アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-04-20

自己詐瞞

1年生から2年生になりました。
1年生の学校への持ち物については「親も責任をもって準備して下さい」でしたが、 1年生の3学期の途中から、「親の手を離れ、子どもたち自身で準備ができるようにして下さい。そのために親は見守って下さい」に変わりました(明文化されたわけではありませんが、こんな雰囲気が漂うようになりました)

「親が見守る」これが難しいです。
学校が望む「見守る」は忘れ物なく登校させて下さいという意味でしょうか?

懇談会のときに、「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」と言われましたので、私はどうしてもそのように捉えてしまいます。

子どもの性格にもよりますが、「忘れ物」という点においては、心配性の息子の場合、結末から学ぶのが学びが早いように思われるのです。

「忘れても何とかなるわ~」という楽観的に考えられる性格でないので、「忘れた、どうしよう・・・」という不安を感じてしまうのです。その経験は息子には大きく、その不安を再び経験しないように注意できるようになります。

なので、何回か忘れ物を経験し、成長していける=結末から学ぶと思うのですが、「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」と言われたこの言葉が私に課せられた学校からの課題のような気がして、

体育のある日に体操服を着ていない息子に「体育があるって言ってなかったっけ?」
週末持ち帰っていた上靴を持っていない息子に「今日は月曜日だからいつもより荷物が多いよ」
と、声を掛けてしまうのです。

これではいつまでも親が声を掛けてくれるということを学ぶだけ、自ら整えることを学ばないので、課題の分離と結末から学んでほしいと思っているのですが、
「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」は親の課題だとすると共同の課題として、忘れ物をしないためには家庭内で取り組むしかないのかな~とか思ったりすると言う私に

人生はシンプルで、するかしないかのどちらか
しない理由をつけて見つけ出しあれやこれや言うのは「自己欺瞞」なんですよと先日参加した特殊講義で教えていただきました。

「必要最低限として学校で勉強をするために必要なものは持たせて下さい」が親の課題と感じている私、私の課題ならばそのことについて学校と私が解決するべきこと。

間もなく家庭訪問があるこの時期、この課題を整理するのはちょうどいい。
学校(担任の先生)の意見もお聞きできるし、我が家の考えもお伝えできる

「学校で勉強するために必要なものは息子自らが整えることが自立へとつながる」という目的のため、学校と私とが同じ方向を向いていけるといいな~と思っています。



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