アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2017-10-19

毎夜、毎夜

毎夜、毎夜繰り返される、就寝時の兄妹のお布団の奪い合い

寝る場所争い
掛け布団の奪い合い

そうこうしているうちに、私=母が「いいかげんにしなさーい」と注目をするという毎夜、毎夜の我が家の出来事です。

添い寝も不要になったとはいえ、子どもたちだけで布団に入るのはまだ少し寂しい年齢なのだろうか?と思うようになりました。

そういう風な目で見ると、

毎夜毎夜の寝る場所争い、掛け布団の奪い合いは、「お母さん、ちょっと来てー」の意味のように思えるようになりました。

子どもたちからの「一緒に寝ようよ」のお願いも、仕事を始めて、もう添い寝も不要と判断した時から、「お母さん、まだ洗濯しなくちゃいけないから」と家事を盾に幾度となく断ってきたから、

子どもたちも色々と作戦を考えたのかもしれません。


そうなれば、子どもたちの作戦に乗ろうと思います。
毎夜、毎夜の兄妹の争いを、子どもたちの寝るための儀式だと思えば、陰性感情もなく、寝るためのお手伝いができます。

「はい、寝るよー。えい(兄)はどの布団?いろは(妹)はどの布団?」と布団を掛けて、おやすみと電気を消す

「いいかげんにしなさい、早く寝なさい」とおやすみと電気を消す

どちらが仲間かというと、やはり前者。

狭い我が家、スペースの問題で、まだ家族全員が同じ部屋で寝ているけれど、子どもたちそれぞれが寝るようになるまでたぶん2,3年。この儀式がどこまで必要かも分からないけれど、恐らくそんなに長くもないだろう。子どもたちの作戦を一緒に楽しもう!



2017-10-17

ここちゃんの選択

読売新聞に「ここちゃんの選択」という記事が4回シリーズで掲載されました。

命に関わる選択を、お母さんは子ども(ここちゃん)に聴いて、ここちゃんの意見を尊重されました。
読んで、涙が出ました。

闘病生活の中で、ここちゃんはここちゃんの死生観を持っており、それを尊重されたわけですが、私はこのお母さんのように勇気を持つことが出来るだろうかと自問自答するとともに、

これが本当に「子どもの話を聴く」ということなんだろう、
私もそんな親になりたいと思いました。


「ここちゃんの選択」の記事の一部はヨミドクターで紹介されています。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20171012-OYTET50000/

2017-10-11

観察期間

相手の行動気に入らないときも 
繰り返されるなら知ってやっている
ひとまず対処するのをやめてみて 
どうなるものか観察してみよう


野田先生の「勇気づけの歌」にある一節

兄から妹(いろは)への言葉で、私が陰性感情を持つ言葉に
「いろはを倒す」というのがあって、

その言葉を兄(えい)が発すると、私が反応していました。
時には優しく諭したり、時には「キー」と感情のまま「いい加減にしなさい」と怒ったり。

えいが「いろはを倒す」と言う
私=母親がえいに「そういうことと言わないの」と反応する

これは息子が私=母親の注目関心を得たいための行動だと仮に考えたとすると、
息子はちゃんと注目関心を得るという目的を果たしているので、延々と繰り返されているのかもしれません。

言うなれば、この言葉に私が反応する限り続くということになるので、反応しないという観察期間に入ることにしました。

観察期間5日目ですが、あんなに気になっていたのに、気になることはずいぶんと減りました。
というか、息子が「いろはを倒す!」と口にする回数が減っているのかも。


野田先生の「勇気づけの歌」はとても深く、学びがいっぱいです。
この学びを行動できてこそ、勇気づけ。

できることから一歩を踏み出そうっと。


 
 

2017-10-01

勉強についての相談

息子に勉強について話を聴きました。

-勉強をする目的
-そのために具体的に頑張ること
-お母さん=私が手伝いできること

これらのことを具体的に形にしました。
そして、ものは試しと1週間、頑張ることにりました。

時に「さ、やろう!」という気持ちが持てない時もあるようでしたが、
その時はどうしたらいいかを相談して、

「お母さん、ここにおって」とお願いされたら、「はい」と、家事を止めてもその通りにしてみたり、

テレビの誘惑に勝てないときは
「録画しておいたらいいんじゃない?」と提案して、テレビの誘惑に勝つ方法をお伝えしてみたり、

ものは試しの1週間を終えました。


そして、息子に1週間の頑張りを伝えたら、「うん」ととても満足そうでした。
これからのことを相談して、もう1週間、この通りに進めることになりました。

私からの声掛けも手伝いの一つに入っているので、ついつい何度も声掛けをしてしまうのが、私の反省点です。もう1週間進めてみて、声掛けの回数についても、息子の意見を聞いてみようと思います。




この決めた点の中に、宿題の計算ドリルと漢字ドリルは、息子自身で答え合わせをすることになりました。音読とリコーダーの練習は、家の人の認めの印が必要なので、それは親がすることとなりました。


そうして、一つずつ一つずつ、自分でできることを増やしていく。
特に私は、監視しがちなので、「ちゃんとやっているかな?」と思うけれど、息子のちゃんとの基準を信じて宿題は見守れそうです。








2017-09-23

勉強について私=親の考え

息子に

勉強について今度話し合いたいと思っていること、
そのために私=親が色々と考えていることをまとめていること、
息子くんにはその時が来たら、意見を聞かせてほしいこと

を伝えました。

息子は「分かった」とニヤッとしました。


そして、私は勉強について私=親の考えをまとめてみました。
まとめると色々なことがごちゃごちゃしていることが分かりました。
「何となくイヤ」がいっぱいでした。
私が問題だと感じていることの着地点が、自分自身が分かっていないという状況でした。



自分自身の考えを整理するにあたり、

野田先生の補正項の記事(2015年3月19日)前日の補正項に、"目が「不適切な信念の矯正」に向いていることが、アドラー心理学らしい働きかけの《必要条件》" と書いておられることを念頭において息子の行動を改めて見てみると、不適切な信念は持ち合わせていないように思うのです。

面倒だな・・・とは言うけれど、宿題はちゃんとした方がいいと考えているみたいだし、
ここに「丁寧に」とか、「手を抜かず」とか、「時間の余裕を持って」とかの修飾語を親の私は付けたいと考えるけれど、それを省いてとてもシンプルに考えると息子は「不適切な信念」は持っていないと思うのです。

ただ、不適切な信念を持っていないといはいえ、そこから行動にうつすかうつさないかの違いは大きくて、それは人生を左右することにも影響を及ぼすことがあるとも思うのです。

「面倒だし、ま、いいか」の繰り返しでいいとは思えない。
でも、自分を追い詰めて倒れてしまう人も多い中、「ま、いいか」も時には必要。

その丁度いい具合をどうにか一緒に考えられるといいと思っています。
ここに書くことでスッキリしたので、息子に聴きたいこともまとめられそうです。



2017-09-21

「面倒」に向き合うこと

「子どもの勉強」についてのモヤモヤをずっと考えております。

「親の思うレールに無理矢理にでも歩かせた方が、結果的に子どもも満足するのかもな」なんて、子どもが進学校に進んだ親さんの話を直接に聞いて思ったりもして、

「面倒だ」という子どもの気持ちは問答無用で、宿題をさせることだけに労力を注ぐことにしよう!と思ったりもして、

これらが全くもってアドラーでないことだけは分かった上で、「もうアドラーでなくてもいいわ」と思ったりもして、

モヤモヤは募るばかりでしたが、そんな時に、こちらから相談したわけでもないのに、紹介していただいた野田先生の補正項の記事(2015年3月19日)。これはやっぱり縁なのだと、アドラーに戻ることにしました。

要するに私も「面倒」を避けているのですね。

もう少し、私の中で色々なことが定まったら、子どもたちと話をしようと思います。


2017-09-16

「勉強しなさい」

東大に進学する学生さんは、「勉強しなさい」と言われたことがない

とか

「勉強しなさい」という言葉が子どもの勉強する意欲を奪う

とか

色々な記事を読みます。

アドラーでも課題の分離から考えると、「勉強する」のは子どもの課題、「子どもに勉強してほしい」のは親の課題で、親が「勉強しなさい」と子どもに言って、子どもに強制的に勉強させるのはアドラーではないのだろうと理解しています。

そして、我が家ですが、この課題の分離については、どうしたらいいのか道が定まりません。
課題の分離をする勇気が私にないというのが正直なところです。

現在、小学3年生の息子、1、2年の時は宿題の量も少なく、15分もあれば終えられました。
しかし今は15分では終わりません。授業時間も増えて、帰宅する時間が遅い上に、宿題にかかる時間も増えた=遊ぶ時間がない・・・となるわけで、「遊ぶ時間が優先」な息子にとっては、宿題=勉強が面倒だと思うようになってきたそうです。

勉強=学ぶことに喜びを感じるように勇気付けられたらいいのだけれど、小学3年生に伝えるのがとても難しいです。

そもそも、国語、算数、社会、理科、図工、習字、音楽、体育全部に興味を持って意欲的に取り組むなんて、それぞれ興味も違えば、意欲の凸凹があってもいいのかな?とも思うのです。

子どもの「遊びたい」気持ちも十分に分かるし、遊んでほしい!とも思います。

そう思う反面、「面倒だ」というのがしない理由としてはどうなんだろうか?とも思うのです。

勉強という面において、
子どもが「東大に入る」ことを子育ての目標にしているわけではありません。
子どもたちそれぞれが自分の興味あること、学びたいことを見付けて、それに向かって進んでいければいいと思っています。

勉強に関わることで子どもの良いところもいくつかすぐに挙げられます。
適切な面に気付いてはいるものの、モヤモヤが晴れません。

人生において、「面倒だ」と思うことは多々あって、それでもやらなければならないこともあって、「面倒だからしない」では自立につながるのか?とも思うのです。私のモヤモヤはたぶんここにあるのだと思います。子どもが「面倒だからしない」を選んだ後の「社会的結末」がどうなるのか、それは分からない。その結末を子どもが享受するならばそれでいいのかな?でも、私には、子どもの人生だからとすっぱりと分けられる勇気がありません。





2017-09-08

朝のテレビ

9月になって、学校という日常生活に戻りました。

前にも書いたように思いますが、我が家には、朝にテレビを見たい人(子ども達)とテレビを見たくない人(大人達)が一緒に暮らしております。

朝起きてすぐに、息子はテレビを付けます。
そして、私は心がざわつきます。

この私のざわむきに私なりに向き合ってみたんです。
「私は朝にテレビがついているという生活がイヤなのか?」
「テレビを付けたことで時間に間に合わなくなる子どもたちの行動がイヤなのか?」

以前、考えたときは、「テレビを付けたことで時間に間に合わなくなる子どもたちの行動がイヤなのだ」という結論に辿り着きました。テレビと子ども達の行動に因果関係を勝手に持つのはやめてみて、間に合うならばテレビを見てもいいだろうと、

間に合いそうにないなら時に「テレビを消してもいいですか?」と尋ねてテレビを消すような対処行動をしていたのですが、それでも何だかざわつきます。すっきりしないのです。

ずっとずっと朝にテレビをつけない生活をしてきました。
ダンナさんも朝にテレビをつけないので、結婚してもその生活スタイルは変わらず、朝にテレビがつくようになったのはここ1,2年です。

長年「朝にテレビをつけない」生活を送ってきたので、朝にテレビがつくことに慣れません。落ち着かないのです。落ち着かないだけでなくイライラするときもあるのです。

子どもたちと「朝のテレビ」について相談することにしました。
朝にテレビを見たい人(子ども達)と見たくない人(大人達)が一緒に仲良く暮らすにはどうしたらいいか?

結果、6:45ごろまではテレビは見ることになりました。厳密には「朝だよ!貝社員」まで。 
この相談で、子ども達が何を楽しみにテレビを見ているのかが知りました。
朝はバタバタで見られるかは分からないけれど、「貝社員」を一緒に楽しみたいと思います。




2017-08-29

夏休みの宿題終了

夏休みの宿題を提出する登校日が終わりました。

「大丈夫」の言葉を信じて、登校日を迎えようとは思っていたものの、登校日3日前に、息子の宿題についてどう思っているのかを知りたくて、 (息子=えい)

私 「宿題について聴いていい?」
子 「何?」
私 「宿題がまだ残っていると思うんだけれど、えいくんはどうしようと思っているのかな?」
子 「徹夜で頑張る」
私 「そっか、えいは徹夜で頑張るのか!」
子 「うん、一度やってみたかったの」
私 「じゃあ、今日から徹夜で頑張ろうか」
子 「うん」

私 「それと、ゲームはどうする?ゲームする時間はあるかな?」
子 「どうかな?」
私 「ゲームをして宿題が間に合わないのと、宿題を頑張ってからゲームするのと、どっちがいい?」
子 「宿題は間に合わす」
私 「じゃあ、宿題が終わるまでゲームは休みでいい?」
子 「いいよ」


徹夜がしたいそうです。そう言えば、子どもの頃、徹夜に憧れたもんね。
そういうことで徹夜で宿題を終わらせるために机に向かいましたが、初日の夜11時で眠気に負けました。この体験で、「時間があまりない、もしかしたら間に合わないかも」とようやく自分自身で感じだようです。

「宿題を間に合わす」という強い意志を息子は持っているので、そこからは頑張りました。
その頑張りから私も安心することができ、いつもより遅く起きて宿題をしている息子をそっと見守って、必要とあれば手伝いをする。ずっとそんな穏やかで過ごせたわけではないけれど、少なくとも昨年よりはイライラは少なかったと思います。

息子も1年、1年成長しています。私も親として1年、1年成長しているかな?そうありたいと思った夏休みでした。




2017-08-25

アンガーマネージメント

アンガーマネージメントの講座を受けました。
アドラー心理学を学んで、自分の陰性感情とも向き合って、冷静に対応できることが確実に増えてはいるものの、

「怒りを持って他人を動かす」ことでずっと生きてきたこの習慣から抜け出すのはなかなか難しく(手っ取り早く自分の思うようになることを知っているから)、そういう自分を自分自身が作り出しているのだということが分かると、自己嫌悪に陥ったりします。

怒りを持った時のクールダウン方法を模索してはみているけれど、なかなか自分なりの方法が見出せずにいたので、アンガーマネージメントの本を読んだりしては見たものの、本だけでは身に付ず、しっかりと教えていただこうと講座を受講してきました。


心理トレーニングとして確立されているというところもあり、とてもシンプルで分かりやすかったです。

心理学という大きな括りの中で、怒りを点数化するなど、陰性感情を点数化する野田先生のエピソード分析方法や、私的感覚の考えなども含まれていて、「これならクールダウンの方法として私もできるかも!」と思いました。



怒りは怒りしか伝わらず、本当に伝えたいことが全く伝わらないんですよね。
「お母さんが怒るから」の理由で動く子ども達を育てたいわけではないんです。

社会で生活するために伝えたいことはちゃんと伝えたい。そのためには私が冷静にならないと、クールダウン=アンガーマネージメントを実践中です。


2017-08-19

夏休みの宿題

夏休みの宿題の提出まで1週間を切りました。

小学1年生と3年生の宿題の量の違いもあり、小学1年生の娘の宿題は残すところ絵日記1枚です。

小学3年生の息子の宿題については

私 「登校日まで1週間になったよ。残りの宿題の確認を一緒にする?」
子 「しなくて大丈夫」

共同の課題を提案してみましたが、はっきりと断られたので、実際のところ残りどれだけかは分かりません。
ただ、毎日コツコツしなければならない宿題(観察日記や一行日記)は進んでいないところは確か。でも、そちらには注目せず、息子が言う「大丈夫」に注目して、残り1週間、見守りたいと思います。


見守りという漠然としているといざという時に対応できない私。
「できないよ」と泣いた場合、私が冷静に陰性感情を持たずに対応できるように色々シミュレーション中。

子育ての目標を見失わずに、どうにかこうにかやさしくきっぱりと対処して、この1週間を乗り越えたいな。

2017-07-28

やさしくきっぱりと

ラジオ体操の毎日です。
ラジオ体操カードは玄関のドアのマグネットフックに掛けるように環境を整えました。

昨晩、そのフックにラジオ体操カードが1枚=娘のしかなかったので、息子に「ラジオ体操カード、いつもの場所に掛けておいた方がいいんじゃないかな」と声掛けしました。
「分かった」という声は聞こえたものの、結局、いつものところに片付けることはしなかったようで、

今朝、ラジオ体操に行こうとしたところ(6:28頃)で、息子、ラジオ体操のカードがないことに気が付きました。

子 「お母さん、ラジオ体操のカードがないー」
母 「お母さんは知らんよ」
子 「どこやろ?」
母 「昨日、ラジオ体操のカードがないから掛けておいた方がいいんじゃないって言ったでしょ」
と陰性感情です。

それでも以前に比べたら、陰性感情の度合いはグンと小さくなったんですけれど(以前は-4、5のかなりの陰性感情でしたが、今は-1、2くらい)、イヤミな言い方をしたな・・・と思います。やさしくきっぱりと!までにはまだまだです。

品を変えてこのパターン、息子の「あるある」なんですよね。
「あるある」だから、後で息子が困るのが浮かぶので、ついつい声掛けをして、「転ばぬ先の杖」の役をしてしまいます。声掛けをしても、とっても素直に「分かった!」と言うものの、行動しないので、この声掛けもいらないのでしょうね。結末は、ラジオ体操には少し遅れたけれど、カードを自分で見付けてました。

このパターンについては、「課題の分離」と「共同の課題」で学んでもらおうと思っています。
今回のエピソードで学んだことは話し合っていないけれど、ラジオ体操のカードはいつものところに片付けているので、何かは学んだんだと思うのです。

さ、次にくる「あるある」に備えて、

子 「お母さん、ラジオ体操のカードがないー」
母 「ないのー困ったね、どうしよう?」

今回の代替え案ということで、次はこんな風に返事をしてみようかな。

「どうしよう?」の声掛けで、一緒に探してとお願いされたら、その時々に応じて、引き受けたり、断ったりでいいかな。息子からはあまり「一緒に探して」とお願いされることがないので、息子は自分でこの状況を乗り越える力をもう身に付けているんだろうな。私とは違う方法の乗り越える力を。


2017-07-26

オシャレ

娘が一生懸命工作をしていました。

私 「何を作っているの?」
娘 「低いヒール」
私 「何に付けるの?」
娘 「サンダル」
私 「へー、考えたね!」

実は娘より2、3年前からヒールのあるサンダルがほしいとお願いされております。
ただ、私は足の成長期にヒールのある靴を履くことにとても抵抗があって、「ヒールのあるサンダルを履くのは足の成長にあまりよくないと思うんだよね、だから、お母さんは、ヒールのサンダルを買うのはイヤなのよ。」という説明を何回かしてはいるものの、

娘のオシャレ意識からすると、ヒールのあるサンダルは必須アイテムらしく、私の説明には納得してくれていないのです。

私=お母さんがヒールのあるサンダルは買ってくれないというのは理解しているので、今年は自分で作成することにしたみたいです。

それはそれで自分で工夫することを学んだんだなっと思いつつ、
そこまでしても欲しかった娘の気持ちも感じたので、

私 「お母さん、ヒールのある靴を履くのは
   あまりいいとは思わないだけど、
   そんなにほしいんだねー、そうなら、今度、買いに行こうか?」
娘 「うん、明日行こう!」
私 「明日は仕事で難しいから明後日でいいかな」
娘 「うん、いいよ」

ということで低いヒールのサンダルという限定だけれど、買い物に行くことにしました。

こういう風に、親の希望と、子どもの希望とが合致しないことがあります。親が説明して、ダメな理由を説明しても納得してもらえないこともあります。
よくよく考えると、それは親の希望であり、ダメな理由も親の理屈なんですよね。サンダルに関しては、同年代の女の子が履いているのに、なぜ私はダメなの?という気持ちもあるのでしょうね。

それぞれの事情で、お互いに納得していればいいのだろうけれど、
娘のヒールのあるサンダルのように2、3年越しで望み続けているならば、娘の希望と親の希望とが合うサンダルを探しに行こうかな。昨年は昨年で、サンリオのサンダルというお互いの納得ポイントを見つけたんだけれど、やっぱりヒールへの憧れがあるんだね。


 

2017-07-24

夏休み

夏休みが始まりました。

終業式の日に、子どもたちに「夏休みの遊びと宿題と相談をしたいのですが、いいですか?」と尋ねて、了解を得たので、夏休みの予定を色々と相談しました。

娘は小学生になってはじめての夏休みなので、宿題の段取り、いついつまでに何を済ませる予定かなどを相談しました。
(娘が「はじめてのなつやすみ」というプリントに「はじめてではない」とツッコミを入れておりました。ごもっともです。そういう理由で、小学生になってを強調してみました。)

息子には「お母さんと相談して決める?それとも自分で決める?」と尋ねたら「自分で決める」とのことだったので、自分で宿題の段取りを決めました。3回目の夏休み、頼もしいです!

娘は読書感想文や夏休みの自由研究(工作)などはじめてのことが多いので、相談しながら進めるとしても、息子の宿題は見守るつもりでいます。3回目の夏休み、息子ならば自分のやるべきことが分かっていて、その進め方も分かっているだろう。親の私も心を決めて「課題の分離」で見守ろうと思っています。


さて、子どもたちの夏休みに私も毎日頑張ろうと思います。
子どもたちそれぞれに「夏休みのくらし」という表があり、毎日頑張ることが小1は3個、小3は5個、子どもたちがそれぞれに決めたことを頑張って、出来たら色を塗るという宿題があります。

毎日コツコツ忘れずにするのって大変ですよね。
やりたくない日もあるだろうね。

それを口うるさく、毎日チェックするのは、私の本意ではありません。でも、ついつい言ってしまうのですよ、私・・・。だから、どれだけ大変か、億劫かを親の私が一緒に体験することで、私の陰性感情を落ち着かせられるかな?と思って、挑戦してみることにします。

私の掲げた目標は

1.水を1.5リットル飲む
2.ストレッチをする
3.朝5:30に起きる

小3の息子は5個あるのですが、私は娘と同じ小1レベルの3個にして、私の夏休みもスタートします。








2017-07-15

ゴミはゴミ箱に(続き)

ゴミはゴミ箱にの続きです。

この間、自助グループの会での同じような出来事のエピソードの話を取り上げていただいて、子どもと建設的な話ができるようにはどういう質問をすればいいのか、代替え案をいただきました。

試しに代替え案の質問の仕方で、子どもたちそれぞれに話を聴いてみたところ、二人とも「ゴミはゴミ箱に捨てた方がいいよ、でも、忘れちゃうんだよね」とのこと。

やっぱりそうか、忘れちゃうんだよね。

でも、「忘れてた」では済まされないことが社会ではいっぱいあるのも確かです。

「忘れない」ための工夫や、子どもたちの責任も、学んでほしいと思っています。
罰かな?と思ってスタートしていた「しばらくお菓子を買うのを止めている」ことについて、今度は冷静に話しをし、子どもたちに「忘れる」ことについて真剣に考えてもらうことにしました。そして、どんな工夫ができるのか、もうそれぞれで考えて、それぞれで答えを見つけられるとと信じていることを伝えました。最後に「よし、できるぞ!」と思ったらお知らせしてね、その時はお菓子を買いに行きましょう!と伝えました。

そして、その日のうちに、娘は「ゴミ箱に捨てる」と折り紙に書いて、冷蔵庫に貼って、「考えた、もうできる!」と宣言しました!その時に息子に尋ねたら、「僕はまだいいわ」とのこと。「なら僕も!」とならずに自分のペースを持っている息子。二人のペースが違うのは仕方ない、娘だけお菓子を買うこととなりました。


そのお菓子を息子=お兄ちゃんがもらっておりましたが、そこは娘と息子の関係、そこに立ち入ることは止めました。そんなこんなで息子の決意は聴けぬままですが・・・タイプの違う子どもたちを育てていると二人同時というのはなかなか難しい。だからといって連帯責任で、二人同時を強制するのはおかしいので、こんな感じで何となく進んじゃいますが、

この機会に、子どもたちは子どもたちでお菓子を買うことにしました。
私が子どもの好みを考えて、買い物のついでと思って買っていましたが、それも卒業。

幸い歩いて2、3分のところにドラッグストアがあるので、予算を決めて、子どもたちが買うことにしました。1週間分、自分たちが食べたいものを予算と相談しながら買う。まだ娘は1年生で、計算などにちょっと心配があるけれど、そこは兄に手伝ってもらうことにして、二人で協力しながら、自分たちのお菓子を責任を持って管理してもらいたいと思っています。


子どもたちが「忘れた」ときに持ち出す私の気持ちの落ち着け方法を探すのは、私の課題です。

今日言って、明日できるの成長を求めるのではなく、もっと長い目で見守ろう!これが私の課題かな。子どもたちは子どもたちの課題に向き合っているのだから、私も私の課題に向き合います。

2017-07-10

モンテッソーリ教育

日本でのモンテッソーリ教育の第一人者の相良敦子さんの訃報に遅ればせながら触れました。

モンテッソーリ教育のように子どもと向き合いたいと思っていましたが、ちゃんとした働きかけの方法も結局、ちゃんと勉強しないまま、多くの子どもの敏感期を逃してきたな・・・と思っておりました。

それでも相良敦子さんの著書の一つ、「ママ,ひとりでするのを手伝ってね!」学ばせていただいたことは多く、その心構えは私の中でストンときていて、自己流ではあるけれど、環境を整えて生活しています。

ママ,ひとりでするのを手伝ってね!はその本のタイトルどうり、自立へとつながる道であると感じていて、それはアドラー心理学のパセージが同じだと思っております。


環境を整えるという点で私が心掛けたことは、
幼稚園に入り、子どもが自分の給食セットを準備できるために、まず、手の届くところに置き、二人の子どもがそれぞれ自分のものと認識できるように、箱を分け、1日分が分かるように、給食セットを整えておきました。

自分の給食セットを準備するはアドラー心理学でいうところの子どもの課題です。
その子どもの課題をどうしたら3歳児の子どもが無理なくすることができるのか?
子どもの話を聴ければ一番いいのでしょうが、3歳児がその答えを持っているかどうか、その時は聴くことさえもしていないけれど、3歳児を前にして、親の私が「子どもが自分の給食セットを準備する」環境を整えました。その子、その子の成長過程で、「ママ,ひとりでするのを手伝ってね!」のために親の私が何ができるかの心構えを教えていただいたのはとても私の中で大きいことでした。


この文章を書いている今はアドラー心理学を学んでおりますが、先に出会ったのはモンテッソーリ教育。その土台があったからこそ、アドラー心理学の子どもの自立に向かうための課題の分離はスッと心に入ってきたところがあります。

子育ての目標が同じだなっと私は感じたわけですが、他にもそういう視点で共感できる考えや理念などには私自身、触れて、学んでいきたいなっと思っています。

2017-07-09

ゴミはゴミ箱に

「ゴミはゴミ箱に」の課題、光が見えてしばらく暮らしていましたが、また陰性感情です。

「忘れてた」が多いのです。
本当に純粋に忘れてたわけですが、あれから1年近く経って、「いい加減に忘れるから卒業しようよ」という気持ちが強くなってきたようです。


子どもたちに「ゴミはゴミ箱に捨てた方がいいと思うんだよね。でも、いっぱいのゴミが床に置いたままでしょ。お菓子のゴミがゴミ箱に捨てられるぞ!と思ったら、お母さんに伝えて。そしたら買いに行こう」と提案しました。

提案しましたといっても、ほぼほぼ命令で、これって罰だよね・・・
そは言っても口にしたので、お菓子を買うことをしばらく辞めています。



子どもたちは「忘れてた」わけですが、忘れていようと、そこに意味があろうと、ゴミが床に置いてそのままの状態を見て、私は陰性感情を持ちます。そりゃあそうです、「ゴミはゴミ箱に捨てる」という私的感覚を持っているのですから仕方ないのです。

どうしようかな・・・

やっぱり子どもたちの「話を聴く」だよな。

ただ、「ゴミはゴミ箱に捨てる」は正論で、学校でも教えられていて、子どもたちがゴミはゴミ箱に捨てなくてもいいと思っていても、それを言うのをためらうだろう、子どもたちも成長してきて、自分の気持ちではなく、正しい答えを察知できるようになり、

そういう成長を嬉しく思うと同時に、どうしたら建設的な話(本音の話)ができるのか、話を聴くにあたって、質問の方法も工夫する必要があるのを教えていただいたので、今、その質問の仕方を考え中

それと同時に成長=「ゴミはゴミ箱に捨てる」ことを今すぐ身に付けることに拘らず、もう少し長い目で見る必要があるのかなっと私も私の考えを変えてみようと思っています。






2017-07-06

子どもを育てるということ

アドラー心理学のパセージで、子育ての指南をいただきながら、日々、子どもと過ごしております。

子どもを勇気付けするために、自分の陰性感情=私なりの目的を、自分なりに分析して、己自身に説明したり、自分では解決できない場合はみなさんからと一緒に学ばせていただいて、その陰性感情を持たらす私的感覚と対峙したりすることがあります。

スカッと晴れることもあれば、モヤッとしたままぶら下げていることもあって、私の気持ちを上手く自分自身にも説明できないところがあったのですが、

子育ての姿勢として、ブログを通して学ばせてもらっている虹色教室通信で「恥ずかしい」よりも「その子の成長」へフォーカス の記事に、ぶら下げていたことへの私にとっても大事な気付きがあり、しみじみと納得しております。


アドラーを学んで色々と考える機会をいただきながら、私の子育ての目的、目標が、「果たして、本当に子どものことを思ってのことなのか?」と自問自答することがあります。それがパセージが指南する勇気付けかどうかの話とは別として、私の日々の行動が「子どものことを思って」の行動かと問われれば、「そうです」と断言できるほどの自信を持っていないと常日頃、感じておりました。

そしてその記事はその自信のなさがどこから来るものなのかを気付かせていただきました。

気付くことが学びの一歩です。その記事にある通り、「その子の成長」へフォーカスするように己の舵を己でとればいいのですよね。


2017-06-26

それぞれの学び

うちの兄妹、全く違った性格をしています。
体質も違うのか、兄妹で、風邪やインフルエンザなどの感染の病でも、一緒の部屋で寝たとしてもうつることないほど!の違いを持つ2人。

こんな兄妹、同じように接しても学びが違います。

例えば、我が家は私が夕ごはんの後片付け=食器を洗う時に
「今から洗い物を始めまーす」と宣言することにしています。

学校に毎日持って行く給食セットの管理は子どもたちそれぞれの課題です。
それでも、使い終わった箸やコップを洗うこと、ナフキンなどの洗濯やそのアイロン掛けは、家事のついでもあるので、私が担うことで協力を申し出ています。その協力の申し出ての声掛けが「今から洗い物を始めまーす」です。もちろん、この声掛けに込められた私の意見も説明して決まった声掛けです。

その私の声掛けに
息子は洗い物(給食セット)を出さない、娘は出す、それぞれが違う選択をします。

私が子どもなら?と考えたら、絶対、娘の「出す」を選択します。
ダンナには直接聞いたわけではないけれど、日々のダンナから息子への声掛けからすると「出す」を選択するのだと思われます。だから、息子の「出さない」の選択には3人とも???で分からないところ。息子以外の3人は「出せば洗ってもらえる!」と思い、息子は「自分でやります!」と思っているようです。

というには、息子は学校に行く前に、淡々と自分の給食セット(箸とコップ)を洗い、キレイにして準備をします。時にギリギリで焦っている時はあるけれど、決して、「何でお母さんが洗ってくれないの!」とは言いません。自分の課題だと理解して淡々とです。

こういう息子の行動を目の当たりにすると、息子の「出さない」選択は何も間違っておらず、ただただ、私とは違う選択をし、また違う方法で自立へと歩んでいるのだと思えるようなりました。

自立への道は色々あって、私が想像できない道もあるんだろうな。
想像できないことが起きると不安になるけれど、子どもたちとは話ができる間柄、聴くことでしか子どもたちの考えが分からないのだから聴く。

陰性感情を持つエピソードの多くの行き着くところは「子どもの話を聴く」だったりします。


2017-06-22

適切な側面に注目

ごはんを残さず食べるについては、娘とは考え方の違いがあることを認識したので、私は私の「私的感覚」と折り合いをつけながら過ごしていて、陰性感情は持つ時もありますが、このことで娘と衝突することはほとんどなくなっています。

そんな娘と私のことを横に置いておいて、

学校の日の朝、おかずを半分残して、朝ごはんを終えた娘の皿を見て、息子が「あ、また残しているね、でも、半分は食べているからいいか」と言いました。

息子くん、あなたはちゃんと適切な側面に注目することができるんだね!尊敬です。

息子は時々だけれど、家族や自分自身の適切な面を口にします。
そんな息子に私は勇気付けをいただいています。


P.S. もちろん娘にも勇気付けをいただいています。


2017-06-17

夏休みのイベント

夏休みの地域で開催のイベント情報案内が次々と学校からもらってきます。夏の自然体験キャンプ、物づくり、科学教室etcと色々です。

子どもたちの話を聴いて、申込みをしています。
多くが抽選なので、参加できるかどうかがまだ分かりませんが、「子どもたちが行きたい!」と思うものは積極的に動きたいと思っています。

こういうイベント、親の私が子どもたちに経験してほしいものと、子どもたちが行きたいものと、異なることがあります。

夏の自然体験キャンプ、行ってほしいな~と思って、相談してみるけれど、子どもたちから「No」の返事。

娘は意志をはっきりと伝える子なので、イヤなものはイヤで、説得しても無理だろうけれど、
息子は親の行ってほしい気持ちを察して、自分の気持ちを抑えるところがあるので、説得したら「行く」と言うと思います。

息子は新しいことに挑戦することに慎重なところがあって、場所見知り、人見知りの幼児期を過ごしていました。他にも客観的な事実の基、療育の支援を受けておりました。そして、「大丈夫なんだよ」ということを体験することも大事という療育の先生からの言葉もあり、行きたくなさそうなところでも、親が付いて行くことや安心であることを説明して、もちろん、泣いて行きたくないというようなところには連れては行きませんが、親が「息子なら大丈夫だ!」と思うことを少しずつ行動に移してきました。

こういう経緯があって今の息子がいて、確かに決断までには時間が必要だけれど、色々なことは自分で決められるようになりました。だから今はその「No」の答えには「はい、分かりました」と私の気持ちは下すことにしています。

キャンプなどの課外活動を異年齢の人と過ごすことはいい経験になるとは思うけれど、それは子どもが「楽しい」と思うことがあってのこと。楽しくないかも?と思っていたけれど、行ってみたら楽しかったという経験もあるとは思うけれど、たぶん、うちの子どもたちはその可能性が低いように思います。その子、その子の性格やら日頃の行動などから思うことなので、私がそう思う根拠をここに書くのは難しいけれど。

ただ息子のように、親の気持ちなどに応えようとしてくれることに便乗して、私の気持ちを押し付けてはいけないと自戒しています。私はグイグイと自分の意見を押し付けちゃうタイプなので・・・。

子どもたちからの「No」に残念だという気持ちはあるけれど、子どもたちの夏休みを楽しく過ごすための相談。その相談の目的さえちゃんと分かっていれば、子どもたちの「No」の返事をちゃんと受け止めることが、私が協力的できることだと思っています。


2017-06-15

プラスノート

アドラーギルドで野田先生がまとめられた「勇気づけの歌」を見ることができます。

http://adler.cside.com/library/encourage.pdf

歌の中に

"プラスを見つける工夫をはじめよう
相手の長所をノートに書いてみる
よかった点を毎日思い出す
適切な面をいつでも考える″ 


とあり、プラスノートをつけてみるのもいいと自助グループのお仲間さんから教えていただいたので、付け始めました。

日記帳を買って頑張るぞ!と最初は思いましたが、続けることが一番だと思って、手元にあったマンスリースケジュール帳に文字にして20文字程度のプラスノートをつけることにしました。

20文字程度なので、プラスのエピソードとしては1つ書くだけですが、それが私の性分に合っていたのか、たまに2,3日空いてしまいますが、そこは振り返りながら、1ヶ月近く続いております。

このプラスノートを書くことで、その時は気が付かなくても、振り返って適切な面を見つけることができ、それが次へとつながっているような気がします。

どうしてもプラスよりもマイナスの感情が強いエピソードは、それはそれで書き留めて、ゆっくりと自分なりに振り返って、代替え案を探すようにしました。

文字にすることで、私はかなり冷静になることができます。
噴火型の(一気にー5まで到達する)怒りがずいぶんとなくなりました。






2017-06-12

課題の分離と共同の課題 その5

「お風呂」に関わる課題は、陰性感情がずいぶんと小さくはなったものの、モヤモヤが消えない。みなさんのお力を借りようと自助グループのみなさんにご相談しました。

相談することで、「お風呂に入る、入らない」という問題の後ろに隠れていた、私的感覚が見えてきました。


相談したエピソードは、
子どもたちが一緒にお風呂に入りたいと希望するので、お風呂に入る時間を具体的に相談をして決めます。その時間にお風呂に入るために私は家事を済ませて、準備をし、その決めた時間にお風呂に入ります。
「○時(約束の時間)だからお風呂に入るねー」と子どもたちに伝えて、私はお風呂に入ります。
お風呂に入って待って、5分、10分と経ち、子どもたちがお風呂に入ってこないと「なんで約束の時間を守らないの」と思って、陰性感情を抱きます。

対処行動:「なんで約束の時間を守らないの」と思う
(このエピソードでは特に子どもたちに言葉や態度で対処行動を起こしていないので、思うとしました)
感情:-2(怒り)
考えていたこと:なんで約束の時間を守らないの?お母さんはこの時間までにするべきことをしたよ

私の陰性感情は、前回にも書いたように「子どもたちが望んで、それに応えて、私はお風呂の準備をした。ならば、子どもたちはその対価として行動にして示さなければならない」と私が思っていて、陰性感情を抱くことに気が付きました。
しかし、私は約束を守らなかった子どもたちに「ごめんなさい」と謝ってほしいと思っていることにみなさんのお力で気が付かせていただきました。この仮想的目標は競合的ですよね・・・(苦笑い)

ということで、協力的な構えに変えるために、具体的な時間を決めないことにしました。

私「今日はポケモンが7時からあるねー見る?」
子「見る」
私「じゃあ、お母さんはそのテレビが終わったらお風呂に入ろうかな」
これくらいのざっくりとした相談だけすることにしました。
そして、おおよその時間になったら、「お母さん、これからお風呂に入るねー」と声掛けをします。
後は子どもたちの選択にお任せです。

息子はほぼ確実に「一緒に」入ることを選択するし、娘は入ったり、入らなかったりとその日の気分で「一緒に」を選択します。約束の時間がないので、「なんで約束の時間を守らないの?」の考えを持つことはなくなりました。

「ごめんなさい」と謝ってほしいことを目標にしていたのは、私自身にも謝ってほしいと思っていたのもありますが、社会で生きるにあたって、約束の時間を守る大事さを子どもたちは知っているのかな?と不安に思っていることからくるものだとも気が付かせていただきました。

「社会でちゃんと学ぶよ」とのアドバイスをいただいたのですが、知っているのか、知っていないのかを確認したくて、
冷静なときに、お風呂の話ではなく、違う例え話をして、子どもたちの話を聞いてみたら、ちゃんと知っておりました。

私の心配も無用ということが分かりましたので、不安という陰性感情も抱くものがなくなりました。


子どもたちは「一人でお風呂に入れる」能力があると感じてくれていると思うし、
「一緒に入りたい」という子どもたちの気持ちにも寄り添いたいと思って私は動いているので、私は仲間だと感じてくれていると思うし、

これで協力的な方向で向かっているかな?




2017-05-17

課題の分離と共同の課題 その4


お風呂に一緒に入る=「お風呂」に関わる課題は、私なりに対処行動を起こしていたのですが、すっきりと解決できず、ずっとくすぶっている課題だったりします。

子どもそれぞれがお風呂に入るのか、いつ入るのかは子どもの課題

そして、子どもたちはそれぞれ自分でお風呂に入れる能力があり、親の手助けも必要のない年齢になりました。

完全に課題の分離ができるのです。


でも、息子も娘も、私と一緒に入りたいと希望しているのです。
特に、息子は、ミステリーのテレビ番組を見始めるようになってからは、一人で入れる能力があるけれど、怖いのです。

そして、私は一緒に入りたいという希望に応えたいと思って過ごしており、色々と試行錯誤してきました。

何時に入りたいのか?を相談して決める。
その時間に入るために私がお風呂に入るための準備(他の家事などをその約束の時間までに終えるetc)をする。
その相談して決めた時間に子どもたちはお風呂に入らない。
私がイライラする。

このパターンです。

子どもたちが望んで、それに応えて、私はお風呂の準備をした。ならば、子どもたちはその対価として行動にして示さなければならないと私は思っていて、行動が伴わないとイライラと陰性感情を持ち始めます。


このパターンから抜け出すために、課題の分離を明確に子どもたちと確認することにしました。一緒に入るという共同の課題にしようとしているのは子どもたちなので、それをちゃんと伝えることにしました。


子どもたちそれぞれの希望「一緒にお風呂に入りたい」にお母さんは応えたいと思ってて、だから、お風呂の入る時間を相談して決めたいと思っていること。

子ども達それぞれは、一人で入れる能力があるのをお母さんは分かっているので、一人で入ってもいいし、一緒に入りたかったらそうしてもいいし、それはあなたたちが決めて下さいね。


こんな想いを伝えた上での対処行動。
今のところ、子どもたちは「お母さんと一緒にお風呂に入る」を選択していて、私は陰性感情なしです。


一緒に入らないを子どもたちが選択した場合、私はどうなるかな?
一人で入れるようになってよかったなーと適切な行動に注目できるといいな。




2017-05-16

課題の分離と共同の課題 その3

息子に続いて、娘と話をしました。
 
 娘=いーちゃん

私「いーちゃん、自分で学校の準備しているでしょ」
娘「うん」
私「全部、自分でできるかな?」
娘「できるに決まっているじゃん」
私「そうだね、もう自分でしているもんね」
娘「うん」
私「お母さんのお手伝いがいりますか?」
娘「いらなーい」
私「分かりました。もし、何かお手伝いがいるときは声を掛けてね」


ということで、娘は「自分でできる!」ということで、私の手助けは不要となりました。
できることはただただ見守るだけです。


お風呂については、娘も一緒にお風呂に入りたいという希望を持っていると確認しました。
このお風呂の課題は息子、娘、私、3人で共同の課題として何が協力できるかを相談します。

一歩一歩の前進です。

2017-05-15

課題の分離と共同の課題 その2

子どもたちの希望

1)宿題を前日には済ませたい 
2)朝6時ごろに起きるためには夜は9時には寝たい

は、はっきりしました。

でも、宿題をするのは子どもの課題だし、夜9時に寝るための準備をするのも子どもの課題です。
この課題のどの部分を共同の課題にするかをはっきりさせて、それ以外の子どもたちが求めていないことに関しては課題の分離をします。


息子とは

1)宿題のうち、毎日の宿題である音読は、思い出すためにテレビの横に「音読」と掲示するという対策を息子自身がしたけれど、どうしても忘れてしまうので、一度だけ「音読は?」と声掛けすることになりました。

2)夜9時に寝るための生活の流れの中のお風呂について、一緒にお風呂には入りたいという希望は確認しました。そのためにどういう風に具体的に協力できるかはまだ結論が出ていません。


息子の課題、私の課題(まだ準備しないのかな?とか、今日の連絡はどうなっているのかな?とかの心配事)もはっきりしたし、これは課題の分離でそれぞれで解決です。

協力できる=共同の課題もはっきりしたので、まだ結論が出ていないお風呂については追々相談するとしても、すっきり整理ができました。


次は娘の話を聴きます。

2017-05-13

課題の分離と共同の課題 その1

娘が小学生になって、朝の登校までの過ごし方について問題(私の陰性感情)が出てきました。

今までは、私と息子のそれぞれ課題で、その課題から何を私と息子の共同の課題とするかを1対1で向き合って解決できたのですが、そこに娘が加わり、私と息子、私と娘のそれぞれ1対1だけでなく、息子と娘の関係も加わり、何だかよく分からない状態になっています。

課題は「登校の集合時間に間に合うために7:10に家を出発する」です。
これは子どもの課題です。

7:10にただただ出発するだけでいいのかを含めて、子どもたちに話を聴いたところ、

1)宿題を前日には済ませたい 
2)朝6時ごろに起きるためには夜は9時には寝たい

という想いを持っていることは確認できました。

何が手伝いができるのか?
何を子どもたちは親へ協力を求めているのか?

小学3年生と1年生、できることの違いがあって、でも一緒の時間を過ごすにあたって、子どもたちもお互いに協力しなければならないこともあり、


子どもそれぞれの課題は何か、
親の課題は何か、
共同の課題にできることはあるのか、

ちゃんと問題を整理して、協力して暮らすために、話し合いたいと思います。


2017-04-28

木を見て森を見ず

「木を見て森を見ず」

職場で、「木を見る」ことだけに拘って、「森を見る」こと全体な目標を失っているのでは?と思うことに直面しています。「木を見る」ことが悪いことではありませんが、木を見ることに多くの労力を割くにも関わらず、いとも簡単に指示をされるけれど、実際、それを担う者として、その必要性が分からずに仕事をするというのはとてもストレスです。

そんな職場の環境を、自分自身の子育てに置き換えて考えてみました。

大きな大きな子育ての目標を見失って、今だけのことにこだわること
大きな大きな子育ての目標が子どもたちに伝わらないこと

これらに影響を受ける子どもたちは、私が今、仕事で抱えるストレスと同じくらい理不尽なことなのかもしれませんね。



明日、忘れ物をしないためにこだわって、忘れ物をしない工夫を身に付けるという大きな目標を見失うこと

できることを見守り自立の目を育てるという目標の前に、「今」にこだわって、「早くしなさい」と口出しすること

子どもにとって理不尽なこと、改めて仕事で体験中。
いい経験だと思って、また、気持ち新たに頑張ろう!




2017-04-21

協力的か競合的か

我が家のゲームのルール

1)火曜日と木曜日はDVD、ゲームは休み
2)夜の7時半でDVD、ゲームは終わり
3)毎日、一定の時間、テレビを含むメディアから離れる時間を設ける

ですが、1)以外については、子どもたちも納得しているようです。
火曜日と木曜日の週2回の休みについては、ちょっと不満そうな時があるのかな?

というのも

息子 「ゲームしたらダメだよね?」
母   「今日は火曜日だしね、お休みの日だからね」
息子 「そうだよね」

こんな会話をすることが多いのです。
隠れてゲームをすることもなく、気持ちを切り替えて違う遊びをしたりするので、ただの確認?と捉えていいのでしょうか。

 


 
 

 
 

 
 

 
 
子どもが遊ぶ姿を見て、どの遊びにも同じ感情を持つわけではありません。ゲームばかりしている姿を見ているとやっぱり心配になります。これは私の課題でしょうか?
 
子どもたちには中毒性があることも考えて、ゲーム(メディア)とは上手に付き合ってほしいと願っています。そういう親の想いと子どもたちのゲームがやりたいという想いとを確認しあって決めたはずの火曜日と木曜日の週2回の休みについては、まだ悩むところです。
 
本当ならば、子どもたちが自分たちで考えて、上手に付き合ってほしいところだけれど、上手に付き合うについての具体的な分量は人それぞれで考え方も違う。その分量を話し合ってすり合わせて決めた結果だから、これでいいのだろうね、たぶん。何だかやりたい気持ちを抑えている気分になってモヤっとするのは、この方法が協力的か競合的か判断がつかないからかな。
 
 

2017-04-20

私的感覚

新生活がスタートして2週間が経ちました。
入学式翌日に発熱で学校を休んだ娘、他にもあって、小学校生活、特に友達関係で心配していたけれど、元気に通っています。「学童が楽しい!テレビを見られる時間があるから」と言うのにモヤっとしますが、楽しい場所と時間があることに注目=正の注目をしようと思います。

さて、そんな娘の登校ですが、6時起きの7時過ぎ出発というスケジュールとなりました。学区の端に住むので、登校に45分かかるのです。

起床から出発までバタバタです。
まずは6時過ぎに起きるものの20分ほどボーっとする時間が必要で、動き出せるまで時間がかかります。ごはんも食べていかないと給食の時間まで持ちませんので、頑張って食べてほしいところです。

さて、このごはんの時間の娘の行動が私の私的感覚を刺激します。
以前にも書きましたが、私は「ごはんは残さず食べる」という私的感覚を持っていて、子どもたちと時々衝突します。

色々な対処行動で私なりに行動してきましたが、やはり時々衝突が起きます。
その衝突のエピソードを先日の自助グループで分析をしていただきました。

私が育ててきた「ごはんは残さず食べる」という私的感覚は変えるのは難しく、共通感覚からもそうも離れていないと思うと、上手く付き合うしかないのです。

旦那も私も「ごはんは残さず食べる」という私的感覚を持ち合わせているから、子どもたちへも自然とそういう風に教えてしまいます。しかし、私の「残さず」は限りなく完食するに近いだけれど、それぞれの感覚の違いがある。また、子どもたちは自分の見積もりと実際に食べられる量を見極めることを育てている段階。その育ちを協力的に見守る代替え案をみなさんからいただいた意見から見つけることができました。

子どもたち二人とも小学生です。親の影響を受けてはいるものの、それぞれがそれぞれで私的感覚を育てています。
時にはぶつかることもあるのは仕方がないのです、たぶん。
「親が正しい!」と縦の関係を振りかざしてしまいそうになることがあるけれど、それはアドラー心理学ではありません。違った私的感覚を持った家族4人が仲良く協力的に暮らせるようになりたいと思っています。



2017-04-05

新学年に向けての準備ー完了

ゆっくりと買い物に行けるラストチャンス日は過ぎてしまいました。
とはいえ、新学期はもうすぐそこです。 (A=えい)

母「えい君、もう新学期の準備は完璧?」
子「ん」
母「クレヨンとか色鉛筆とかもちゃんと揃っているか確認して下さいて書いてあったけれど、それも確認した?」
子 「それはまだ」
母「どうする?」
子 「明日の夜するわ」
母「明日の夜して、もし、必要なものがあったらどうするの?次の日が新学期だし、買い物に行く時間がないよ」
子 「じゃあ、今日の夜するわ」

夕方に5回目の声掛けをしました。


そして夕食後、

母「夜に準備するって言ってたけど、どうする?」
子 「8時になったらするわ」
母「8時になったら声掛けした方がいい?」
子「うん、お願い」

そして、8時に声掛けをして、息子は新学期の準備を始めました。

だいたい色の色鉛筆、青色のクレヨンが必要ということが確認できたので、明日の仕事が終わったら買い出しです。

ラストチャンス日が過ぎたけれど、陰性感情はありません。ゆっくりと買い物はできないけれど、急いでなら買い物も可能だしね!必要なものだけ買って、新学期の準備は完了です。

以前なら、「だから早くしてって言ったでしょ!」と陰性感情を持っていたように思いますが、この新学期の準備のために自分なりに丁寧に向き合ったので、冷静に対応できた気がします。

途中経過もその都度振り返ったこともあり、「準備をする」という私と息子に違いがあるということも分かったので、声の掛け方にも工夫できるようになったと思います。





新学年に向けての準備ー途中経過 その4

新学期までにゆっくりと買い物に行けるラストチャンス日を前にして、息子に声を掛けました。 (えい」=息子) 


母「えいくん、新学期の準備の話をしていい?」
子 「うん」
母「新学期の準備の確認どこまで進んだ?」
子 「だいたい終わった」
母「新しく必要なものないかな?」
子 「それはまだ分からん」
母「そっか、明日○○行くでしょ。その帰りに□□に行く時間があるよ。明後日はお母さんはお仕事でゆっくりと買い物に行けるかどうか分からないんだわ。だから、もし買い物に行くなら、明日の方がいいんだけど」
子「分かった」
母「お母さん手伝おうか?一緒に必要なものチェックして確認した方がいい?それとも自分でする?」
子 「自分でする」
母「分かった、じゃあ、頑張ってね。これ学校からの案内ね。ちゃんと確認してね。」


こうして、4回目の声掛けは終了です。

ノートについては、近くのドラッグストアで新学期準備コーナーが設けてあって、そこに立ち寄った際に息子が気が付いて購入済です。

残りはクレパスや絵の具とか、そういう一つ一つの足りないものの確認。

私の感覚では買い物が必要なのはそれなんだけれど、息子の感覚では、新しいノートも買ったし、だいたい終わったなんだろうな。この違いに声掛けしたときは気付かなかったな、だから、念押し、しちゃっいました。「だいたいってどこがだいだいなのよー」と思っていたから。

何れにしても、「一緒に」の申し出は断られたので、私ができるのは声掛けのみ。
「自分でできる」息子はちゃんと自立に向かっているね。
課題ははっきりしました。新学期まで残り数日、声掛けは残り2回。

2017-04-02

これは私たち家族の話ですーブログについて


このブログは、野田俊作先生が考えられた「パセージ」を修了後に実践を続けるにあたって、自助グループなどの勉強会への参加だけでなく、日々の育児にどう活かすのかを振り返るために、試行錯誤する私自身の助けになればと思って綴っております。

また、同じように「パセージ」を修了したけれど、なかなか思うようにいかないなーと感じておられる方の目に偶然止まって、同じように試行錯誤されているな!と仲間と感じていただけたらいいなとも思って綴っています。

独り言のようなブログを時々、見ていただけることにも嬉しく思っておりましたが、改めてこのブログについて私の考えを述べたいと思い、ここに書かせていただきます。



 
 
 
このブログで綴られていることは
 
「パセージ」「パセージプラス」は終了したけれど、
 
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。

の目標へ歩くために悪戦苦闘、試行錯誤をしている私の話です。
 
目標は明確ではありますが、その道中、私が向かっている目的が本当に協力的なのかを、地域の自助グループのお仲間さんに確認していただいたり、学習会に参加したりして、学んでいます。そこでの学びは多く、協力的だと思って進んでいたことが、本当は競合的だったことに気付かせていただいたりすることもあります。そういう仲間に支えていただき、道のりを修正しながら、目標に進んでいるつもりです。
 
人それぞれで環境も考え方も違います。違った環境と考えを持った家族がこの目標のためにできる行動はそれぞれが違って持っています。この違いを超えて、こういう時はこうすればいいというマニュアルはないと思っています。ここに綴っているエピソードや私の考えはあくまで私たちの親子や家族の、悪戦苦闘、試行錯誤をしている話だというだということを改めてお伝えしたいと思います。



新学年に向けての準備ー途中経過 その3

4月より1年生になる娘の入学準備の最終確認で、上靴と雑巾が揃っていないことが分かりましたので、出掛けるついでに買って帰ることにしました。

朝に「途中経過 その2」声掛けをし、その日の夕方のことなので、出掛ける前にもう一度声掛けをしようかと思いましたが、それは止めました。

確認していないことはほぼほぼ分かっていたけれど、私の知らないところで確認をしていたかもしれないので、

お店に着いたところで、 (いー=娘 えい=息子)

母「いーちゃんの上靴を買うけれど、えいくんも新しい上靴いる?」
子「いらないよ」
母「他にいるものあるなら一緒に買うけれど、今、分かる?」
子「分からない」

こうして2回目の声掛けを終えました。


そして、翌日の朝、

子 「10ミリと12ミリのノートがいるんやった」
母「昨日の買い物の時に言ってくれたらよかったのに」 (陰性感情-2)
子 「忘れてた」
母「他にいるものは?」
子 「分からん」
母「お母さん、何回も買い物には行けないから、必要なものがあったらまとめて買いに行こうね、お仕事の日は買い物に行けるかどうか分からないから、行けるのは2日と5日だよ。必要なものが全部確認できたら言ってね」
子 「分かった」


こうして3回目の声掛けを終えました。
陰性感情を持ち始めました。

そして、お願いされた声掛け6回のうち半分終わりました。
日頃、必要以上に声掛けをしていることを実感しています。




2017-04-01

新学年に向けての準備ー途中経過 その2

子ども達が実家から家に戻って来ました。

持ち帰ったものの中に、春休みの宿題(提出不要の復習プリント)や勉強道具などがあったので、第1回目の声掛けを4月5日にしようと決めたにも関わらず、ついつい声掛けをしてしまいました。

****** (えい=息子)

母「えいくん、新学年に向けての準備について話しをしていい?」
子 「なに」
母「カレンダーを見て話しをするね」
子 「うん」
母「今日は3月31日、新学期は4月7日で、間にある土日は明日と明後日だけなのね。平日はお母さん、お仕事があるでしょ。仕事のある日に必要なものを買いに行けるかどうか分からないから、もし必要なものがあるなら、明日、明後日に買い物行けたらいいなと思っています。これが学校からもらった新学年に持ってくるものの案内のプリントね、渡しておくね。大事にして確認しておいてね。」
子 「うん」

と自分の机に行って、どこに置いておくといいかを考えた息子

子 「分かりやすいところに置いておきたいんだよね、どうしたらいいかな?」
母「マグネットでくっつくから、このマグネットで見えやすいところに貼っといたら?」

とマグネットを渡すと、気付く場所を考えて、息子自身が張りました。

母「いいね、そこなら見やすいね」

******

こうして第1回目の声掛けを終了しました。

今までは子どもは実家で過ごしていて、一緒に過ごしていなかったから上手く課題の分離(声掛けをせずに見守る)が出来たけれど、これからは、一緒に過ごしながらの課題の分離です。

すでにして4月5日に第1回目の声掛けをしようと決めていたのに、フライング。
「言わずにはいられない」私
息子を信じて、見守る、私の課題です。


2017-03-28

新学年に向けての準備ー途中経過 その1

春休み最初の週末は、私の実家へと遊びに行きました。
その後、私は仕事があるので、一足先に帰り、子どもたちは数日、おばあちゃんにお世話になります。

その一足先に帰るときに、「ちゃんと宿題を済ませておきね」と口に出しそうになったのを、グッと飲み込めました。

「声掛け」を6回することをお願いされているので、
声掛けはいいんだけれど、「ちゃんと宿題を済ませておきね」の言い方は

<子育ての心理面の目標>
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。

の目標を達成している声掛けではないように思っていて、
どういう声掛けをするのがいいのかを私なりに考えておこうと思います。

とにかく3月に声掛けせずに見守ることにします。

買い物に行かなければならないので、仕事が休みの4月5日に第1回目の声掛けにしようかな。
こういう風に具体的に日程を決めておくと、自分自身の覚悟もより強くなれる気がします。

2017-03-23

新学年に向けての準備の相談

春休みです。息子に新学年に向けての準備について話しをしました。 (えい=息子)

母「えいくん、新しい学年に向けての準備の話しをしてもいいでいいですか?」
子 「うん」
母「3年生になるので、学校から新学年の準備のお便りを見て、揃えるものとか自分で確認してもらえますか?」
子「書いておこう」
母「書いておくとは?」
子 「必要なものを書き出すの」
母「お便りに書いてあるよ」
子「分かった」
母「えいくんが確認して、買うものとかあったら教えて下さいね。一緒に買いに行こう!」
子 「お母さんも確認してね」
母「えいくん、自分でできると思うよ」
子 「えー確認するの忘れるもん」
母「じゃあ、確認できたかどうかの声掛けでお手伝いしようか」
子 「お願い」
母「声掛けは1回でいいかな」
子 「3回」
母「じゃあ、3回ね」
子 「やっぱり6回」
母「はい、6回ね」

こんな風に新学期に向けての準備について、子どもの役割と私の役割とを明確にしました。

課題の分離をし、お手伝いできることも確認したので、残すは私がどれだけ声掛けを冷静にできるかです。

「まだしないのか・・・」
「いつするんだ」
「声掛けしたのになぜ動かない」

こういう陰性感情を持たずにいられるかな。

「息子はできる」と信じて見守ろう、私の覚悟の宣誓です。


2017-03-21

再々考ーゲームのルール

12月にゲームのルールを考え直して、息子の希望を取り入れたルールにしました。

2ヶ月余りそのルールで進めていましたが、私は陰性感情を持つし、息子はルールを守らない。
ルールが複雑過ぎるし、息子が決めたとはいえ、勉強のご褒美がゲームなので、ゲームをすることが目的で、勉強がとても雑になって、これが本当にいいのかと甚だ疑問を持ち続けておりました。

何度か息子と衝突した上で、もう一度ゲームのルールを決め直そうと提案しました。 (A=息子)

母「Aくん、1日何時間ゲームをしたら、満足だな~と思いますか?」
A 「2時間かな」
母「休みの日でも」
A 「休みの日は3時間かな」
母「お母さんはゲームを休む日を作ってほしいのよね、ゲーム以外にも遊ぶことはいっぱいあるし、そういう経験もして、上手にゲームと付き合ってほしいの」
A 「分かった」
母「1週間に何日か休もうか?」
A 「今まで通り2日休みでいいよ」

こんな風に色々と相談して、

1)平日のうち2日はゲームを休みにして、宿題を終えてから2時間、夜の7時半には終了
2)休みの日は1日3時間まで、夜の6時には終了

こんなシンプルなルールになりましたが、宿題を終えてからと、休みの日の3時間を守ることができませんでした。

ならば、もう一度守れるルールを作ろうと、相談をしました。

母「Aくん、家に帰って来て、まずは何をしたいですか?」
A 「本を読みたいです」
母「その次は何がしたいですか?」
A 「ゲーム」
母「では宿題はいつする予定ですか?」
A 「ゲームが終わってから」

こんな風に息子の希望を聞きながら、メディア(テレビ、DVD、ゲーム)とどう上手く付き合うかについて私の意見をも伝えながら、

ゲームの時間を決めるのではなく、メディアを休憩する時間を設けるというルールにしました。

で、現在のルールは

1)火曜日と木曜日はDVD、ゲームは休み
2)夜の7時半でDVD、ゲームは終わり
3)毎日、一定の時間、テレビを含むメディアから離れる時間を設ける

総合的にみると、結果、少しメディアとの接する時間が減りました。

ゲーム、DVDの時間を制限すると、○分しかできない・・・となるけれど、
休みの時間を設けようすると、制限をされてるわけではないので、少し休憩するか!と子どもたちはなるみたい。

「休憩する時間だよ」との声掛けで、「これが終わってから」という返事で5分近く休憩する時間の開始が遅くなることもありますが、ま、それくらいならね、子どもたちとの共通の課題は、メディア(テレビ、DVD、ゲーム)とどう上手く付き合うかなので。

再々考するにあたって、何を共通の課題にできるのかを考えました。

ゲームの時間を制限したいわけではなく、ゲームを含む全てのメディアに接しない時間を持って、その時間を過ごすことも大事だということを子どもたちに伝え、ゲームなどをし続けることで起きる弊害など世間一般に伝えられていることも伝え、メディア(テレビ、DVD、ゲーム)と上手く付き合うこと、この提案を共通の課題にお互いできたのが大きな一歩であったと思います。

現在のルールになって3週間、今のところ、落ち着いています。
これから迎える春休み、このルールで一波乱あるかもしれませんね。今から心の準備をしていますので、一波乱がきたら、それも楽しんで、メディアとの付き合いを考えるいい機会になればいいと思っています。もっと成長すれば、スマホも手にする時期が来るし、もっと身近になります。それまでの学びの機会です。




2017-03-20

私的感覚の違い

子育ての中で、ダンナと私とで考えの違いがあります。

ダンナは「宿題などのやるべきことは先にすべき」という考え
私は「やらなければならない時間までに終えておけばいい」という考え

やるべきことをしておけば、後は自由時間だから、そういう時間の使い方もよし、
自分の時間なのだから、いつ何をするかは自分で決めるという時間の使い方もよし、と思っています。

そういう私的感覚を持つダンナは
息子が宿題を後回しにし、テレビを見続けてたりすると、
「宿題が終わってないなら、テレビを消す」
娘がお風呂上りでパジャマをなかなか着ないと、
「パジャマを着てからテレビにしなさい」
と、命令することがあります。
子どもたちの行動が私的感覚に触れるのでしょうね。

でも、子どもたちは反発します。 (えい=息子)

子 「お父さんが先に宿題をしなさいって言う」
母「そうなの」
子 「先にテレビを見てもいいよね?」
母「お母さんは寝るまでに宿題が済めばとちらでもいいけど、お父さんは先に宿題をした方がいいと思っているんじゃない、お父さんに聞いてみれば」

こんな感じで対応すると、子どもは先にテレビを見ることを選んだり、宿題することを選んだり、それぞれです。

どちらが正しいか正しくないか、そんな裁きは必要なく、ダンナも私も、会社でそれなりに仕事をしているのだから、どちらでもいいんですよ、たぶん。だから、選ぶのは子どもたち、それでいい。
ダンナの対応にも反応しないし、ダンナも私の対応に反応しない。
一度、このお互いの考えの違いについて話し合って、ま、どっちでもいんだけど、という話に落ち着いたから。


と今でこそこんなことを言っておりますが、子どもが時間の感覚があまり育っていない小さい時は、スケジュールを管理していました。

ごはん、お風呂、テレビ、就寝、1分、2分と厳しいわけではないけれど、15分単位くらいで。
スムーズに行くときもあれば、そうでない時もあって、そうでない時は陰性感情を持つわけで、「早く、早く」と陰性感情を持って焦っておりました、私が。今でも出発時間が決まっている朝、幼稚園児の娘には「早く、早く」と陰性感情を持ったりもしますが・・・それでもずいぶんと減りました。

4歳、2歳の子どもが、ごはんを食べ、お風呂にも入る、見たいと思うテレビがあって、ちゃんと寝る、「ごはんを食べさせて、お風呂にも抱っこで入り、寝かしつけて苦労していた、その時から比べたら、成長していますね」そんな言葉をパセージリーダーさんにもらって、適切な行動に目を向けるようになったら、私が決めた細かい時間管理で子どもたちが動くことに子育ての上でどれだけ重要性があるのか?反対に細かい時間管理をすることで子どもたちの自立の芽を摘み取っているんじゃないか?とも思うようになりました。

4歳、2歳と相談できることもあれば、相談できないこともあったけれど、一方的に親が決めた時間で動くことは減らすようにしました。

例えば、「お母さん、お風呂入るねー、どうする?」と声掛けて、選択権は子どもたち。
一緒に入りたい子どもたちはほぼほぼ「一緒に入る」と言ってくれるので、その一緒に入れそうな時間を見計らって声掛けしたりして、親が工夫をしました。

アナログ時計を用意して、数字が読めるようになったら、
「6になったらごはんでいい?」
「お風呂はどの数字で入ろうか?」とか聞きながら、いつもいつもスケジュールの相談。

その習慣は時計も読めるし、時間の感覚も身に付いた今でも続いています。

そもそもの私は「やらなければならない時間までに終えておけばいい」という考えの持ち主、私的感覚を刺激することもないので、こういう考えにまで至りましたが、

「やるべきことは先にすべき」の私的感覚ならばやっぱりもう少し葛藤があるのかなっと思います。
ダンナが時々どうしても命令して動かしたくなるように。


ダンナと私が相談したように、どちらが正しいか正しくないか、そんな裁きは必要ないのだと思います。心穏やかにその日が過ごせるのが一番いいことですよね。




2017-03-16

決める方法を相談

娘が間もなく幼稚園を卒園します。
卒園式では何名かが代表で、幼稚園から、PTAから贈り物をいただいたり、幼稚園や先生に記念品や花を渡します。娘はその代表に選ばれました。

どういう風にその代表を決めたのかを娘に尋ねたら、「じゃんけん」との答えでした。

子どもたちが通った幼稚園は、行事ごとに代表で挨拶があります。
その代表の決める方法はいつも「じゃんけん」です。

先生は子どもたちに「どういう手段で代表を決めるか」を尋ねてくれて、子どもたちが相談をして「決める方法」を決めます。

幼稚園児が出す答えといえばほぼほぼ「じゃんけん」
5、6歳の経験値からすれば当たり前といえば当たり前の相談の結果。
先生達も子どもからの答えはほぼほぼ「じゃんけん」と分かっているだろうけれど、子どもたちに決める方法を相談してくれる、この一手順はとてもとても大きなことだと思っていて、アドラーにも通じるものがあるなっと感じました。

代表を務めたい子どもは立候補するし、そういうのが苦手な子どもは立候補をしない。
息子はそういうのが苦手だったから、立候補をしていないけれど、「立候補をしない」ことを選んだ息子も何かを学んでいると思っているので、それでいいと今の私は思っています。

そうは言っても、それは卒園して何年か後の成長を見届けている今だから言えること、その時は、そういう苦手な子にも機会を!と、口には出さないだけで、心の中では願っていたのは正直なところ。その私の心の声は息子に届いていただろうけれど、苦手を責めることと叱咤激励する言葉を息子に届けるのは、勇気をくじくことだということだけは分かっていたので、それだけはしなくてよかったと振り返って思います。


息子、娘とお世話になった幼稚園ともお別れです。
息子も娘も本当に大きく成長させてくれた幼稚園に感謝です。

 


2017-03-04

「お菓子を取られる」事件から

息子は親の仕事の都合上、放課後は学童にお世話になっています。
その学童では、お菓子がほんの少しだけ出ます。価格にして50円相当。小腹を満たすにしても少し物足りない量です。


学童にも班があって、その班で机を一緒にして食べることになっているのですが、同じ班の上級生2人からお菓子を2,3度、先生曰く、「2人で結託して息子からお菓子を取っていた」らしいです。

その話を聞いたのが12月ごろ、迎えに行ったら、先生から話があると言われて、お菓子を取った子ども達2人と共に話を聞かされました。

先生はすごい剣幕でこの2人のことを叱っていて、他にも少し問題がある2人で今後、学童に通えなくなるかもしれないと脅しているし、とにかく親の私にも謝れと子ども達に謝るように促すしで、勢いに押されかけていたのだけれど、

曲がりなりにもパセージを学んだ身、この子どもたちの2人の気持ちを先生の口からではなく、直接聞きたいのと、息子の親として息子を守らなければという気持ちとで、

「どうして息子からお菓子を取ろうとしたのか」
「その行為についてどう思っているのか」
を尋ねたら、「お腹が空くからもう少し食べたかった、勝手に取るのはよくないことだと思っている」との答えだったので、

「息子を困らせてやろうと思ってしたわけでないということでいいね、お腹が空いて息子のお菓子がほしいならば、ちゃんと息子に尋ねたらいい、息子なら分けてくれるかもしれない。今後はそういうことでちゃんとしてくれると信じたからね。息子の親として息子を守らなければならないから、次はないよ」

とこういう風なことを2人に話しました。最後は脅したな・・・とは思ったけれど、信じたと言ったものの、イジメのはじまりだったらという不安もありましたので、強い言葉になりました。


息子に話を聞いたら、毎回ではなくって、9月から2,3度あったそうです。
息子は本当に穏やかで、お菓子を取られたことに対して「1個くらいはいいけれど、半分以上食べられたらイヤだなとは思った」程度で、

「先生がそんなに怒るほど、イヤな思いをしてなかったんだけれど、何だか事が大きくなっちゃった困ったな」というのが正直な気持ちのようでした。

この「お菓子を取られる」ことがあって、少々、気まずい時期はあったものの、落ち着いているようでした。



そして、先日、授業参観があり、偶然にお菓子を取った2人のうち1人=□くんに出会ったところ、「○○くんのお母さん!」と笑顔で声を掛けられました。

「久しぶり!元気だった?」と返事したものの
「うん?よく私にそんな風に声を掛けられるな」と思ったのが正直なところ。
私は根に持つので、過去、息子に度を越えて、笑える範囲を超えてイヤなことをした子どもさんは覚えていて、表面上、穏やかに接していても、心の中では身構えてしまいます。

ただ、爽やかに声を掛けてくれたことが今の息子との関係なのか?とも思ったので、

息子に「□くんに声を掛けられたよ、最近、仲良くしているの?」と尋ねたら、とても楽しそうに仲良くなったいきさつを教えてくれて、今では一緒に遊んでいるとの返事でした。



子ども達ってすごいな。
過去にとらわれずに、新しい気持ちでいい関係を作っていけるんだな、と、とても幸せな気持ちにさせてくれました。



息子にはこういうようなことが度々あります。

息子は本当に穏やかで、赤ちゃんの頃から、おもちゃを取られても、特に怒ることもなく、「ま、いいか」と悟っている感じでした。ただ、時にイヤと思って口にしても、なかなか相手にちゃんと伝わらないこともあります。

そういう部分に便乗されて、遊びの度が過ぎたり、笑って許せる範囲を過ぎてしまう行為を受けることがあります。親としてはそこがもどかしく、息子への不安を拭いされずにいるのですが、穏やかなことはとてもステキなことで、それを上手に勇気付けしていきたいと試行錯誤しているわけです。

そして、今回、息子は息子なりに解決できる力を持っているんだな、と気付かされました。

不安は私の課題、この私の課題を完全に解決するまではまだまだ時間がかかるのだろうけれど、息子は大丈夫。信じて、勇気付けしていきたいと思っています。





2017-02-24

考え方の癖

人それぞれ考え方に癖があります。
私はアドラー心理学でエピソード分析をするまでは、色々な言葉にどうも自分が責められていると考えてしまう癖がありました。

例えば、
「○○はどこ?」と聞かれると、「○○はどこにやったの、お母さん、ちゃんと探してよ」と考えてしまい、陰性感情

「○○はやった?」と聞かれると、「まだやれてないの」と責められていると考えてしまい、陰性感情

こんな風に、純粋に尋ねてこられた言葉にも、勝手に責められていると思って、陰性感情を持つ毎日でした。


エピソード分析をして、
家族は、私のことを何も責めていないと分かって、

「○○はどこ?」と聞かれると「どこだろうね?」と返事したり、困っていそうなら、「一緒に探そうか?」と協力を申し出たり、

「○○はやった?」と聞かれると「まだ」と素直に返事したり、急いでいそうなら、「いつまでにすればいいの?」と尋ねたり、

少しずつ少しずつ、考え方の癖を修正できるようになってきました。

それでも、長年持ち続けた考え方の癖なので、

子 「朝ごはんはこれだけ?」 陰性感情(ー3)
私 「これだけじゃ少ないわけ?」
子 「そういうわけじゃなくて、これだけかな?と思っただけ」

責められたと考えて、陰性感情を持ってしまいました。

子どもからの言葉にハッとして、自分の考え方をすぐに改められるようになっただけでも少しは成長したんだけれど、完全に抜け切れるまでの道は半ばです。





2017-02-16

お口チャックー課題の分離

私はせっかちで、待つというのがとても苦手
予定も早く決めたいし、グループでの話し合いで話しが脱線していくと、それはそれで楽しいと思いながらも、決めることを先に決めてしまいたーいと思うタイプです。

そんな私が子育てをしていると、子どもが動こうとする前に声を掛けてしまうことが多いので、課題の分離で見守るというのは、なかなかハードなことなのです。

心穏やかにお口チャックー課題の分離をできる方法を試行錯誤しながら見付けています。

例えば、息子の宿題については、息子と相談し、19時半ごろに声を掛けるということをお願いされているので、声を掛けています。

声を掛ける回数は「僕が宿題をやり始めるまで」とお願いされていて、具体的な回数が決まっていないので、せっかちな私は何度も何度も声を掛けてしまいそうになります。

一度目は陰性感情もないままで声掛けができても、なかなか行動に移さない息子を見ていると陰性感情が-1、-2と上昇するので、

その陰性感情を持つ前に、
「お母さんが声掛けするのはこれを最後にするね」と穏やかに伝えるようにして、息子は息子の課題=宿題をする、私は私の課題=声掛けをする、課題の分離をお互いにはっきりすることにすると、私の心は落ち着きます。



また、朝の準備の時間配分は息子に任せているのですが、テレビ見ながら、本を読みながらと、ながらで準備を進めることが多い息子を見ていると、時間に間に合わなくなるんじゃないかとザワザワしてきます。

そんな時に、声を掛けようかと思ったら、とにもかくにもゆっくりと10を数えることにしています。

1,2,3,4と数え始めたら、大抵、息子が動き出します。
息子はもう2年生も終わりに近付いていて、ちゃんと登校の集合時間に間に合うように準備ができるのです。親の私がザワザワし始めるのと、息子が動き出す、その差はほんの少し。このちょっとを待つための、私の心の落ち着かせ方です。


試行錯誤しながら、私が心穏やかにお口チャックできる方法を見つけてきました。
色々と引き出しを持っていた方がいいので、娘にも応用できるようなお口チャック方法を探していきたいと思っています。


2017-02-01

慎重さんへの勇気づけ

息子は慎重で行動する前によくよく考えています。
よくよく考えているその間、動きがないもので、何もしないと誤解されることもあるみたいです。

よくよく考え過ぎて、色々と想像して、それも悪い方向に想像します。
「○○したらどうしよう」
「だって、○○だもん」

「何も起きてませんし、そうなるとは限りませんよ、だから心配無用、大丈夫です」
と勇気づけしたいと思って、言葉を変えて、色々な声掛けをしてきたのですが、どうも息子の心には届いていない気がしてました。

息子を勇気づけしているつもりですが、心配している息子の気持ちを裁いていたのかもしれません。
陰性感情も裁いているつもりもなかったのですが、何れにしても息子の心には届いている実感はないまま、代替え案もなかなか思いつかずおりました。

でも、ようやく息子の心に響いた!と思える勇気づけに出会えました。


午前5時に起きてゲームをする!と宣言し、目覚まし時計をセットして寝たけれど、眠気に負けて、起きられたのが6時過ぎ
そのことに対して、あ~あ、あ~あ、と悔やんでいた息子

そんな息子に、
「お母さんも朝5時に起きようと目覚まし時計をセットしたけれど、起きられたのは5時45分やったわ。録っていたドラマを見ようと思ったけれど、見られなかったよ。ま、それでも、また頑張るわ」
と私の失敗談を話すと、ニコッと笑ってくれました。

今までの私は子どもたちに失敗談を話すことに戸惑いがありました。
親たるものしっかりしなければならないと思っていたところがあります。
色々と子どもたちに注意する(片付けてねとかご飯を残さず食べようねとかそういう日々のことです)ならば、自分自身もしっかりしなければ注意する資格がないと思っていたのです。

今でもその気持ちはもちろんありますが、以前は完璧にできることを私も目指し、子どもたちにもそのようにすることを求めていましたが、できないことに目を向けず(不適切な行動には注目せず)、できることに目を向ける(適切な行動に注目する)ように心掛けていると、ま、ボチボチでいいかと思えるようにもなりました。

そんな気持ちの変化に伴って、失敗談を話すことへのハードルが下がったのかもしれません。

勇気づけの言葉は息子、娘、それぞれです。
また、成長して年齢を重ねれば、変化もしていくと思います。
子どもたちに届く言葉で勇気づけできるようにしていきたいです。








2017-01-19

勇気づけの歌

年始早々、息子が熱を出しました。
熱が下がらず、検査した結果、マイコプラズマ肺炎になっており、その治療に約2週間かかり、ようやく日常が戻ってきた我が家です。

息子が病気の間、実家が遠く頼ることができない私たち夫婦は、お互いに協力して仕事の調整をし、息子はもちろん、非日常の生活を強いられている娘にも寄り添わなければならないわけで、協力しなければなりません。

そんな非日常が続く中で、お互いにイライラも募るわけですが、勇気づけの歌のおかげで、以前なら大きな陰性感情を持つ出来事もクールダウンすることができました。

特に

"人は善意で行動するのだが
 私の気には入らないこともある
 それでも善意であるには違いなく
 それがわかれば感謝もできるだろう"

この項目(12)は私の陰性感情をクールダウンするのを助けてくれました。


ダンナが休み、看病&家事をする日の過ごし方、息子の症状に対する考えや対応の違い、2度の週末、外出できない娘へのフォロー、ダンナの行動に陰性感情を持つこともありましたが、

ダンナはダンナなりによかれと思って行動しており、それは善意に違いなく、私の気に入らないこともあるけれど、それは私が気に入らないだけであって、どちらが正しいかを裁く必要はどこにもない。″ 感謝もできるだろう″ までに辿りつけるときとつけないときとありましたが、それでも、私の気に入らないことの陰性感情を相手にぶつけることは以前に比べる減ったなーと思える2週間でした。


そんなこんな新年がスタートしたわけですが、2017年は日々の生活にアドラー心理学の勇気づけを心掛けようと心新にしております。

野田先生が書かれた勇気づけの歌は全文を読んでこそですので、リンクを貼っておきます。

http://adler.cside.com/library.html 左下のイヴォンヌ・シューラー先生をクリックすると全文を読むことができます。