アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2017-02-24

考え方の癖

人それぞれ考え方に癖があります。
私はアドラー心理学でエピソード分析をするまでは、色々な言葉にどうも自分が責められていると考えてしまう癖がありました。

例えば、
「○○はどこ?」と聞かれると、「○○はどこにやったの、お母さん、ちゃんと探してよ」と考えてしまい、陰性感情

「○○はやった?」と聞かれると、「まだやれてないの」と責められていると考えてしまい、陰性感情

こんな風に、純粋に尋ねてこられた言葉にも、勝手に責められていると思って、陰性感情を持つ毎日でした。


エピソード分析をして、
家族は、私のことを何も責めていないと分かって、

「○○はどこ?」と聞かれると「どこだろうね?」と返事したり、困っていそうなら、「一緒に探そうか?」と協力を申し出たり、

「○○はやった?」と聞かれると「まだ」と素直に返事したり、急いでいそうなら、「いつまでにすればいいの?」と尋ねたり、

少しずつ少しずつ、考え方の癖を修正できるようになってきました。

それでも、長年持ち続けた考え方の癖なので、

子 「朝ごはんはこれだけ?」 陰性感情(ー3)
私 「これだけじゃ少ないわけ?」
子 「そういうわけじゃなくて、これだけかな?と思っただけ」

責められたと考えて、陰性感情を持ってしまいました。

子どもからの言葉にハッとして、自分の考え方をすぐに改められるようになっただけでも少しは成長したんだけれど、完全に抜け切れるまでの道は半ばです。





2017-02-16

お口チャックー課題の分離

私はせっかちで、待つというのがとても苦手
予定も早く決めたいし、グループでの話し合いで話しが脱線していくと、それはそれで楽しいと思いながらも、決めることを先に決めてしまいたーいと思うタイプです。

そんな私が子育てをしていると、子どもが動こうとする前に声を掛けてしまうことが多いので、課題の分離で見守るというのは、なかなかハードなことなのです。

心穏やかにお口チャックー課題の分離をできる方法を試行錯誤しながら見付けています。

例えば、息子の宿題については、息子と相談し、19時半ごろに声を掛けるということをお願いされているので、声を掛けています。

声を掛ける回数は「僕が宿題をやり始めるまで」とお願いされていて、具体的な回数が決まっていないので、せっかちな私は何度も何度も声を掛けてしまいそうになります。

一度目は陰性感情もないままで声掛けができても、なかなか行動に移さない息子を見ていると陰性感情が-1、-2と上昇するので、

その陰性感情を持つ前に、
「お母さんが声掛けするのはこれを最後にするね」と穏やかに伝えるようにして、息子は息子の課題=宿題をする、私は私の課題=声掛けをする、課題の分離をお互いにはっきりすることにすると、私の心は落ち着きます。



また、朝の準備の時間配分は息子に任せているのですが、テレビ見ながら、本を読みながらと、ながらで準備を進めることが多い息子を見ていると、時間に間に合わなくなるんじゃないかとザワザワしてきます。

そんな時に、声を掛けようかと思ったら、とにもかくにもゆっくりと10を数えることにしています。

1,2,3,4と数え始めたら、大抵、息子が動き出します。
息子はもう2年生も終わりに近付いていて、ちゃんと登校の集合時間に間に合うように準備ができるのです。親の私がザワザワし始めるのと、息子が動き出す、その差はほんの少し。このちょっとを待つための、私の心の落ち着かせ方です。


試行錯誤しながら、私が心穏やかにお口チャックできる方法を見つけてきました。
色々と引き出しを持っていた方がいいので、娘にも応用できるようなお口チャック方法を探していきたいと思っています。


2017-02-01

慎重さんへの勇気づけ

息子は慎重で行動する前によくよく考えています。
よくよく考えているその間、動きがないもので、何もしないと誤解されることもあるみたいです。

よくよく考え過ぎて、色々と想像して、それも悪い方向に想像します。
「○○したらどうしよう」
「だって、○○だもん」

「何も起きてませんし、そうなるとは限りませんよ、だから心配無用、大丈夫です」
と勇気づけしたいと思って、言葉を変えて、色々な声掛けをしてきたのですが、どうも息子の心には届いていない気がしてました。

息子を勇気づけしているつもりですが、心配している息子の気持ちを裁いていたのかもしれません。
陰性感情も裁いているつもりもなかったのですが、何れにしても息子の心には届いている実感はないまま、代替え案もなかなか思いつかずおりました。

でも、ようやく息子の心に響いた!と思える勇気づけに出会えました。


午前5時に起きてゲームをする!と宣言し、目覚まし時計をセットして寝たけれど、眠気に負けて、起きられたのが6時過ぎ
そのことに対して、あ~あ、あ~あ、と悔やんでいた息子

そんな息子に、
「お母さんも朝5時に起きようと目覚まし時計をセットしたけれど、起きられたのは5時45分やったわ。録っていたドラマを見ようと思ったけれど、見られなかったよ。ま、それでも、また頑張るわ」
と私の失敗談を話すと、ニコッと笑ってくれました。

今までの私は子どもたちに失敗談を話すことに戸惑いがありました。
親たるものしっかりしなければならないと思っていたところがあります。
色々と子どもたちに注意する(片付けてねとかご飯を残さず食べようねとかそういう日々のことです)ならば、自分自身もしっかりしなければ注意する資格がないと思っていたのです。

今でもその気持ちはもちろんありますが、以前は完璧にできることを私も目指し、子どもたちにもそのようにすることを求めていましたが、できないことに目を向けず(不適切な行動には注目せず)、できることに目を向ける(適切な行動に注目する)ように心掛けていると、ま、ボチボチでいいかと思えるようにもなりました。

そんな気持ちの変化に伴って、失敗談を話すことへのハードルが下がったのかもしれません。

勇気づけの言葉は息子、娘、それぞれです。
また、成長して年齢を重ねれば、変化もしていくと思います。
子どもたちに届く言葉で勇気づけできるようにしていきたいです。