アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-05-15

気持ちを察する

「相手がどう思うか考える」ことはとても大事なことだと思うんだけど、時には「相手がどう考えるか」に縛られて、そのことが色々な陰性感情を起こす時があるように思います。

あ、うんの呼吸で気持ちが通い合う関係には憧れはあるけれど、少なくとも、子どもたちともダンナともその関係はムリっぽい。「察してチャン」という言葉があるように、察することを要求されて、相手が思う通りに察することができなくて、心の行き違いがあるなら、はっきりと言葉で表せる関係である方がいい気がします。

特に私は「察する」ことに重きを置き過ぎるところがあるようで、勝手に察して、時にはその察した内容が違って、陰性感情を持って、という悪循環になっていることが多いなーということに気が付きました。

それを断ち切るためには、私が察することをやめることから始めました。
家族とは、お互い察しなければならない関係ではなく、言い換えれば、その立場を要求されてないのに、勝手にそういう風にしていただけだったみたい(苦笑)。


夫 「新聞、どこにあるか知らない?」
私 「テレビのとこにないかな」
夫 「ないよ」
私 「片付けたかも、ごめん、覚えてない」
夫、新聞置き場を探す
夫 「見つからないよ」
私 「ごめん、どこか覚えてないわ、朝も読んでたけど絶対いるの?」
しばらくして
夫 「新聞どこか思い出せへん?」
私 「どこにいったかなー、私、探した方がいい?」
夫 「できたら探してくれる?」
という会話をしながら、ムリのない範囲で探していたら、見つかりました。

以前なら「新聞、どこにあるか知らない?」は「新聞探して」と察していて、「なんで私が探さないといけないの」と陰性感情を持っていました。恐らく、この察したことは間違ってはいないのだけれど、これを繰り返して、陰性感情を持ち続け、関係を悪化させるより、確認していくことの方がいい関係が築けるかな。


「夫が探す新聞を私が探して見つけた」
この行動は以前と変わらないけれど、その間の会話があるとないとでは全く違うのです。「なんで私が探さないといけないの」と陰性感情を持って動いていたのが、「そんなに読みたいなら探してあげよう」に変わるのです。


今の私は言葉通りに受け止めるを練習中。これはパセージの「言葉ではっきりと頼まれてから手伝う」にもつながります。夫との関係においても実践できそうです。


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