アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-05-18

構えをかえる

子どもの不適切な行動だと、陰性感情を持つ多くのことは失敗だったりします。
面倒くさがりの私はその失敗の後にふりかかることにばかり注目してしまって、ドーンと陰性感情を爆発させてしまうようです。

以前(こちらの記事)では陰性感情を持たないようにと私のために行動していました。この時の私は私のために、子どもたちに自立すること(失敗の後始末)をさせていました。

まだまだ成長の途中の子どもたち、失敗はいっぱいあるけれど、それを見守る私の構えは少しずつですが、変わった気がします。

失敗だけでなく、私が不適切だと思う行動でも、冷静に子どもの話しを聞くと、そこに「親を困らせてやろう」という意図はありません。どこにもどこにもない。
私の陰性感情を振り返ったり、エピソードを分析したり、それでも気が付けないときは子どもに話しを聴いてみたり、自助グループでリーダーさんや先輩アドレリアンさんに話を聞いてもあったり、特殊講義に参加したり、色々と自分の陰性感情に丁寧に向き合って、ようやく気が付けました。

以前の私は
牛乳がこぼれる→掃除をしなければならない→私の手間が増える→いらないことをしないで!私に迷惑をかけないで!となっていたけれど、

牛乳がこぼれる→掃除をしなければならない→私の手間が増える→面倒だなー に変わったかな。

面倒だと思うことが陰性感情なら、陰性感情から抜け出せてないけれど、少なくとも、「私に迷惑をかけないで!」という気持ちからは抜け出せたような気がします。色々な場面で子どもの話を聴けば、「お母さんに迷惑を掛けてやれ!」という気持ちはこれっぽちもないんですよ。ないのに、勝手にそう思っていたわけなんです。


母「牛乳を自分で入れようと頑張ったんだね」
子「うん」
母「頑張ったけど、こぼれっちゃったんだね」
子「うん」
母「こぼれた牛乳はどうしようか?」
子「キレイにする」
母「じゃあ、お願いね」


文章にすると同じなんだけど、以前の私は何とか陰性感情を押し込んで冷静に冷静にと取り繕っていたけれど、今は少し違います。言葉にする文才がないのが残念だけれど、手伝ってあげたいという気持ちが言葉を言う私にはあります。それはキレイにするお手伝いではなく、子どもたちが自立するためのお手伝い。

そして、以前での気持ちでこの言葉掛けをしていても、罰になっている可能性が高く、子育ての心理面の目標である、人々は仲間であるとは感じてくれてなかったと思います。


アドラー心理学的な「構え」を身に付けるという意味をようやく理解できた気がします。この「構え」に気が付いて、ようやくアドラー心理学の第一歩。




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