アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-07-31

7月終わりに

7月も終わり、夏休みが3分の1終わりました。

息子の宿題をやるぞ!の意気込みも
私の子どもたちを信じて見守るぞ!の意気込み
もどこへ行ってしまったのでしょうか?

ちょっと冷静に落ち着かないと、ガミガミ母さんまっしぐらです。



2016-07-28

愛用の感情「怒り」

アドラーのお仲間さんが参加されたワークの話をして下さいました。
そこから私の愛用する感情が「怒り」だということに気が付かせていただきました。

日頃から「怒りっぽい性格だなー」と思っていたのですが、とってもしっくりきました。
アドラー心理学を学んでみようと思ったきっかけは色々ありますが、この怒りっぽい性格を変えたいというのもその一つ。

しっくりきたときの私の気持ちを具体的に言葉にすると、「長年愛用したいたのだから、怒りっぽい性格もそうは簡単に抜け出すことはできませんねー、ま、諦めずに進みましょう」という前向きな感情でした。


もう少し深く教えていただいたところ、この怒りを愛用する私の最優先目標は「主導権をとりたい」
教えていただいて、そういうことだったのか!と苦笑いやら恥ずかしいやらと複雑な感情でしたが、いや違うとも思えず、少し噛みしめて、今は納得です。


私は家族の中で主導権をとりたいと思って、ずっと行動してきたんですよね。
これは夫との関係を考えたときにも何となく思い当っていたこと(*1)、家族の中では「私の言うことを聞きなさい」と強権を発動しているんですね。


このことに冷静に気が付かせていただくと、怒りが出たときに、あ、私は主導権をとりたがっているんだなーと少しクールダウンできるようになりました。

でも、ある一方で社会(仕事)の中では、主導権を譲ることもできているんです。
上下関係がはっきりしているし、幸いにも、上司にあたる方は責任をちゃんととって下さる方だし、やればできる私もいるわけです。

そういう風に冷静に思うと、色々とアドラーの学習を重ねていく中で、「課題の分離」で家族の課題に介入することから心から手をひけるようになりつつあるのに加え、あれもこれも主導権を握りたいと思わなくてもいいんだよな~という気持ちにもなりつつあります。

それでも、愛用していた感情「怒り」がすぐになくなるわけではないけれど、

以前なら-5の陰性感情を作り出していたものを、-3、-2と小さい陰性感情に持っていけるようにも思えるし、

そして、やっぱり作り出すー5の陰性感情への自分の対応も、立ち止まる術を身に付けられるようにも思えています。


イタイ指摘ではありましたが、色々と自分を考えるいい機会になりました。
「最優先目標に関する一考察」という論文がアドレリアンにも掲載されていて、ネット上でも閲覧が可能です。




(*1) 夫がもう少し家のことについて頼りになるといいのにと望んでいたことがありました。例えば、旅行をするにしても日程を決め、宿の予約から、交通手段の手配から全て私がしているのですが、そういうことにおいて、夫は「何もしてくれない」と不満を抱いておりました。でも、冷静に考えると、私は私の想いやこだわりがあって、そしてその想いを優先させたいと思っていることに気が付いて、夫と私の関係からすると、こういうことにおいては私が動く方が上手く回るのだと思い改めたことがあります。




2016-07-26

正の注目も負の注目も与えないで観察

パセージの3-Rの最後に「正の注目も負の注目も与えないで、子どもの行動がどうなるか観察することです」とあります。

題して「我が家のペットボトル問題」

私たちの住む街のごみの捨て方ルールはかなり緩いのですが、
ペットボトルの捨て方は全国と同じ(?)で中を洗い、ラベルをはがし、キャップは燃えるゴミ、本体はペットボトルゴミとなります。一手間が必要。

この一手間が面倒なのか、ペットボトルゴミがなかなか片付けられず、とにかく中を洗った状態で、シンクのところに置いておくことが多い。

「飲んだら、自分で片付けていただきたい」というのが私の目的なので、シンクに置いてあるペットボトルを見ると、マイナス感情、「いつもいつもいつもいつも・・・いい加減にしてほしい」と。結婚生活10年ちょっとと、ひたすら正の注目と負の注目を与え続けてきました。

夫は一年中、ペットボトルの飲料を飲んでおり、それに加えて、子ども(主に息子)もペットボトルの飲料を飲む機会が増えました。夫も息子もペットボトルの片付け方は知っていて、だからこそ、注目を与えれば解決すると思い込んでいましたが、

パセージには「正であれ負であれ注目を与えると、必ずその行動は続きます」とあります。
だからこそ「正の注目も負の注目も与えないで観察」をする実験をスタートしました。夫にいたっては10年ちょっと続けてきましたし、「必ずその行動は続きます」についても証明されていますしね。




観察をはじめて2週間ほど経ちました。

まず「いつもいつもいつもいつも」と思っていたのですが、「あれ?いつもじゃないんだ、たまには片付けているんだな」ということに気が付きました。

そういえば、「いつもいつも」と怒っていたけれど、「いつもじゃないよ、片付けているときもある」と夫は言ってました。

「たまには片付けているんだな」ということに気が付くと、

夫に「片付けておいて下さい」と陰性感情を持たずに丁寧にお願いできるときも出てきました。
でも陰性感情が出るときはありますので、そういうときは「ストップ」
対処行動は自分で解決することにして、自分でブツブツ言いながら、片付けます。

息子は週に1本ほどのペットボトル消費ですが、飲み終わったのに、机に放置して、食事をとるのに片付けてほしいときは、「ペットボトル、一緒に片付けようか!」と声掛けをすることにしました。

これは共同体感覚を育てていくことを考えた、私なりの対処行動です。

共同体感覚を育てることを考えると、自分のものも他人のものも気が付いたなら一緒に片付けることを学んでほしいと思ったからです。

その時に夫が飲んだペットボトルが残っていたなら、「お父さんの分も一緒に片付けてあげようか」と声掛けをすることにしました。もちろん私も一緒に片付ける。そういうことから学べるのかな~と思考錯誤です。


私自身が共同体感覚を持ち合わせていないことも多いので、子どもたちに学んでもらおうと思うには色々と考えて、そして、私自身も行動していかなければなりませんよね。

どうしても「自分優先」でできないことがあるけれど、一つずつ一つずつ、私の共同体感覚も増やしていけたらいいなと思っています。

2016-07-24

子どもの負の感情

ミニトマトの観察の宿題終わらせ予定日は7月24日

息子に「ミニトマトの宿題は7月24日までになっているよ」と伝えたら、「分かった」と言って取り掛かりました。

そして、取り掛かり始めたところに、ご近所さんから「遊ぼう」と誘われた息子。
「今はミニトマトの観察をしているから、○時から遊ぼう」と返事をしておりました。

遊びの誘惑に負けずに、また、上手に交渉しているなーと思い、その様子を見守っていた後に、息子、なんだか負のオーラです。

近付く妹に「こっちに来るな」と連呼
それが少し落ち着いたかとと思うと、シクシクと泣く声が聞こえてきました。

母「どうしたの?」
子「○時に遊ぶ約束したのに、終わらへんよ」
母「もう書き終えているやんか」
子「上手に絵が描けへんのやって」と

思う通りに絵が描けなくて、何度も描き直しているようです。 (*1)
涙が落ちた上を消しゴムで消したら、ビリっと紙が破れて・・・息子、大泣きとなりました。

ここで、私の感情は-2

何度か経験しましたが、アドラーを学ぶ母として、どういう風に対処行動をすればいいのかが本当に分からない。

泣き止んで、「よし、もう一回頑張るわ!」と前向きになってくれたらいいなと、まずは慰めてみるものの、慰めてもまだグズグズいうから、「泣いても仕方ないでしょ」と結局、私は息子の仲間になれないままに終わるというパターンを繰り返していたので、

紙が破れてどうしようもできないと打ちひしがれている息子に

母「破れてしまったね」
子「破れたらもう宿題ができないやんか」
母「もう一枚あるし、コピーしてもう一枚新しいの作ればいいよ」
子「そうする」
母「今すぐにコピーに行けないから、どうする?」
子「後でする」

少し前向きなったかと思いましたが、向かったかったのは居間とは別の部屋。
そこで、座布団を抱き抱えながら、続くグズグズ。
何でこんなことになったのかーとブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ言い続けておりました。

以前なら、問題が解決したのに、まだブツブツ言い続ける息子に、再びマイナスの感情を持っていましたが、

今回は前向きに無視。
息子が息子自身で自分の感情に向き合うことが自立することだろうと考えました。

ブツブツ言い続けて5分ほど経ったかな?と思ったところで、
友達と約束した時間が近付いてきたので、「友達との約束の時間になるよ、約束は大事だよ」と言うと、少ししたら居間に戻ってきました。

子どもたちが出す負の感情からの行動にどういう風に対応したらいいのか、まだはっきりとは分からないけど、

息子には息子の、娘に娘の、負の感情との向き合い方があるのだろうし、
課題の分離で、そこに介入しなくてもいいかな?

それか共同の課題にするため、
「何かお母さんに手伝えることある?」と聞いてみてもいいかな?

と、色々と思惑していますが、泣くことの適切な面を探すことから、一つ一つ始めてみます。




(*1)息子の頭の中にはすでに完成図があって、その思い描いた完成図が自分で描けないことに対して大きく感情を動かします。成長の段階でこのようなことはよくあり、理想の自分と現実の自分との違いに戸惑いながらも、自分なりに折り合いをつけてきているようなところがあります。しかし、時々、特に絵を描くということにおいて、「これでいい」と思えないことがあって不安になるようです。

2016-07-21

夏休みの宿題の相談

さー夏休みです。
数日前から夏休みの宿題について学校から色々と案内がありました。

小学2年生、2度目の夏。
しなければならないことと、夏休みの我が家の予定(帰省)、全てひっくるめて相談をしました。

母 「夏休みの相談をしてもいいですか?」
子 「うん」
母 「夏休みのうちの予定はね、8月○日から○日までおじいちゃん、おばあちゃんの家に行くね」
子 「ええ、長いね」
母 「宿題を持っていくのは○日でしょ。宿題はどうしようか?」
子 「7月に全部終わらせる!」
母 「そう、頑張る!!」
子 「早く終わらせて、あとはゆっくりしようと思って」
母 「そっか、じゃあ、何個かある宿題をいつ終わらせるか、カレンダー見ながら考えようか」

と相談しながら、プチトマトの観察日記は7月24日、夏休みのプリントは8月5日、日記は・・・とカレンダーに宿題終わらせ予定日を書きました。

息子はこういう風に予定が立つと安心するタイプなので、宿題の話と、楽しいイベントの話と、和やかに話すことができました。

それとは別のところで、夫が息子に「おとうさんは、宿題を7月中に終わらせてあとはずっと遊んで過ごした」と伝えたのが響いたのか、持ち帰った夏休みの宿題に早速取り組んでおりました。

私は息子を信じて、決めた予定日の2,3日前に進行状況だけ確認しようかな。
勝手に息子の課題に介入したらいけないので、確認するときは、「宿題の進み具合を教えてもらえますか?」かな。

1年生の夏休みから考えると息子は大きく成長しましたね。
たぶん、私はただ確認するだけ、そこに陰性感情がなく、その言葉掛けができる気がします。
私もアドラー育児の母として成長を確かめる夏がスタートです。

2016-07-13

「課題の分離」のその後のその後

4月にはじめた「課題の分離」
息子の「できる!」の言葉を信じて進んでおりました。ちょこちょこ忘れ物はしているっぽいけれど、ま、何とかなっているのかな?と思っておりましたが、先日、夏休み前の懇談で先生から「ほぼ毎日、何か一つ忘れ物をしています」という言葉をいただきました・・・

先生とは家庭訪問の際に、「経験から学ぶこともあるので、学校の準備については見守ることも必要と思っています。」と伝え、「そうですね、分かりました。」とご理解いただき、その我が家の姿勢を見守っていて下さっていたのですが、やはり懇談の時にはお伝えしておいた方がいいかと思いと伝えて下さったご様子。


さーどうしようか・・・

まずは息子の話を聴くことから始めることにしました。

色々と先生から聞いた頑張っていることの話をした後、

母 「先生からこれから頑張ってほしいことを3つ聞いてきたよ。さて、何でしょうか?」
子 「忘れものをしないこと」

(おおお、自覚しておられましたか!)

母 「そっか、忘れ物しているの分かっていたんだね」
子 「何かねー忘れてしまうんやって」
母 「何を忘れるの?」
子 「宿題をしたノートとか」
母 「ええええ、せっかく頑張って宿題のノート忘れてたん!頑張ったのに、それは残念やろ」
子 「出すのを忘れるんやって」

(何だか、忘れ物の認識がズレている?)

母 「先生は、持ち物を忘れてくることの話をしていたよ」
子 「あああ、それか」
母 「忘れ物をしないようにどうする?お母さん、声掛けした方がいい?自分で頑張れる?」
子 「自分で頑張る」

共同の課題にもっていきたかったんだけど、自分で頑張るといいました。
でも、先生から直接、忘れ物の話をされた身としては引き下がれませんで・・・

母 「うん、頑張れ!でも、お母さんも先生からお願いされたから、最近、連絡帳の確認が毎日できてなかったし、それは見せてもらえるかな?」
子 「いいよ」

先生の方針で、忘れ物をしたら自覚するために連絡帳に忘れたことを自分で書くことになっているのです。だから、忘れ物をしたことに関して、親子で自覚するための提案。

本当なら、共同の課題にすることを拒否されたわけですから、引き下がるべきなんでしょうが、息子の小学校は、忘れ物をしても、あまり困らないようになっているんです。ノートを忘れたらノートのコピー用紙をもらえるし、お箸を忘れたら割りばしがもらえる。

今の息子は学校生活においては「忘れても何とかなる」ということを学んでいるようにも思われ、何だかモヤモヤしているのです。大事な話をちゃんとしたいと思ってはいるものの、そのために私が「子どもに学んでほしいこと」を明確にしないといけませんね。



2016-07-12

色々な学び(アサーション、マザーテレサ効果)

子どものための自分の気持ちが〈言える〉技術 [ 平木典子 ]で、「お互いを大切にしながら、素直にコミュニケーションすること」=アサーションというものを知りました。
 
 
代替え案の言葉かけとして、自分で見つけられるようになるための助けになるかな~と思って読みました。アドラー心理学(パセージ)と同じような考え方がありました。例えば、「不適切な行動のなかの適切な側面を探そう」や「失敗は不適切な行動ではありません」です。もちろん、違うところもありましたが、そこはそこで、それでよし。
 
特に「失敗は不適切な行動ではありません」と学んでも、その後にふりかかる手間への思いが強く、陰性感情を持ってしまうのですが、「失敗する権利」として認め合うことの大切さを改めて学びました。


また、自己表現の方法には3つのタイプがあって、社会の中ではバランスを持っているかな?と思ったけれど、家族の中にいる私は見事に「攻撃的」でした。この攻撃的な自己表現の方法を自覚していたから、アドラー心理学を学んだところもあるわけですが、「やっぱり」と、まだまだ修行が必要と再自覚です。



また、トウリーディングの話を聞く機会があって、そのときに余談として、マザーテレサ効果を教えていただきました。

免疫力が上昇すると実験で証明されている「マザー・テレサ効果」
これはアドラー心理学(パセージプラス)での、「陰性感情をのりこえる」の「同じことでも感情のあり方で意味が変る」につながるのかなと思いました。

アドラー心理学(パセージ)を勉強しても、なかなかこののりこえることの大事さが分からず、陰性感情を抑えればいいと全くもって真のパセージを学んでいなかったけれど、陰性感情をのりこえてこそようやくパセージの第一歩。

「そののりこえかたも少しずつながら、学べてきていてはいるものの、学んだからこそ難しいことも分かってきたところもあるんです」と、自分のもどかしさをトウリーディングの先生にしたところ、私の話をゆっくりと聞いていただいたあと、先生が「何度も「でも難しいんですけどね」と言っていますよ、まだ自分を信じ切れてないみたいですよ、でも、足は変わろうと意思表示しています、大丈夫です」という言葉をいただいて、ハッとしたところです。「私はのりこえられる」と自分を信じ切ろうと改めてきめました。


様々な分野から、色々と学ぶこともあるけれど、私が深く学びたいと思っているからかもしれませんが、アドラー心理学につながることが多いです。 

 
 


2016-07-09

相談

子どもを想う気持ちはそれぞれの親が持っていて、今の時代は情報がいっぱいで、そして、「○歳までに!」「幼少期には○○の経験が必要!」など早期教育にも自然教育にも、分野を問わず、親を焦らせるフレーズがいっぱいです。

ようやく核となるものを見つけたけれど、それでも、こういうフレーズに出くわすと心がザワザワします。

それを専門に活躍されている方々にはそれなりの信念があって、だからこそ、強いメッセージをもったフレーズで言い切れるのだろうけれど、一般人の私にしてみれば、迷いのタネ。

習い事にしても一緒で、我が家の周りの環境では年中さんになると、「習い事」の話題が出ます。そんな周りの環境で、私も一時かなり気持ちがザワザワし、第1子の息子のときは、「あれはどうだろう?」「これはどうだろう?」「息子には何がいいだろう?」と色々迷いましたが、結局、息子から「やりたい!」という言葉が出なかったので、どれもスタートしませんでした。

小2になった今は、色々と話し合いをし、息子が「小2の5月末から始める」と言ったので水泳を習っています。

息子は習い事という枠で興味を持つものが今の時点では少ないけれど、娘は、そこそこあり、年中から体操を始め、頑張っています。


アドラーを学んで、色々なことを決めるにあたり、子どもたちと相談をすることにしています。
夏休み、仕事があって、どれもこれもに参加できるわけではないけれど、色々なイベントにしてもどれに参加したいか相談。

親の私は「こういうのどうだろう?」「これは子どもたち楽しみそう!」と色々とアンテナを張って、子どもたちに情報を提供をし、相談。
「行く!」と乗り気の返事もあれば、「行かない」と拒否されることもある。
もちろん、子どもたちからの「行きたい!」のリクエストにも、様々な事情でお応えできないこともあって、そういう風に相談しながら、夏休みの計画を立てています。

でもこれが基本の基本かなっと。習い事にしても、日々の生活にしても、相談。
迷う私を子どもたちが助けてくれていることも多々あります。子どもたちはそれぞれにはっきりとした答えをもっていることが多いのです。

これから先、進路という大きな決断においても、親には親の希望もあり、経験値から、色々とアドバイスできることもあるから、迷う子どもたちに親が助けることもできるはず。

その土壌として、日々、相談できる関係を築いておくことが大事かな~と思っています。