アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2017-04-28

木を見て森を見ず

「木を見て森を見ず」

職場で、「木を見る」ことだけに拘って、「森を見る」こと全体な目標を失っているのでは?と思うことに直面しています。「木を見る」ことが悪いことではありませんが、木を見ることに多くの労力を割くにも関わらず、いとも簡単に指示をされるけれど、実際、それを担う者として、その必要性が分からずに仕事をするというのはとてもストレスです。

そんな職場の環境を、自分自身の子育てに置き換えて考えてみました。

大きな大きな子育ての目標を見失って、今だけのことにこだわること
大きな大きな子育ての目標が子どもたちに伝わらないこと

これらに影響を受ける子どもたちは、私が今、仕事で抱えるストレスと同じくらい理不尽なことなのかもしれませんね。



明日、忘れ物をしないためにこだわって、忘れ物をしない工夫を身に付けるという大きな目標を見失うこと

できることを見守り自立の目を育てるという目標の前に、「今」にこだわって、「早くしなさい」と口出しすること

子どもにとって理不尽なこと、改めて仕事で体験中。
いい経験だと思って、また、気持ち新たに頑張ろう!




2017-04-21

協力的か競合的か

我が家のゲームのルール

1)火曜日と木曜日はDVD、ゲームは休み
2)夜の7時半でDVD、ゲームは終わり
3)毎日、一定の時間、テレビを含むメディアから離れる時間を設ける

ですが、1)以外については、子どもたちも納得しているようです。
火曜日と木曜日の週2回の休みについては、ちょっと不満そうな時があるのかな?

というのも

息子 「ゲームしたらダメだよね?」
母   「今日は火曜日だしね、お休みの日だからね」
息子 「そうだよね」

こんな会話をすることが多いのです。
隠れてゲームをすることもなく、気持ちを切り替えて違う遊びをしたりするので、ただの確認?と捉えていいのでしょうか。

 


 
 

 
 

 
 

 
 
子どもが遊ぶ姿を見て、どの遊びにも同じ感情を持つわけではありません。ゲームばかりしている姿を見ているとやっぱり心配になります。これは私の課題でしょうか?
 
子どもたちには中毒性があることも考えて、ゲーム(メディア)とは上手に付き合ってほしいと願っています。そういう親の想いと子どもたちのゲームがやりたいという想いとを確認しあって決めたはずの火曜日と木曜日の週2回の休みについては、まだ悩むところです。
 
本当ならば、子どもたちが自分たちで考えて、上手に付き合ってほしいところだけれど、上手に付き合うについての具体的な分量は人それぞれで考え方も違う。その分量を話し合ってすり合わせて決めた結果だから、これでいいのだろうね、たぶん。何だかやりたい気持ちを抑えている気分になってモヤっとするのは、この方法が協力的か競合的か判断がつかないからかな。
 
 

2017-04-20

私的感覚

新生活がスタートして2週間が経ちました。
入学式翌日に発熱で学校を休んだ娘、他にもあって、小学校生活、特に友達関係で心配していたけれど、元気に通っています。「学童が楽しい!テレビを見られる時間があるから」と言うのにモヤっとしますが、楽しい場所と時間があることに注目=正の注目をしようと思います。

さて、そんな娘の登校ですが、6時起きの7時過ぎ出発というスケジュールとなりました。学区の端に住むので、登校に45分かかるのです。

起床から出発までバタバタです。
まずは6時過ぎに起きるものの20分ほどボーっとする時間が必要で、動き出せるまで時間がかかります。ごはんも食べていかないと給食の時間まで持ちませんので、頑張って食べてほしいところです。

さて、このごはんの時間の娘の行動が私の私的感覚を刺激します。
以前にも書きましたが、私は「ごはんは残さず食べる」という私的感覚を持っていて、子どもたちと時々衝突します。

色々な対処行動で私なりに行動してきましたが、やはり時々衝突が起きます。
その衝突のエピソードを先日の自助グループで分析をしていただきました。

私が育ててきた「ごはんは残さず食べる」という私的感覚は変えるのは難しく、共通感覚からもそうも離れていないと思うと、上手く付き合うしかないのです。

旦那も私も「ごはんは残さず食べる」という私的感覚を持ち合わせているから、子どもたちへも自然とそういう風に教えてしまいます。しかし、私の「残さず」は限りなく完食するに近いだけれど、それぞれの感覚の違いがある。また、子どもたちは自分の見積もりと実際に食べられる量を見極めることを育てている段階。その育ちを協力的に見守る代替え案をみなさんからいただいた意見から見つけることができました。

子どもたち二人とも小学生です。親の影響を受けてはいるものの、それぞれがそれぞれで私的感覚を育てています。
時にはぶつかることもあるのは仕方がないのです、たぶん。
「親が正しい!」と縦の関係を振りかざしてしまいそうになることがあるけれど、それはアドラー心理学ではありません。違った私的感覚を持った家族4人が仲良く協力的に暮らせるようになりたいと思っています。



2017-04-05

新学年に向けての準備ー完了

ゆっくりと買い物に行けるラストチャンス日は過ぎてしまいました。
とはいえ、新学期はもうすぐそこです。 (A=えい)

母「えい君、もう新学期の準備は完璧?」
子「ん」
母「クレヨンとか色鉛筆とかもちゃんと揃っているか確認して下さいて書いてあったけれど、それも確認した?」
子 「それはまだ」
母「どうする?」
子 「明日の夜するわ」
母「明日の夜して、もし、必要なものがあったらどうするの?次の日が新学期だし、買い物に行く時間がないよ」
子 「じゃあ、今日の夜するわ」

夕方に5回目の声掛けをしました。


そして夕食後、

母「夜に準備するって言ってたけど、どうする?」
子 「8時になったらするわ」
母「8時になったら声掛けした方がいい?」
子「うん、お願い」

そして、8時に声掛けをして、息子は新学期の準備を始めました。

だいたい色の色鉛筆、青色のクレヨンが必要ということが確認できたので、明日の仕事が終わったら買い出しです。

ラストチャンス日が過ぎたけれど、陰性感情はありません。ゆっくりと買い物はできないけれど、急いでなら買い物も可能だしね!必要なものだけ買って、新学期の準備は完了です。

以前なら、「だから早くしてって言ったでしょ!」と陰性感情を持っていたように思いますが、この新学期の準備のために自分なりに丁寧に向き合ったので、冷静に対応できた気がします。

途中経過もその都度振り返ったこともあり、「準備をする」という私と息子に違いがあるということも分かったので、声の掛け方にも工夫できるようになったと思います。





新学年に向けての準備ー途中経過 その4

新学期までにゆっくりと買い物に行けるラストチャンス日を前にして、息子に声を掛けました。 (えい」=息子) 


母「えいくん、新学期の準備の話をしていい?」
子 「うん」
母「新学期の準備の確認どこまで進んだ?」
子 「だいたい終わった」
母「新しく必要なものないかな?」
子 「それはまだ分からん」
母「そっか、明日○○行くでしょ。その帰りに□□に行く時間があるよ。明後日はお母さんはお仕事でゆっくりと買い物に行けるかどうか分からないんだわ。だから、もし買い物に行くなら、明日の方がいいんだけど」
子「分かった」
母「お母さん手伝おうか?一緒に必要なものチェックして確認した方がいい?それとも自分でする?」
子 「自分でする」
母「分かった、じゃあ、頑張ってね。これ学校からの案内ね。ちゃんと確認してね。」


こうして、4回目の声掛けは終了です。

ノートについては、近くのドラッグストアで新学期準備コーナーが設けてあって、そこに立ち寄った際に息子が気が付いて購入済です。

残りはクレパスや絵の具とか、そういう一つ一つの足りないものの確認。

私の感覚では買い物が必要なのはそれなんだけれど、息子の感覚では、新しいノートも買ったし、だいたい終わったなんだろうな。この違いに声掛けしたときは気付かなかったな、だから、念押し、しちゃっいました。「だいたいってどこがだいだいなのよー」と思っていたから。

何れにしても、「一緒に」の申し出は断られたので、私ができるのは声掛けのみ。
「自分でできる」息子はちゃんと自立に向かっているね。
課題ははっきりしました。新学期まで残り数日、声掛けは残り2回。

2017-04-02

これは私たち家族の話ですーブログについて


このブログは、野田俊作先生が考えられた「パセージ」を修了後に実践を続けるにあたって、自助グループなどの勉強会への参加だけでなく、日々の育児にどう活かすのかを振り返るために、試行錯誤する私自身の助けになればと思って綴っております。

また、同じように「パセージ」を修了したけれど、なかなか思うようにいかないなーと感じておられる方の目に偶然止まって、同じように試行錯誤されているな!と仲間と感じていただけたらいいなとも思って綴っています。

独り言のようなブログを時々、見ていただけることにも嬉しく思っておりましたが、改めてこのブログについて私の考えを述べたいと思い、ここに書かせていただきます。



 
 
 
このブログで綴られていることは
 
「パセージ」「パセージプラス」は終了したけれど、
 
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。

の目標へ歩くために悪戦苦闘、試行錯誤をしている私の話です。
 
目標は明確ではありますが、その道中、私が向かっている目的が本当に協力的なのかを、地域の自助グループのお仲間さんに確認していただいたり、学習会に参加したりして、学んでいます。そこでの学びは多く、協力的だと思って進んでいたことが、本当は競合的だったことに気付かせていただいたりすることもあります。そういう仲間に支えていただき、道のりを修正しながら、目標に進んでいるつもりです。
 
人それぞれで環境も考え方も違います。違った環境と考えを持った家族がこの目標のためにできる行動はそれぞれが違って持っています。この違いを超えて、こういう時はこうすればいいというマニュアルはないと思っています。ここに綴っているエピソードや私の考えはあくまで私たちの親子や家族の、悪戦苦闘、試行錯誤をしている話だというだということを改めてお伝えしたいと思います。



新学年に向けての準備ー途中経過 その3

4月より1年生になる娘の入学準備の最終確認で、上靴と雑巾が揃っていないことが分かりましたので、出掛けるついでに買って帰ることにしました。

朝に「途中経過 その2」声掛けをし、その日の夕方のことなので、出掛ける前にもう一度声掛けをしようかと思いましたが、それは止めました。

確認していないことはほぼほぼ分かっていたけれど、私の知らないところで確認をしていたかもしれないので、

お店に着いたところで、 (いー=娘 えい=息子)

母「いーちゃんの上靴を買うけれど、えいくんも新しい上靴いる?」
子「いらないよ」
母「他にいるものあるなら一緒に買うけれど、今、分かる?」
子「分からない」

こうして2回目の声掛けを終えました。


そして、翌日の朝、

子 「10ミリと12ミリのノートがいるんやった」
母「昨日の買い物の時に言ってくれたらよかったのに」 (陰性感情-2)
子 「忘れてた」
母「他にいるものは?」
子 「分からん」
母「お母さん、何回も買い物には行けないから、必要なものがあったらまとめて買いに行こうね、お仕事の日は買い物に行けるかどうか分からないから、行けるのは2日と5日だよ。必要なものが全部確認できたら言ってね」
子 「分かった」


こうして3回目の声掛けを終えました。
陰性感情を持ち始めました。

そして、お願いされた声掛け6回のうち半分終わりました。
日頃、必要以上に声掛けをしていることを実感しています。




2017-04-01

新学年に向けての準備ー途中経過 その2

子ども達が実家から家に戻って来ました。

持ち帰ったものの中に、春休みの宿題(提出不要の復習プリント)や勉強道具などがあったので、第1回目の声掛けを4月5日にしようと決めたにも関わらず、ついつい声掛けをしてしまいました。

****** (えい=息子)

母「えいくん、新学年に向けての準備について話しをしていい?」
子 「なに」
母「カレンダーを見て話しをするね」
子 「うん」
母「今日は3月31日、新学期は4月7日で、間にある土日は明日と明後日だけなのね。平日はお母さん、お仕事があるでしょ。仕事のある日に必要なものを買いに行けるかどうか分からないから、もし必要なものがあるなら、明日、明後日に買い物行けたらいいなと思っています。これが学校からもらった新学年に持ってくるものの案内のプリントね、渡しておくね。大事にして確認しておいてね。」
子 「うん」

と自分の机に行って、どこに置いておくといいかを考えた息子

子 「分かりやすいところに置いておきたいんだよね、どうしたらいいかな?」
母「マグネットでくっつくから、このマグネットで見えやすいところに貼っといたら?」

とマグネットを渡すと、気付く場所を考えて、息子自身が張りました。

母「いいね、そこなら見やすいね」

******

こうして第1回目の声掛けを終了しました。

今までは子どもは実家で過ごしていて、一緒に過ごしていなかったから上手く課題の分離(声掛けをせずに見守る)が出来たけれど、これからは、一緒に過ごしながらの課題の分離です。

すでにして4月5日に第1回目の声掛けをしようと決めていたのに、フライング。
「言わずにはいられない」私
息子を信じて、見守る、私の課題です。