アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-05-28

子どもの話を聴こう。適切な行動に注目しよう。

エピソード分析をして、学びはありましたが、それでも上手くいかないときはあります。
私の私的感覚は変わらないけれど、娘は成長し、また違う考えを持ち始め、今までの対応では上手くいかない、そして私はそのときの不適切は行動に注目して、陰性感情を持つということがあります。

以前の「朝ごはん」のエピソードもいろいろと形を変えて、私の私的感覚を刺激し、私は陰性感情を持つことがあります。

私の私的感覚、ごはんは残さずに食べてほしい=食べ物を大事にするはあまりにも抽象的で子どもたちに上手く伝わっていないのでしょうか?

ごはんを食べるという日常の中で、私は娘と「食べ物を大事にする」ということについて

食べられそうな分を子どもに予め確認したり、
キライなものはほんの少しだけ頑張ってみたり、
と相談しながら学んでほしいと願っていて、そのように行動にもうつしているのだけれど、なかなかうまくいかない。

例えば、ビュッフェで食べられると思ってお皿にいっぱい盛ったけれど、食べられなくて残してしまったというようなことです。「食べられる分だけね、あとからおかわりしたらいいよ」と声掛けしても、「食べられる!」と言う、そして、言葉を信じて、娘の言う通りの分量を取り分けたのにも関わらず、やっぱり残すということが繰り返されています。私の私的感覚はこの行動が何度も繰り返されると、どうしても容認できなくて、ドッカーン(怒り-5)となるわけです。

娘も私が怒ることを学んでいて、私が怒らないように、食べられないものを隠したり、兄のせいにしてみたり、娘も娘で対処行動を色々と考えて行動を起こします。またそれに対して、私が陰性感情。これこそ、ピンポンゲーム!?

基本に戻ろう、子どもの話を聴こう。適切な行動に注目しよう。
私は相談しながら学んでほしいと願っているのだから、私の怒りはその学びにはほど遠いこともよくよく分かりました。ドッカーンと怒る私に相談できるわけないものね。


*****

そして、食べられないものを隠した日(朝の出来事)に関して、冷静になった帰宅後、娘と話しをしました。

すると、「朝の出発の時間が近付いているけれど、どうしても食べられなくて隠した」ということでした。このエピソードを自助グループで話したら、娘なりに色々と考えて、朝の出発時刻も考えて、私を怒らせないように協力してくれているということに気が付かせていただきました。

そうやっぱり娘は常に私に協力的なんですね。陰性感情を持ったら、まずは「協力的」な部分を探そう。そこに気が付けば、陰性感情からも容易に抜け出せるかなー。実行あるのみ!



2016-05-26

ダンナとの関係

息子との「課題の分離」の余波はダンナとの関係にも影響を与えています。

私が一人で忙しく子どもたちの相手をしている横でダンナが寝ていたりすると、「何で私ばっかり」とずっとずっと陰性感情を持って暮らしておりました。

昨年はダンナの仕事が忙しく、定時に帰れることなどほとんどなく、「亭主元気で留守がいい」とはよく言ったものだわ、いない方が陰性感情が沸かないわ~と思って過ごしていたのですが、一方で「これでは夫婦としてどうなのよ?」という気持ちもあり、この陰性感情にちゃんと向き合うことにしたのです。

まずは「私ばっかり」の気持ちに向き合うために課題の分離をしました。

時間の過ごし方はそれぞれの課題。家族みんなの時間もあれば、それぞれの時間の過ごし方もある。子どもとの向き合い方もダンナと私は違う。私がどのように向き合おうが、ダンナがどのように向き合おうがそれぞれでどちらが正しいか正しくないか裁く必要もないと決め、

ダンナが定時に帰って来る来ないに関わらず、私は私で、子どもとの時間を過ごすことにしたのです。

過去の経験から、こういうときの私はルーティン化した方が落ち着くので、

19時までに夜ごはんを食べ終える→お風呂に入る→夕飯の洗い物をする→子どもと遊ぶ→21時に寝るのを見届けながら、洗濯物を畳む→洗濯ものを干す

という毎日を送ることを決めました。
もちろん、子どもたちも子どもたちの時間がありますので、臨機応変に対応しながら、基本ルーティンをこれと決めて日々送っています。

こんな風に決めると、私は私ですべきことをするだけ、ダンナが仕事で疲れて帰ってきてゴロゴロしてようが、気にならなくなりつつあります。
以前は「私が忙しく家事をしているんだから、あなたが子どもの相手をしなさいよ!」と思っていたんですけどね。不思議なものです。

*****

16時までパートの仕事をしていますので、平日、子どもとの時間は16時半~21時の4時間半。子どもも子ども自身の時間を持つようになり、ガッツリ遊ぶのも週に2、3回あるかないかくらいになりました。まだ「お母さん遊ぼう」と言ってくれるので、それにはできる限り応えようと思っています。

あっという間になくなりそうな未来が見えてきてようやくこの時間を大事にしたい気持ちが芽生えてきました。先輩ママさんから「あっという間だよ」と言われ続けてきましたが、ようやく納得。
昔、自分の時間がほしいと思いイライラした自分があってこその今の私なんでね、後悔しているわけではないのだけれど、今、子どもからの「遊ぼう」にちゃんと応えようという気持ちになれてよかったなとも思っています。

2016-05-24

優しくきっぱりと

「課題の分離」をして数週間が経ちました。

息子の学校では、子どもが宿題をする→親が答え合わせ(確認)をする→子どもが正しく直して提出することになっています。

私にも私なりの時間が必要ですから、「答え合わせ(確認)が必要ならば、夕食時までにできた宿題を見せて下さいね。」とお願いし、息子はそれに協力をしてくれています、平日は。

宿題以外にも家庭学習として別の教材があり、これは息子と相談して、日曜日の夕食までに1週間分、見せてくれることになっています。


週の真ん中(水曜日、木曜日あたり)に「家の勉強(家庭学習)はどうするの?」と尋ねることはあるけれど、これについても以前なら「やりなさい」の気持ちが含まれていたけれど、ただの確認。
そして必ず「また今度」という返事が返ってきます。

今の息子は、日曜日の夕方から週末の宿題と1週間分の家庭学習をすることにしているようです。彼が決めた勉強ペースですから、それを尊重しています。


そういうことで日曜日の夕方は忙しい息子。
気分よくスタートしても、想像以上に時間がかかったりすると息子がイライラしてきます。答え合わせをした結果、間違いがあってやり直しが多くて、泣き出すこともあります。今のところ、2回はエンエンと泣きながら、2回は僕やり切った!という結末。

さて、私は、エンエンと泣かれると、イライラしてきます。
ここに至るまでの過程では課題の分離ができてきたけれど、その結果を息子が素直に受け入れないと、「自分で選んだ結果でしょ!なら泣かずにやりなさい!」と陰性感情も持ってしまいます。


泣いて勉強するにしても、泣かずに勉強するにしても、これは今の息子にとって「やるべきこと」で息子の課題。

でも、私は息子に泣かずにやってほしいと思っていて、それは私の課題。

息子にはやろうという気持ちがある、その適切な行動に注目しよう。
ここで優しくきっぱりと勇気づけられるといいのにな。
そのための第一歩の課題の分離。たとえ泣いていようとも、冷静でいられる私になりたい。

2016-05-18

構えをかえる

子どもの不適切な行動だと、陰性感情を持つ多くのことは失敗だったりします。
面倒くさがりの私はその失敗の後にふりかかることにばかり注目してしまって、ドーンと陰性感情を爆発させてしまうようです。

以前(こちらの記事)では陰性感情を持たないようにと私のために行動していました。この時の私は私のために、子どもたちに自立すること(失敗の後始末)をさせていました。

まだまだ成長の途中の子どもたち、失敗はいっぱいあるけれど、それを見守る私の構えは少しずつですが、変わった気がします。

失敗だけでなく、私が不適切だと思う行動でも、冷静に子どもの話しを聞くと、そこに「親を困らせてやろう」という意図はありません。どこにもどこにもない。
私の陰性感情を振り返ったり、エピソードを分析したり、それでも気が付けないときは子どもに話しを聴いてみたり、自助グループでリーダーさんや先輩アドレリアンさんに話を聞いてもあったり、特殊講義に参加したり、色々と自分の陰性感情に丁寧に向き合って、ようやく気が付けました。

以前の私は
牛乳がこぼれる→掃除をしなければならない→私の手間が増える→いらないことをしないで!私に迷惑をかけないで!となっていたけれど、

牛乳がこぼれる→掃除をしなければならない→私の手間が増える→面倒だなー に変わったかな。

面倒だと思うことが陰性感情なら、陰性感情から抜け出せてないけれど、少なくとも、「私に迷惑をかけないで!」という気持ちからは抜け出せたような気がします。色々な場面で子どもの話を聴けば、「お母さんに迷惑を掛けてやれ!」という気持ちはこれっぽちもないんですよ。ないのに、勝手にそう思っていたわけなんです。


母「牛乳を自分で入れようと頑張ったんだね」
子「うん」
母「頑張ったけど、こぼれっちゃったんだね」
子「うん」
母「こぼれた牛乳はどうしようか?」
子「キレイにする」
母「じゃあ、お願いね」


文章にすると同じなんだけど、以前の私は何とか陰性感情を押し込んで冷静に冷静にと取り繕っていたけれど、今は少し違います。言葉にする文才がないのが残念だけれど、手伝ってあげたいという気持ちが言葉を言う私にはあります。それはキレイにするお手伝いではなく、子どもたちが自立するためのお手伝い。

そして、以前での気持ちでこの言葉掛けをしていても、罰になっている可能性が高く、子育ての心理面の目標である、人々は仲間であるとは感じてくれてなかったと思います。


アドラー心理学的な「構え」を身に付けるという意味をようやく理解できた気がします。この「構え」に気が付いて、ようやくアドラー心理学の第一歩。




2016-05-16

給食エプロン-最終章?!

給食係は3週間に1度の割合で回ってくるらしく、その週末は給食エプロンを持ち帰ります。
課題の分離をしてはじめての給食エプロンがやってきました。

以前は、
課題の分離ができなくて、勝手に手助けしたり、
何度も繰り返すものだから、「いいかげんにしなさい」と感情的になったりしていました。


今回の私は、「おそらく持って帰ってきているであろう」とは思ってはいましたが、
課題の分離をしても、まだブレブレなところがあるので、見ない方が賢明と、ランドセルに近付かず週末を過ごし、

息子が「給食のエプロン忘れてた」と伝えてきたのは日曜日の17時ごろでした。


母 「忘れてたね、どうしようか?」
子 「このままアイロンを掛けて持って行くとか・・・」
母 「洗ってアイロンを掛けて持ってきて下さいとお願いされているんだよね?」
子 「うん」
母 「洗わずに持って行っちゃったら、次の当番の人は汚れたままのを使うことになるよ」
子 「洗う」
母 「じゃあ、洗おう」
子 「はい」とエプロンを渡そうとするので、
母 「自分で洗ってね、洗濯機の使い方は教えてあげるから」

そして、自分で洗濯機をスタートさせ、洗濯が終わったら、自分で干しました。
縦型洗濯機からエプロンが取れないというので、そこはお手伝いをし、物干し竿にも自分なりに工夫したけれど、やはり届かないので、そこはお手伝いをし、そうして、息子は、「洗濯」ということを身に付ける機会を得ることができました。

そして、息子も洗濯できたことに誇らし気でした。

息子の意見「このままアイロンを掛けて持って行くとか・・・」を尊重して、洗わずにアイロンを掛けて持って行き、その体験から学ぶという方法があったのかもしれないけれど、

子どもの行為の結末が子ども自身にだけふりかかるわけではなく、クラス(次の当番さん)に結末がふりかかるこのような場合は、自然の結末ではなく、こうして共同の課題にしていいと判断しました。その判断がアドラーなのか、非アドラーなのか、自信はないけれど、息子が誇らし気であったのは確かで、勇気づけはできたかなっと思います。



2016-05-15

気持ちを察する

「相手がどう思うか考える」ことはとても大事なことだと思うんだけど、時には「相手がどう考えるか」に縛られて、そのことが色々な陰性感情を起こす時があるように思います。

あ、うんの呼吸で気持ちが通い合う関係には憧れはあるけれど、少なくとも、子どもたちともダンナともその関係はムリっぽい。「察してチャン」という言葉があるように、察することを要求されて、相手が思う通りに察することができなくて、心の行き違いがあるなら、はっきりと言葉で表せる関係である方がいい気がします。

特に私は「察する」ことに重きを置き過ぎるところがあるようで、勝手に察して、時にはその察した内容が違って、陰性感情を持って、という悪循環になっていることが多いなーということに気が付きました。

それを断ち切るためには、私が察することをやめることから始めました。
家族とは、お互い察しなければならない関係ではなく、言い換えれば、その立場を要求されてないのに、勝手にそういう風にしていただけだったみたい(苦笑)。


夫 「新聞、どこにあるか知らない?」
私 「テレビのとこにないかな」
夫 「ないよ」
私 「片付けたかも、ごめん、覚えてない」
夫、新聞置き場を探す
夫 「見つからないよ」
私 「ごめん、どこか覚えてないわ、朝も読んでたけど絶対いるの?」
しばらくして
夫 「新聞どこか思い出せへん?」
私 「どこにいったかなー、私、探した方がいい?」
夫 「できたら探してくれる?」
という会話をしながら、ムリのない範囲で探していたら、見つかりました。

以前なら「新聞、どこにあるか知らない?」は「新聞探して」と察していて、「なんで私が探さないといけないの」と陰性感情を持っていました。恐らく、この察したことは間違ってはいないのだけれど、これを繰り返して、陰性感情を持ち続け、関係を悪化させるより、確認していくことの方がいい関係が築けるかな。


「夫が探す新聞を私が探して見つけた」
この行動は以前と変わらないけれど、その間の会話があるとないとでは全く違うのです。「なんで私が探さないといけないの」と陰性感情を持って動いていたのが、「そんなに読みたいなら探してあげよう」に変わるのです。


今の私は言葉通りに受け止めるを練習中。これはパセージの「言葉ではっきりと頼まれてから手伝う」にもつながります。夫との関係においても実践できそうです。


2016-05-11

リーダー娘

娘の幼稚園での年長がスタートして1ヶ月。
グループが決まりました。メンバーは先生が決めますが、リーダーは子どもたちが決めました。6名のうち、男の子と娘の2名がリーダーに立候補して、じゃんけんをした結果、娘がリーダーになりました。

娘はチャキチャキしているものの、人の前に立つようなリーダーについては敬遠するタイプなのだと思っていたので、6名というグループとはいえ、「リーダーをやりたい」という意志があることに驚きました。

そうか、娘もグループではリーダーがしたいんだな。
私もクラスの学級委員長とかには決して選ばれないけれど、班長はよくしていたなっと。立候補であったかどうかは記憶が定かではないけれど、イヤな思い出があるわけではないので、性に合っていたんだと思います。今でも仲間内では幹事役になることが多いしね。

似た者同志、家族4名の中でお互いにリーダー役をしたいんだから、そりゃあ、ぶつかることも多いんだわね。今までの色々なバトルを思い返してみて苦笑いです。

「娘がリーダーをしたいという気持ちがあるならば、そう、お任せすればいいんだわ!」とアドレリアンさんのブログを拝見して学ばせてもらいましたので、早速、実践しました。 (いー=娘)

母 「今からみんなの部屋(リビング)を掃除します」
娘 「はーい」
母 「お手伝いお願いできますか?」
娘 「・・・」
母 「いーちゃんにお任せしたいところがあるのですがいいですか?」
娘 「なに?」 
母 「本棚に全部の本を戻していただけますか?この本棚を片付ける係をお願いしたいのですが、いいですか?」
娘 「いいよ!」


係の役が大好きな娘は「係」という言葉にやる気を起こしたようで、いつもと全く違って喜んで片付けてくれました。色々と娘なりに、本の分類まで考えての片付けを終えてくれました。

「片付けて~」
「片付けなさい!」
「片付けないなら捨てるよ」と陰性感情を持って動かしても、結果はイヤイヤながら片付けをした感いっぱいの出来具合だったのにね。

私も陰性感情を持たず、娘もみんなの部屋(リビング)をきれいにすることに協力をすることに喜びを感じてくれまして、家族という共同体への貢献を学んでくれました。こういうことが共同体感覚につながるんでいくような気がします。

共同体感覚を育むための言葉掛け(勇気づけ)については色々と考えていて、これ!という答えはまだ辿りついていないけれど、育てたい気持ちははっきりと分かりました。


2016-05-06

探しもの

子どもたちはいつも何かを探しています。

「お母さん、消しゴムは?」
「お母さん、はさみどこ~?」
「お母さん、パジャマないよ~」

これ一つ一つに陰性感情を持っておりました。
この「ものを探す」子どもからの言葉が「お母さん、探して!」に聞こえていたんです。

だから、形式的に「自分で探してね」と課題の分離をしていても陰性感情が消えなかったり、「もう」と陰性感情を持ちながら、勝手に探すのを手伝ったり、「片付けないのが悪いんでしょ」と勇気くじきをしてみたりの日々を過ごしておりました。

どこにも「探して」と頼まれていないのに、勝手に私がそのように解釈をして、そして陰性感情を持って動いていました、今までは。

大きな陰性感情をもって爆発して、「自分のものは自分で片付ける」ことを伝えたとしても、今までの対応では、子どもたちが学んだことは、お母さんが最後は探してくれるだとか、泣きつけばお母さんが探してくれるだとか、自立とは逆方向に向かっているだけ。


講義や自助グループの先輩アドレリアンさんから色々と学ばせてもらったのと、
課題の分離をすることを息子と一緒に決めたときの息子の「できる」の言葉とで、

本当に自立するために必要な手助けは、今、この探し物を見つけるお手伝いではなく、「課題の分離」が必要なことに、ようやくようやく心から思えるようになりました。
そう、子どもは「自分の問題を自分で解決できる能力がある」のです。親はそのお手伝いをするのです。2歳差の我が家、息子ができるなら、娘(年長)もできるはず。二人まとめての課題の分離です。

休み中も、いつも何かを探していましたが、

「どこだろうね~」「知らないよ」と受け流せるようになりました。

それと、探しているものをたまたま私が見つけたときも、以前なら「ここにあるじゃないの!」と陰性感情を持って伝えていたのですが、陰性感情を持たずに「ここにあるよ」とお伝えできるようにもなりました。

ま、たまに陰性感情がひょっこりと表れてきますが、それでも、ずいぶんと減りました。この探しものに陰性感情をもたないと、何だか日々の陰性感情もずいぶんと減った感じで、私自身も大きな解放感を持つことができています。

2016-05-05

「課題の分離」その後

さて、「課題の分離」のその後ですが、声掛けゼロはなかなか難しいですが、私の声掛けについては確実に感情が違うものとなりました。

連休期間中も前半は体調を崩してダウン、後半は後半で遊びに出掛けており、息子の頭から宿題のことなどすっかり忘れている様子。いつもより量が多い宿題が出されており、「大丈夫かな~」という気持ちはありましたが、お口はチャック。それも言いたい気持ちを抑えてという感じではなく、自然に口出しせずにおれました。


連休最終日の5日のお昼を外で済ませて帰宅したとき(1時過ぎ)に、

母「宿題の予定だけ教えてくれる?」
子「3時からするからお母さんその後、チェックして」 
息子が通う学校の宿題、ドリルなら親が○付け、日記なら親が読みましたの印が必要です)
母「分かった」

宿題についてはこの会話だけをしました。

今までは私の不安を解消するために息子に宿題の予定を確認していたのですが、厳密にいえばその気持ちも完全に消えたわけではないけれど、純粋に予定を知りたかっただけの方が大きくなりました。
「今からするわ」という返事があればキラキラと陽性感情に傾いたのかもしれませんが、「3時にする」と言う返事に特段、感情を動かすことなく、フラットな気持ちでいられました。

その後は、私も別の用事で宿題のことはすっかり忘れていて、5時頃に「お母さん、見といてね~」と声を掛けられて、いつの間にやらちゃんと済ませておりました。


我が家はお父さん(ダンナ)が結構、「宿題は?」「宿題を済ませたらテレビを見てもいいよ」etcの声掛けをするので、我が家全体で見ると宿題においては完全な「課題の分離」は難しいのですが、息子と私の中では「課題の分離」は9割できているかな~と思っています。


休み明けは荷物がいつもより多いことも分かっていて、
「色々と思い出していたんだけどさ、特別なものは持って帰ってきてないことにようやく気が付いたわ」と報告してくれました。

このことについては何も声掛けをしなかったけれど、「そっかそっかすっかり忘れていたけれど、自分で一所懸命考えていたんだね~」と苦笑いしながらも微笑ましい気分にさせてもらいました。


結局、忘れがちな音読は忘れておりますが、その忘れていることに私も今、気が付きました。
大きく×とカードに書かれるかもしれませんが、そこから何かを学んでくれるでしょう。