊び始めたときです。

対処行動
「遊ぶならもう終わり」

ライフタスク
ごはんを食べずに遊んでいること

思考
・なぜごはんを食べないの?
・食べ物を大事にして、残さずに食べてほしいといつも伝えているのになぜ分かってもらえないのだろうか? 
このときの感情は怒り(度合は-4)
 
私的感覚
・ごはんは残さずに食べてほしい

食べ物を大事にすることは共同体感覚に照らし合わせても正しいように思います。残さず食べられるように、食べる前に娘に食べられる量を確認し、その分だけを準備しました。

そういう状況からすると娘が
「食べられるかな~と思ったけれど、お腹がいっぱいになったからお母さん食べて」と答えてくれると嬉しいです=仮想的目標

この仮想的目標は協力的なので、これを実現するために私が考えた代替え案

母:もうお腹がいっぱいなの?残っているこのおかずどうしようか?
娘:食べられるかな~と思ったけれど、お腹がいっぱいになったからお母さん食べて

よし、次に同じようなことが起こったら、この言葉掛けにしてみよう。


様々なことに陰性感情を起こしているように感じているけれど、こんな風にエピソード分析をしていくと、整理されてよく似た事例(エピソード)が出てきても陰性感情を起こさずに優しくきっぱりと対応できるようになるそうです。

その言葉を信じて、エピソード分析をやってみようと思います。



アドラー心理学の考え方が自分には合っていて、自助グループに参加するなどして勉強はしていますが、私は心理学の資格等は一切持っておりません。
この導いたものがアドラー心理学という面から正しいのか正しくないのかは自分さえも分かっておりません。勉強中の身である者のエピソード分析だということをご留意下さい。

自己詐瞞

1年生から2年生になりました。
1年生の学校への持ち物については「親も責任をもって準備して下さい」でしたが、 1年生の3学期の途中から、「親の手を離れ、子どもたち自身で準備ができるようにして下さい。そのために親は見守って下さい」に変わりました(明文化されたわけではありませんが、こんな雰囲気が漂うようになりました)

「親が見守る」これが難しいです。
学校が望む「見守る」は忘れ物なく登校させて下さいという意味でしょうか?

懇談会のときに、「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」と言われましたので、私はどうしてもそのように捉えてしまいます。

子どもの性格にもよりますが、「忘れ物」という点においては、心配性の息子の場合、結末から学ぶのが学びが早いように思われるのです。

「忘れても何とかなるわ~」という楽観的に考えられる性格でないので、「忘れた、どうしよう・・・」という不安を感じてしまうのです。その経験は息子には大きく、その不安を再び経験しないように注意できるようになります。

なので、何回か忘れ物を経験し、成長していける=結末から学ぶと思うのですが、「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」と言われたこの言葉が私に課せられた学校からの課題のような気がして、

体育のある日に体操服を着ていない息子に「体育があるって言ってなかったっけ?」
週末持ち帰っていた上靴を持っていない息子に「今日は月曜日だからいつもより荷物が多いよ」
と、声を掛けてしまうのです。

これではいつまでも親が声を掛けてくれるということを学ぶだけ、自ら整えることを学ばないので、課題の分離と結末から学んでほしいと思っているのですが、
「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」は親の課題だとすると共同の課題として、忘れ物をしないためには家庭内で取り組むしかないのかな~とか思ったりすると言う私に

人生はシンプルで、するかしないかのどちらか
しない理由をつけて見つけ出しあれやこれや言うのは「自己欺瞞」なんですよと先日参加した特殊講義で教えていただきました。

「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」が親の課題と感じている私、私の課題ならばそのことについて学校と私が解決するべきこと。

間もなく家庭訪問があるこの時期、この課題を整理するのはちょうどいい。
学校(担任の先生)の意見もお聞きできるし、我が家の考えもお伝えできる

「学校で勉強するために必要なものは息子自らが整えることが自立へとつながる」という目的のため、学校と私とが同じ方向を向いていけるといいな~と思っています。



2016-04-18

すっかり忘れています

以前にも書いた「給食エプロン」

この週末も持ち帰っており、本人が気付くまで放っておこうかと思いましたが、 週末の間に何度か本人自らも気付くチャンスがあり、私からも思い出させようと色々と声掛けをしても、まったく気が付かず、思い出さず、完全に忘れていました。

小学2年生の男の子ってこんなもの?
記憶そのものがすっぽりと消えているほどの忘れっぷりにびっくりです。

その行動が不適切であることは知っており、適切な行動を知っているが、適切な行動をしても望む結果が得られないと信じている取ってもようでもなく、

どちらかというとその行動が不適切であることは知っているが、どうすれば適切な行動ができるのか知らないの方が近いのかな?
思い出したときの「あ!」がとてもシンプルなのです。

きまりきった、宿題をする、明日の準備をするなどの日々の作業については忘れることなく取り組める。それどころか、今日の宿題は「計算ドリル5と6」と詳しいことまでも覚えているのに、給食エプロンや上靴の持ち帰りとかは完全に忘れています。でも、図工に必要なものとかは覚えてたりするので、彼の記憶は私にしたら謎だらけ。

すっぱりと忘れている彼にどのような助けができるのか?と思案中

実は全く覚えていないなんてあり得ないと決めつけて、勇気くじきをしちゃったんですよね・・・。