アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2017-07-28

やさしくきっぱりと

ラジオ体操の毎日です。
ラジオ体操カードは玄関のドアのマグネットフックに掛けるように環境を整えました。

昨晩、そのフックにラジオ体操カードが1枚=娘のしかなかったので、息子に「ラジオ体操カード、いつもの場所に掛けておいた方がいいんじゃないかな」と声掛けしました。
「分かった」という声は聞こえたものの、結局、いつものところに片付けることはしなかったようで、

今朝、ラジオ体操に行こうとしたところ(6:28頃)で、息子、ラジオ体操のカードがないことに気が付きました。

子 「お母さん、ラジオ体操のカードがないー」
母 「お母さんは知らんよ」
子 「どこやろ?」
母 「昨日、ラジオ体操のカードがないから掛けておいた方がいいんじゃないって言ったでしょ」
と陰性感情です。

それでも以前に比べたら、陰性感情の度合いはグンと小さくなったんですけれど(以前は-4、5のかなりの陰性感情でしたが、今は-1、2くらい)、イヤミな言い方をしたな・・・と思います。やさしくきっぱりと!までにはまだまだです。

品を変えてこのパターン、息子の「あるある」なんですよね。
「あるある」だから、後で息子が困るのが浮かぶので、ついつい声掛けをして、「転ばぬ先の杖」の役をしてしまいます。声掛けをしても、とっても素直に「分かった!」と言うものの、行動しないので、この声掛けもいらないのでしょうね。結末は、ラジオ体操には少し遅れたけれど、カードを自分で見付けてました。

このパターンについては、「課題の分離」と「共同の課題」で学んでもらおうと思っています。
今回のエピソードで学んだことは話し合っていないけれど、ラジオ体操のカードはいつものところに片付けているので、何かは学んだんだと思うのです。

さ、次にくる「あるある」に備えて、

子 「お母さん、ラジオ体操のカードがないー」
母 「ないのー困ったね、どうしよう?」

今回の代替え案ということで、次はこんな風に返事をしてみようかな。

「どうしよう?」の声掛けで、一緒に探してとお願いされたら、その時々に応じて、引き受けたり、断ったりでいいかな。息子からはあまり「一緒に探して」とお願いされることがないので、息子は自分でこの状況を乗り越える力をもう身に付けているんだろうな。私とは違う方法の乗り越える力を。


2017-07-26

オシャレ

娘が一生懸命工作をしていました。

私 「何を作っているの?」
娘 「低いヒール」
私 「何に付けるの?」
娘 「サンダル」
私 「へー、考えたね!」

実は娘より2、3年前からヒールのあるサンダルがほしいとお願いされております。
ただ、私は足の成長期にヒールのある靴を履くことにとても抵抗があって、「ヒールのあるサンダルを履くのは足の成長にあまりよくないと思うんだよね、だから、お母さんは、ヒールのサンダルを買うのはイヤなのよ。」という説明を何回かしてはいるものの、

娘のオシャレ意識からすると、ヒールのあるサンダルは必須アイテムらしく、私の説明には納得してくれていないのです。

私=お母さんがヒールのあるサンダルは買ってくれないというのは理解しているので、今年は自分で作成することにしたみたいです。

それはそれで自分で工夫することを学んだんだなっと思いつつ、
そこまでしても欲しかった娘の気持ちも感じたので、

私 「お母さん、ヒールのある靴を履くのは
   あまりいいとは思わないだけど、
   そんなにほしいんだねー、そうなら、今度、買いに行こうか?」
娘 「うん、明日行こう!」
私 「明日は仕事で難しいから明後日でいいかな」
娘 「うん、いいよ」

ということで低いヒールのサンダルという限定だけれど、買い物に行くことにしました。

こういう風に、親の希望と、子どもの希望とが合致しないことがあります。親が説明して、ダメな理由を説明しても納得してもらえないこともあります。
よくよく考えると、それは親の希望であり、ダメな理由も親の理屈なんですよね。サンダルに関しては、同年代の女の子が履いているのに、なぜ私はダメなの?という気持ちもあるのでしょうね。

それぞれの事情で、お互いに納得していればいいのだろうけれど、
娘のヒールのあるサンダルのように2、3年越しで望み続けているならば、娘の希望と親の希望とが合うサンダルを探しに行こうかな。昨年は昨年で、サンリオのサンダルというお互いの納得ポイントを見つけたんだけれど、やっぱりヒールへの憧れがあるんだね。


 

2017-07-24

夏休み

夏休みが始まりました。

終業式の日に、子どもたちに「夏休みの遊びと宿題と相談をしたいのですが、いいですか?」と尋ねて、了解を得たので、夏休みの予定を色々と相談しました。

娘は小学生になってはじめての夏休みなので、宿題の段取り、いついつまでに何を済ませる予定かなどを相談しました。
(娘が「はじめてのなつやすみ」というプリントに「はじめてではない」とツッコミを入れておりました。ごもっともです。そういう理由で、小学生になってを強調してみました。)

息子には「お母さんと相談して決める?それとも自分で決める?」と尋ねたら「自分で決める」とのことだったので、自分で宿題の段取りを決めました。3回目の夏休み、頼もしいです!

娘は読書感想文や夏休みの自由研究(工作)などはじめてのことが多いので、相談しながら進めるとしても、息子の宿題は見守るつもりでいます。3回目の夏休み、息子ならば自分のやるべきことが分かっていて、その進め方も分かっているだろう。親の私も心を決めて「課題の分離」で見守ろうと思っています。


さて、子どもたちの夏休みに私も毎日頑張ろうと思います。
子どもたちそれぞれに「夏休みのくらし」という表があり、毎日頑張ることが小1は3個、小3は5個、子どもたちがそれぞれに決めたことを頑張って、出来たら色を塗るという宿題があります。

毎日コツコツ忘れずにするのって大変ですよね。
やりたくない日もあるだろうね。

それを口うるさく、毎日チェックするのは、私の本意ではありません。でも、ついつい言ってしまうのですよ、私・・・。だから、どれだけ大変か、億劫かを親の私が一緒に体験することで、私の陰性感情を落ち着かせられるかな?と思って、挑戦してみることにします。

私の掲げた目標は

1.水を1.5リットル飲む
2.ストレッチをする
3.朝5:30に起きる

小3の息子は5個あるのですが、私は娘と同じ小1レベルの3個にして、私の夏休みもスタートします。








2017-07-15

ゴミはゴミ箱に(続き)

ゴミはゴミ箱にの続きです。

この間、自助グループの会での同じような出来事のエピソードの話を取り上げていただいて、子どもと建設的な話ができるようにはどういう質問をすればいいのか、代替え案をいただきました。

試しに代替え案の質問の仕方で、子どもたちそれぞれに話を聴いてみたところ、二人とも「ゴミはゴミ箱に捨てた方がいいよ、でも、忘れちゃうんだよね」とのこと。

やっぱりそうか、忘れちゃうんだよね。

でも、「忘れてた」では済まされないことが社会ではいっぱいあるのも確かです。

「忘れない」ための工夫や、子どもたちの責任も、学んでほしいと思っています。
罰かな?と思ってスタートしていた「しばらくお菓子を買うのを止めている」ことについて、今度は冷静に話しをし、子どもたちに「忘れる」ことについて真剣に考えてもらうことにしました。そして、どんな工夫ができるのか、もうそれぞれで考えて、それぞれで答えを見つけられるとと信じていることを伝えました。最後に「よし、できるぞ!」と思ったらお知らせしてね、その時はお菓子を買いに行きましょう!と伝えました。

そして、その日のうちに、娘は「ゴミ箱に捨てる」と折り紙に書いて、冷蔵庫に貼って、「考えた、もうできる!」と宣言しました!その時に息子に尋ねたら、「僕はまだいいわ」とのこと。「なら僕も!」とならずに自分のペースを持っている息子。二人のペースが違うのは仕方ない、娘だけお菓子を買うこととなりました。


そのお菓子を息子=お兄ちゃんがもらっておりましたが、そこは娘と息子の関係、そこに立ち入ることは止めました。そんなこんなで息子の決意は聴けぬままですが・・・タイプの違う子どもたちを育てていると二人同時というのはなかなか難しい。だからといって連帯責任で、二人同時を強制するのはおかしいので、こんな感じで何となく進んじゃいますが、

この機会に、子どもたちは子どもたちでお菓子を買うことにしました。
私が子どもの好みを考えて、買い物のついでと思って買っていましたが、それも卒業。

幸い歩いて2、3分のところにドラッグストアがあるので、予算を決めて、子どもたちが買うことにしました。1週間分、自分たちが食べたいものを予算と相談しながら買う。まだ娘は1年生で、計算などにちょっと心配があるけれど、そこは兄に手伝ってもらうことにして、二人で協力しながら、自分たちのお菓子を責任を持って管理してもらいたいと思っています。


子どもたちが「忘れた」ときに持ち出す私の気持ちの落ち着け方法を探すのは、私の課題です。

今日言って、明日できるの成長を求めるのではなく、もっと長い目で見守ろう!これが私の課題かな。子どもたちは子どもたちの課題に向き合っているのだから、私も私の課題に向き合います。

2017-07-10

モンテッソーリ教育

日本でのモンテッソーリ教育の第一人者の相良敦子さんの訃報に遅ればせながら触れました。

モンテッソーリ教育のように子どもと向き合いたいと思っていましたが、ちゃんとした働きかけの方法も結局、ちゃんと勉強しないまま、多くの子どもの敏感期を逃してきたな・・・と思っておりました。

それでも相良敦子さんの著書の一つ、「ママ,ひとりでするのを手伝ってね!」学ばせていただいたことは多く、その心構えは私の中でストンときていて、自己流ではあるけれど、環境を整えて生活しています。

ママ,ひとりでするのを手伝ってね!はその本のタイトルどうり、自立へとつながる道であると感じていて、それはアドラー心理学のパセージが同じだと思っております。


環境を整えるという点で私が心掛けたことは、
幼稚園に入り、子どもが自分の給食セットを準備できるために、まず、手の届くところに置き、二人の子どもがそれぞれ自分のものと認識できるように、箱を分け、1日分が分かるように、給食セットを整えておきました。

自分の給食セットを準備するはアドラー心理学でいうところの子どもの課題です。
その子どもの課題をどうしたら3歳児の子どもが無理なくすることができるのか?
子どもの話を聴ければ一番いいのでしょうが、3歳児がその答えを持っているかどうか、その時は聴くことさえもしていないけれど、3歳児を前にして、親の私が「子どもが自分の給食セットを準備する」環境を整えました。その子、その子の成長過程で、「ママ,ひとりでするのを手伝ってね!」のために親の私が何ができるかの心構えを教えていただいたのはとても私の中で大きいことでした。


この文章を書いている今はアドラー心理学を学んでおりますが、先に出会ったのはモンテッソーリ教育。その土台があったからこそ、アドラー心理学の子どもの自立に向かうための課題の分離はスッと心に入ってきたところがあります。

子育ての目標が同じだなっと私は感じたわけですが、他にもそういう視点で共感できる考えや理念などには私自身、触れて、学んでいきたいなっと思っています。

2017-07-09

ゴミはゴミ箱に

「ゴミはゴミ箱に」の課題、光が見えてしばらく暮らしていましたが、また陰性感情です。

「忘れてた」が多いのです。
本当に純粋に忘れてたわけですが、あれから1年近く経って、「いい加減に忘れるから卒業しようよ」という気持ちが強くなってきたようです。


子どもたちに「ゴミはゴミ箱に捨てた方がいいと思うんだよね。でも、いっぱいのゴミが床に置いたままでしょ。お菓子のゴミがゴミ箱に捨てられるぞ!と思ったら、お母さんに伝えて。そしたら買いに行こう」と提案しました。

提案しましたといっても、ほぼほぼ命令で、これって罰だよね・・・
そは言っても口にしたので、お菓子を買うことをしばらく辞めています。



子どもたちは「忘れてた」わけですが、忘れていようと、そこに意味があろうと、ゴミが床に置いてそのままの状態を見て、私は陰性感情を持ちます。そりゃあそうです、「ゴミはゴミ箱に捨てる」という私的感覚を持っているのですから仕方ないのです。

どうしようかな・・・

やっぱり子どもたちの「話を聴く」だよな。

ただ、「ゴミはゴミ箱に捨てる」は正論で、学校でも教えられていて、子どもたちがゴミはゴミ箱に捨てなくてもいいと思っていても、それを言うのをためらうだろう、子どもたちも成長してきて、自分の気持ちではなく、正しい答えを察知できるようになり、

そういう成長を嬉しく思うと同時に、どうしたら建設的な話(本音の話)ができるのか、話を聴くにあたって、質問の方法も工夫する必要があるのを教えていただいたので、今、その質問の仕方を考え中

それと同時に成長=「ゴミはゴミ箱に捨てる」ことを今すぐ身に付けることに拘らず、もう少し長い目で見る必要があるのかなっと私も私の考えを変えてみようと思っています。






2017-07-06

子どもを育てるということ

アドラー心理学のパセージで、子育ての指南をいただきながら、日々、子どもと過ごしております。

子どもを勇気付けするために、自分の陰性感情=私なりの目的を、自分なりに分析して、己自身に説明したり、自分では解決できない場合はみなさんからと一緒に学ばせていただいて、その陰性感情を持たらす私的感覚と対峙したりすることがあります。

スカッと晴れることもあれば、モヤッとしたままぶら下げていることもあって、私の気持ちを上手く自分自身にも説明できないところがあったのですが、

子育ての姿勢として、ブログを通して学ばせてもらっている虹色教室通信で「恥ずかしい」よりも「その子の成長」へフォーカス の記事に、ぶら下げていたことへの私にとっても大事な気付きがあり、しみじみと納得しております。


アドラーを学んで色々と考える機会をいただきながら、私の子育ての目的、目標が、「果たして、本当に子どものことを思ってのことなのか?」と自問自答することがあります。それがパセージが指南する勇気付けかどうかの話とは別として、私の日々の行動が「子どものことを思って」の行動かと問われれば、「そうです」と断言できるほどの自信を持っていないと常日頃、感じておりました。

そしてその記事はその自信のなさがどこから来るものなのかを気付かせていただきました。

気付くことが学びの一歩です。その記事にある通り、「その子の成長」へフォーカスするように己の舵を己でとればいいのですよね。